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ルメール、ケンタッキーダービーに参戦。必然と偶然のその経緯とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ケンタッキーダービーでルメール騎手が騎乗する事になったクラウンプライド

レース翌朝の出来事

 現地時間3月27日の早朝。社台ファームの吉田照哉代表はメイダン競馬場の国際検疫厩舎を訪れた。

 前日はドバイワールドカップデー。社台ファームが送り込んだステイフーリッシュはドバイゴールドC(GⅡ)を制し、レッドルゼルはゴールデンシャヒーン(GⅠ)で2着、ヴァンドギャルドはドバイターフ(GⅠ)で3着。そして、吉田代表自身がオーナーとなるクラウンプライドはUAEダービー(GⅡ)を優勝。こういった馬達を労いに、厩舎を訪ねたのだ。

UAEダービーを制したクラウンプライドの表彰式。中央でVサインをしているのが吉田照哉社台ファーム代表
UAEダービーを制したクラウンプライドの表彰式。中央でVサインをしているのが吉田照哉社台ファーム代表

 そこで代表が顔を合わせたのが新谷功一厩舎の松田全史調教助手。彼の地でクラウンプライドに寄り添っていた彼は、吉田代表の顔を見た事で遠征前に代表が口にした言葉を思い出した。松田が述懐する。

 「遠征する前の事だったのでごく軽いノリという感じでしたが『UAEダービーを勝ったらケンタッキーダービーへ行こう』とおっしゃっていました」

 その言葉が頭の片隅に残っていた。

UAEダービーをクラウンプライドが勝った直後の松田助手(右)
UAEダービーをクラウンプライドが勝った直後の松田助手(右)

最終追い切りでの出来事

 また、ドバイ入りした後には次のような出来事があった。

 それはUAEダービーへ向けた最終追い切りでの事だった。クラウンプライドは呉越同舟で中東入りしていたレイワホマレと併せ馬をした。クラウンプライドには松田が乗り、レイワホマレの手綱はクリストフ・ルメールが取っていた。追い切りを終え、抜群の動きをしてくれたと感じた松田に向かい、ルメールが声をかけてきたと言う。

 「『凄く良い動きですね!』と言ってきました。だから『ここを勝ってケンタッキーダービーへ行く馬だから!!』って答えました」

 すると、ルメールも「じゃあ僕が乗ります」と笑いながら返して来たと言う。

ドバイでの調教風景。右がクラウンプライドで左はレイワホマレ
ドバイでの調教風景。右がクラウンプライドで左はレイワホマレ

再びレース翌朝の出来事

 松田が続ける。

 「レース翌朝に吉田照哉代表に会った時、そんな事があったという話をしました」

 その時の話を吉田代表が振り返る。

 「UAEダービーを実際に勝った事でアメリカ遠征が一気に現実味を帯びました。だからレース後の馬の様子を見に行きました。そこで松田君からそんな話を聞きました」

 そして、ルメールの事を「ルメさん」と言って次のように続けた。

 「UAEダービーではダミアン・レーンさんに乗ってもらったけど、彼はオーストラリアのジョッキーですからね。かといってアメリカのトップジョッキーだと現地での契約もあるし、ドタキャンもよくあるので、頼み辛い。そこでどうしようか?と思っていたら松田君がそんなエピソードを教えてくれたので『ならルメさん』で良いんじゃないか?と。この前のサウジアラビアもそうだけど、彼は世界中どこへ行ってもソツなく乗ってくれますからね」

サウジアラビアでのルメール騎手
サウジアラビアでのルメール騎手

 そう思いつつ、厩舎を後にした。そして、宿泊先のホテルに戻り朝食を取ろうとレストランに行った。すると……。

 「偶然そこにルメさんがいたんです」

 今回、日本からドバイへ遠征して騎乗したジョッキーはルメールの他に4人いた。その4人は皆、競馬が終わった直後の深夜便で帰国の途についた。しかし、ルメールだけはもう1泊していた。そのため翌朝のホテルで吉田代表と顔を合わせる事になったのだ。社台ファーム代表は言う。

 「その場でルメさんにアメリカへ行けるか聞くと、2つ返事で承諾してもらえました」

 こうしてケンタッキーダービーでのクラウンプライドの鞍上が正式に決定した。

 クラウンプライドはすでに決戦の地アメリカに入っている。「スポーツの中で最も偉大な2分間」(The Most Exciting Two Minutes in Sports)と形容されるレースで、果たして新たにタッグを組むルメールがどんな手綱捌きを見せてくれるのか。5月7日のチャーチルダウンズ競馬場に注目しよう。

すでにアメリカへ移動したクラウンプライド(写真提供=松田全史調教助手)
すでにアメリカへ移動したクラウンプライド(写真提供=松田全史調教助手)

(文中一部敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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