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グランアレグリアの藤沢和雄調教師が、引退式を拒んできた理由と革命とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
マイルチャンピオンシップで有終の美を飾ったグランアレグリア

伯楽が引退式を拒んできた理由

 今週末の18日、中山競馬場でグランアレグリア(牝5歳)の引退式が行われる。

 アーモンドアイを完封した2020年の安田記念(GⅠ)など、6つのGⅠを制したこの名牝を育てたのはご存知、藤沢和雄調教師。馬なり調教や集団調教など、今では当たり前になっている調教法を最初に取り入れたのは有名だが、引退式に於いても1つの革命を起こしていた。若いファンの中には知らない人もいるようなので、そのあたりを改めて紹介したい。

グランアレグリアを育てた藤沢和雄調教師(左)と主戦だったC・ルメール騎手
グランアレグリアを育てた藤沢和雄調教師(左)と主戦だったC・ルメール騎手

 11月21日に行われたマイルチャンピオンシップ(GⅠ)をグランアレグリアが勝利。これが伯楽にとっては実に34回目となるJRAのGⅠ制覇であった。

 これほどまでに大レースを勝っているにもかかわらず、彼の管理馬が引退式を行うのは今回が僅か3頭目。過去にはタイキシャトルとシンボリクリスエスしかお別れのセレモニーを披露していないのだ。

 藤沢が最初にGⅠを制したのは1993年。シンコウラブリイによるマイルチャンピオンシップだった。その2年後の95年にはバブルガムフェローが朝日杯3歳S(GⅠ、現・朝日杯フューチュリティS)を勝利すると、翌96年には同馬が天皇賞(秋)(GⅠ)も制覇。また、97年にはシンコウキングが高松宮記念(GⅠ)を、タイキブリザードは安田記念を優勝した。

 これらGⅠ馬には引退式を打診する声が上がったが、若き日の伯楽は1度も首を縦に振らなかった。そして、当時、その理由を次のように語っていた。

 「ファンの皆さんのためには何とかしてあげたいという気持ちはあるのですが、すでに競走生活を終えた馬を引退式のためだけにトレセンに置いて、更に競馬場へ運んで走らせるというのには二の足を踏んでしまいます。過酷な競馬の世界から早く解放してあげないと精神的に可愛そうだし、引退式までの間や式の際に万が一事故でも起きたら悔やんでも悔やみ切れませんから……」

藤沢和雄調教師
藤沢和雄調教師

引退式にも革命を起こす

 現在のパドックなどで馬を曳くだけの引退式からすると「式の際の事故」は考え過ぎと思われるかもしれない。しかし、当時の引退式は昼休みに主戦騎手を乗せて本馬場でキャンターするのが当たり前だった。そのためには引退式までの間にもある程度は体を動かしておかなければならず、だからこそ“馬優先主義”を唱える男は「その間や引退式での事故」を懸念材料としたのだ。

 また、以前の引退式は、引退が発表された後、1ケ月前後で改めて競馬場へ運んで行うのが常だった。1957年1月15日にメイヂヒカリが中央競馬史上初めて引退式を行ったが、同馬のラストランは前年の12月23日。以降66年に2週にわたり東京と京都で引退式をした五冠馬シンザンや83年、同じ日に2頭揃って馬場入りしたモンテプリンスとシービークロス、85、86年にそれぞれ敢行したミスターシービーとシンボリルドルフといった三冠馬から98年3月の中山競馬場で行った前年の二冠馬サニーブライアンまで実に88頭における92回の引退式は全て、ラストランの後日に行ったものだった。

 この風習に風穴を開けたのが何を隠そう藤沢だった。

 「馬のためを考えるとしたくない」という思いがありながら「ファンのためにはしてあげるべき」という二律背反のミックスフィーリングに悩んだ藤沢は、1つの折衷案を提示する。それが「ラストランを終えた後、その日のうちに引退式を行う」そして「コースで走らせず、引っ張ってお披露目するだけ」というやり方だった。

 1998年12月20日、史上初めてこういう形で行われたのがタイキシャトルの引退式だった。この日、スプリンターズS(GⅠ)に出走した同馬は、最終レース終了後、引っ張ってお披露目をする引退式を行ったのだ。

フランスでGⅠを勝ったタイキシャトルは藤沢の下、史上初めてラストラン直後の中山競馬場で引退式を行った
フランスでGⅠを勝ったタイキシャトルは藤沢の下、史上初めてラストラン直後の中山競馬場で引退式を行った

 ちなみにそのスプリンターズSでは1番人気に推されながらも3着に敗れてしまった事から口の悪い人は「ナメた真似をするから負けたんだ」等、ラストラン後の引退式を批判した。しかし、藤沢は信念を曲げる事なく、彼にとってはその後の唯一の例であるシンボリクリスエスの引退式もやはり最後に走った03年有馬記念(GⅠ)の終了直後に行った。すると、これを範とするように05年のタップダンスシチー、06年のディープインパクト、07年のダイワメジャーら他の厩舎の馬達が同じ形で続いた。その後もブエナビスタやオルフェーヴル、ゴールドシップほか、ラストラン直後の競馬場でお別れの儀式に臨む馬が続々と現れた。そして、現在では普通の事となったこの形の引退式を批判する人は誰もいなくなったのである。

オルフェーヴルも13年、有馬記念を制した直後に引退式を行った
オルフェーヴルも13年、有馬記念を制した直後に引退式を行った

 さて、そんな1500勝トレーナーが初めて日を改めて引退式を行う。

 「グランアレグリアはファンの多い馬だったからね……」

 そう語るが、来年の2月、定年により厩舎をたたまなければならない伯楽にとっても、晩年にGⅠを6勝もした同馬は特別な存在だったのかもしれない。

 引退式当日も長引くコロナ禍により入場制限をされている。そのため、誰もが競馬場で見られる状況ではないが、JRA公式YouTubeでライブ配信されるようなので、是非、名牝の最後の勇姿と、彼女を見守る伯楽の姿に注目していただきたい。

現役時代のグランアレグリア
現役時代のグランアレグリア

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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