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武豊騎手と共に凱旋門賞に挑むキーファーズ・松島正昭オーナーの想いとは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
パリロンシャン競馬場で松島正昭オーナーの勝負服に身を包む武豊騎手

幼い頃から競馬ファン

 凱旋門賞が今週末に迫った。

 日本が誇る至宝・武豊騎手がこの世界最高峰とも言えるレースの制覇を大目標に掲げている事は、昔からよく知られている。9度目の騎乗となる今年、一緒に海を越えた男がいる。

 松島正昭。

 株式会社マツシマホールディングスの代表取締役社長であり株式会社キーファーズの代表。1958年2月23日、京都生まれの現在63歳だ。

 「競馬は小さい頃から好きでした。ダテテンリュウ、アカネテンリュウ、スピードシンボリの名勝負にしびれました」

 また、ロングエース、タイテエム、ランドプリンスの3強対決で沸いた71年にはこんな事があったと言う。

 「3強の戦いが好きで好きで、林間学校の最中に見ていたら先生に叱られました」

フランスでの松島正昭オーナーと武豊騎手(18年撮影)
フランスでの松島正昭オーナーと武豊騎手(18年撮影)

デビューした天才騎手に魅了される

 87年、武豊がデビューをすると、ほとんどの競馬ファンがそうだったように、松島も彗星の如く現れた若きスーパースターに魅了された。

 「最初から少し違うと感じました。“別格”というのかな。凄い騎手が現れたと思いました」

 当時のJRA新人騎手最多勝記録を更新すると2年目にはスーパークリークを駆って早くもGⅠ初制覇。3年目で全国リーディングを獲るとその後も数々の神業的な騎乗を披露。アッと言う間に日本の競馬界にはなくてはならない存在となった。

 当然、松島の心の中での天才ジョッキーに対する想いも歳月を経るごとに強くなった。

 「ついに我慢出来なくなり、伝手を頼って紹介してもらいました」

 念願の初顔合わせ。憧れのスターの第一印象を次のように語る。

 「あれだけの凄い人なのに礼儀正しくて全く偉ぶらない。良い意味で普通だったし、ますますファンになりました」

凄い人なのに全く偉ぶるところがない武豊
凄い人なのに全く偉ぶるところがない武豊

夢をかなえるためにサポート

 こうしてプライベートでの付き合いが始まった。互いに意気投合し、数年経った頃の事だった。親愛の念も込め「武ちゃん」と呼びつつ次のように述懐する。

 「馬券も好きだったので『いくら負けた~』などという話をしていたら武ちゃんから『馬を買っては?』と勧められました」

 考えた事もなかったが、調べると馬主免許を取得するための条件はクリアしていると分かった。

 「武ちゃんが『凱旋門賞を勝ちたい』という夢を抱いているのは知っていました。自分に馬を持てる資格があるなら、それをサポートしたいと考えるのは自然の流れでした」

 そこで正式に馬主免許を取得。2013年のセレクトセールでダイワメジャー産駒の牡馬を競り落とした。

 「当時1歳で、4000万円以上でした。初めてだったし、びびりました」

 ミコラソンと名付けられたこの馬は翌年のデビュー戦で武豊を背に4着。その翌日のセレクトセールで今度は1億5000万円以上の額で手に入れたのがラルクだった。

ラルク(写真は18年、フランス遠征時)
ラルク(写真は18年、フランス遠征時)

 ディープインパクト産駒のこの馬は後に3勝を挙げる。しかし、妹のラッキーライラックがGⅠ馬として活躍する頃にもまだ条件戦を脱せないでいた。

 「高い馬でも走るとは限らない。競馬の難しさを改めて知りました」

 しかし“難しい事”がイコール“つまらない事”ではなかった。18年には難しいからこそ面白いと思える出来事に遭遇した。

 15年に1億7千万円以上をかけて購入した父ディープインパクト×母サラフィナの牡馬。ジェニアルと名付けたこの馬は日本では2勝しただけだったが、勇躍フランスへ飛ぶとGⅢのメシドール賞を優勝。松島自身の初重賞制覇をなんと海の向こう、それも凱旋門賞が開催されるフランスで成し遂げてみせたのだ。

 「ビックリしました。海外競馬に挑戦するのも初めてで、いきなり重賞を勝っちゃった。勿論嬉しかったけど、何よりもユタカタケで勝てたのが嬉しかったです」

18年フランスのメシドール賞(GⅢ)を勝利したジェニアルと武豊
18年フランスのメシドール賞(GⅢ)を勝利したジェニアルと武豊

フランスへ行って気付いた事

 快挙ではあったがそのレース自体はマイル戦でもあり凱旋門賞に繋がる道ではなかった。日本で走らせている他の馬達の視野にも10月のパリロンシャン競馬場はなかなか見えて来なかった。

 「そこで、これはヨーロッパの馬を買った方が現実的だと考えました」

 こうしてまず手に入れたのがアマレナだった。19年、彼女はフランスで最も人気があるレース・ディアヌ賞(GⅠ)に出走した。3歳牝馬のみのいわばオークスにあたるこのレースを観戦するため、松島もフランス入り。決戦の地となるシャンティイ競馬場へ行くと、それまでの“競馬観”がひっくり返るほどの衝撃を受けた。

 「スタンドに入ると壁に出走馬の勝負服がズラリと飾られていて、私のもありました。それだけでも感動したのに、出走馬主の部屋が用意されていて、そこからテラスに出ると隣にゴドルフィンの関係者やシャネルのオーナーらがいて、またまた感動しました。執事の馬主に対する敬意も素晴らしかったし、競馬そのものの重みの違いを感じました」

ディアヌ賞(GⅠ)に出走した際のアマレナ
ディアヌ賞(GⅠ)に出走した際のアマレナ

 武豊が凱旋門賞に拘る理由の一つが見えた気がすると、ますます応援したくなった。

 そこで今度はクールモアとパイプを作った。ご存知、アイルランドをベースにしてフランスも含めた世界中で活躍しているオーナーブリーダーである。

 このクールモアから19年にはイギリスのダービーで4着したブルームを、翌20年には前年のインターナショナルS(GⅠ)の勝ち馬ジャパンを購入。いずれも武豊を乗せて凱旋門賞に挑戦するためだったが、不幸な事にブルームは直前に体調不良で回避、ジャパンは厩舎の飼料に禁止薬物が混入していた可能性があるという事でレース前日に急きょ出走を取り消し。今年は3度目の正直での大一番を迎える事になる。

 「今年は強い馬が沢山いるみたいですね。武豊騎手が凱旋門賞を勝つという夢が“かなう”のは簡単ではないでしょうけど、まずは騎乗しない事には夢見る事すら出来ませんからね。3年越しでやっと夢を見てもらえるかな?というところまで来たのは私にとっても嬉しいです」

武豊騎手騎乗予定のブルーム(右)と左で立っているのがA・オブライエン調教師(19年、バリードイルにて撮影)
武豊騎手騎乗予定のブルーム(右)と左で立っているのがA・オブライエン調教師(19年、バリードイルにて撮影)

皆で楽しむための新しい挑戦

 そんな松島が一口馬主クラブのインゼルサラブレッドクラブを立ち上げた。武豊をサポートし続けて来た事で、同じような意思を持つファンの多さに気付き、2年かけて一から立ち上げたのだ。

 「市民スポーツのように競馬を皆で楽しみたいと思って作りました。娘の悠依(クラブ法人インゼルサラブレッドクラブ代表取締役)は、卒論の題材にするほど競馬が好きで、色々な案を出してくれました。武ちゃんが元気なうちにやりたいと思ったし、海外遠征も視野に入れています。また、競走馬として引退した後もホースセラピーの馬になるとか、乗馬用に転身させるとか、そこまで考えています。せっかくの愛馬が引退後はどうなってしまうのか分からないというのでは悲しいですからね」

 勿論、実際には全てが武豊騎乗というわけにはいかないだろう。しかし、少し毛色の違うクラブになりそうなのは火を見るよりも明らかだ。

 「社台さんやノーザンファームさん、それにクールモアグループも協力してくれました。世界を舞台に、皆で良い血統の馬達を応援出来るようなクラブにしたいです」

 近い将来、自分の馬が武豊を背に凱旋門賞を勝つかもしれない。ゆくゆくはそんなおすそ分けを考える松島だが、まずは自らが臨む今年の凱旋門賞。日本のナンバー1ジョッキーに夢を届ける事が出来るのか、注目したい。

18年フランスでの口取り風景。右端が松島悠依インゼルサラブレッドクラブ代表取締役社長。同クラブの馬と武豊で凱旋門賞を勝つのが松島正昭オーナーの夢だ
18年フランスでの口取り風景。右端が松島悠依インゼルサラブレッドクラブ代表取締役社長。同クラブの馬と武豊で凱旋門賞を勝つのが松島正昭オーナーの夢だ

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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