乗馬未経験から騎手に

 1992年10月31日生まれだから現在28歳の杉原誠人。以前はよく一緒に食事をしたが、ある事を境にぱったりとなくなった。理由は後述するとして、今週末に行われるアイビスサマーダッシュ(GⅢ)に、彼は苦い思い出があると語る。

 「一発あると思っていただけに、悔しかったです」

 埼玉県で生まれ父・時人、母・佳代子の下、4つ下の弟と育てられた。

 「小さい頃は野球をやっていました。父によく東京や中山、母の実家の新潟へ行った際も競馬場へ連れて行ってもらいました」

 中でも印象に残ったのは2006年、ダイワメジャーの勝利した天皇賞(秋)(GⅠ)だった。

 「父と朝早くから競馬場へ行き、ゴール前で観戦しました」

 当時14歳になったばかり。将来を考えた時、騎手という職業が急浮上した。

 「中学の先輩が競馬学校を受けると聞き、自分も受験しようと考えました」

 結果、合格した。しかし、乗馬経験がなかったため、入学までの間に東京競馬場の乗馬苑に通った。

 「嶋田純次と通いました。先輩には先日のジャパンダートダービーを勝った仲野光馬さんや、年下の石川裕紀人がいました」

 入学後は授業についていくので精一杯だった。

 「(嶋田)純次や藤懸貴志ら乗馬未経験組には負けたくないという気持ちで頑張りました」

杉原誠人騎手(コロナ禍前に撮影)
杉原誠人騎手(コロナ禍前に撮影)

伯楽・藤沢に教わった事

 所属先は美浦・藤沢和雄厩舎。日本一の調教師が面倒を見てくれる事になった。

 「藤沢先生は優しいけど、仕事に対しては厳しいです。まず、厩舎スタッフ全員が仕事に対して妥協を許さないし、馬乗りも上手。外国の一流騎手も次々来るので最初は委縮してしまいました」

 そんなある日、藤沢に言われハッとした事があった。モノ見をして、飛び跳ねそうになった馬を鞭で叩いた。すると師匠が言った。

 「馬の気持ちを考えられないならもう乗らないで良い」

 「悪さをしたのではなく驚いただけ。それなのにそこで更に叩かれたらまた驚くし、混乱してしまう。馬にそんなかわいそうな想いをさせてはいけないと言われました」

杉原の師匠である藤沢和雄調教師(コロナ禍前に撮影)
杉原の師匠である藤沢和雄調教師(コロナ禍前に撮影)

 11年、そんな藤沢の下からデビューをした。開幕週は騎乗予定の馬が全て除外。翌週は除外にならず、改めてデビュー出来る見通しとなった。しかし、そこでアクシデントが起きた。

 「金曜日に勝負服を取りに厩舎へ行ったら凄い揺れに見舞われました」

 東日本大震災だった。

 週末の競馬開催が中止。その週のデビューは幻と消えた。

 「結局3月26日の小倉で、藤沢厩舎の馬に乗ってデビューとなりました。初勝利は5月14日。なかなか勝てず、甘くないと痛感していただけに思ったより早く勝てたと感じました」

 同年9月には京成杯AH(GⅢ)で重賞初騎乗を果たした。

 「藤沢先生がフライングアップルに乗せてくださいました。結果は12着だったけど、初めて味わう緊張感は良い経験になりました」

デビュー1年目を表す黄色帽の杉原
デビュー1年目を表す黄色帽の杉原

掴み損ねた勝利の女神の前髪

 初年度は7勝に終わったが2、3年目はいずれも20勝以上を記録。4年目の14年には重賞で1番人気馬に騎乗する機会に恵まれた。本来乗る予定の騎手が直前のレースで落馬し負傷。急きょ乗り替わりで杉原に白羽の矢が立てられたのだ。それがフローラS(GⅡ)のマジックタイムだった。

 「人気なのは分かっていました。自分で2度勝っていたのでイメージは出来ており、慌てはしませんでした」

 具体的には折り合いだけに気をつけたと言う。実際、掛からずに乗れた。しかし、結果は6着だった。

 「オーナーも納得してくれたし、実際、悪い騎乗ではなかったと思ったけど、それでも悔しさが残りました」

 勝利の女神には後ろ髪がないと言われるが、前髪を掴み損ねた杉原は、その後、なかなかチャンスに恵まれなくなった。4年目が11勝に終わると、それからは10勝前後が当たり前。ひと桁勝利数に終わる年も一再ではなくなった。重賞も17年のアイビスサマーダッシュ(GⅢ)はレジーナフォルテで3着、18年阪神カップ(GⅡ)はスターオブペルシャで3着と善戦止まり。

マジックタイムはその後、GⅠにも出走したが残念ながら鞍上は杉原ではなかった(16年ヴィクトリアマイル出走時)
マジックタイムはその後、GⅠにも出走したが残念ながら鞍上は杉原ではなかった(16年ヴィクトリアマイル出走時)

悔やまれる2つのレースと今後に懸ける想い

 更に悔しいレースが2つあった。

 1つは昨年のアイビスサマーダッシュ。

 「(騎乗した)ビリーバーには1000メートルが絶対に合うと思っていました。人気はなかったけど、真面目過ぎて一所懸命に走るタイプなので一発あると思っていたんです。良いコースを走れて、最後は伸びたけど差のない3着。悔しかったです」

 そして、もう1つがこの4月の福島牝馬S(GⅢ)。

 「騎乗したサンクテュエールは良馬場の新潟ならとひそかに期待していて、ほぼ、考えていた競馬を出来ました。ただ、一気に追い過ぎたのか、最後に止まってしまいました」

 帰りの新幹線ではずっと「もっとゆっくりジワジワと進出すれば勝てていたのでは?」という想いが頭を巡り、悔しさだけが残った。丁度同じ頃、嶋田が皐月賞(GⅠ)に騎乗。更に2ケ月と経たないうちに藤懸が重賞初制覇。同期の活躍は嬉しかったが、自分の立場を振り返ると凡百の思うところがあった。

 冒頭で記したように私は以前、杉原とよく外で会っていた。それがなくなったのが17年。この年、杉原は結婚をしたのだ。

 「結婚生活を助けてくれるように良く乗せてくださるようになったオーナーがミルファームさんでした」

ミルファームの勝負服を着る杉原
ミルファームの勝負服を着る杉原

 最近では杉原の騎乗する馬の多くが同オーナーになっており、先述のビリーバーもその中の1頭だった。

 「オーナーも重賞はまだ勝っていないので、僕が勝って恩返しをしたい気持ちでいっぱいです。それだけにアイビスサマーダッシュは悔しかったんです」

 また、サンクテュエールは師匠である藤沢和雄の馬だった。

 「藤沢先生はグランアレグリアやレイデオロなど、トップホースの調教を僕に任せてくださいました。サンクテュエールもデビュー時から乗せてくださり、最初から良い馬だと感じました」

 先述の福島牝馬Sは、そんな馬との重賞初制覇のチャンスだったという事だ。

 「藤沢先生は来年の2月をもって定年で厩舎を解散します。だからあと何回こんなチャンスがあるかと思うと、自分が不甲斐無くて悔しさが増しました」

 恩人に対する想いをそう述べた後、改めて締めくくった。

 「助けてくださる皆さんのためにも、家族のためにももっと頑張らないと、という気持ちを最近は強く感じています」

 今年の3月に2人目の子供が出来たジョッキーはそう語って、決意を新たにし、今週末のアイビスサマーダッシュに再びビリーバーと共に挑戦する。1年越しの雪辱なるか。注目しよう。

グランアレグリアの調教をつける杉原誠人
グランアレグリアの調教をつける杉原誠人

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)