凱旋門賞の騎乗が決まった武豊。日本のトップジョッキーにとって凱旋門賞とは……

今年も凱旋門賞挑戦が決まった武豊騎手(2018年撮影)

憧れのレースから勝ちたいレースへ

 武豊の凱旋門賞挑戦が決定した。

 昨年の10月、ブリーダーズCに騎乗するためアメリカのロサンゼルスに入った日本のナンバー1ジョッキーと一緒にレストランへ行った。するとそこに偶然、調教師のエイダン・オブライエンが主戦のライアン・ムーアや子息のジョセフ・オブライエンらと来店。挨拶をかわすとこのアイルランドの伯楽は言った。「来年の凱旋門賞では一緒に頑張りたいね!」。それから数カ月後の今年2月、今度は同調教師が管理するジャパンの権利の一部を日本のオーナーが取得した事が発表された。そして、この9月、同馬の凱旋門賞出走と鞍上に武豊が迎えられる事が正式に発表された。

昨秋アメリカのレストランでばったり再会。左からR・ムーア、A・オブライエン、武豊、J・オブライエン
昨秋アメリカのレストランでばったり再会。左からR・ムーア、A・オブライエン、武豊、J・オブライエン

 武豊が生まれたのは1969年。スピードシンボリが日本調教馬として初めて凱旋門賞に挑んだ年だった。名騎手だった武邦彦の二世として幼い頃からジョッキーを目指していた武豊だが、昨年、ソフトライトで挑んだこのヨーロッパ最大のレースに関しては次のように語った。

 「今でこそ誰もが知る凱旋門賞ですけど、僕がこのレースを知ったのは中学生くらいの時だと記憶しています。その後、シリウスシンボリが挑んだ時(86年)はもう競馬学校生になっていたのでよく覚えていますけど、この頃でもまだ日本のホースマン誰もが知るというレースではなかったはずです」

地元フランスの名調教師ルジェが管理するソフトライトで挑戦した昨年の凱旋門賞
地元フランスの名調教師ルジェが管理するソフトライトで挑戦した昨年の凱旋門賞

 天才ジョッキーにとって日本ダービーは「幼い頃から勝ちたいレース」だったが、凱旋門賞はあくまでも「憧れのレース」であり、勝ち負けを意識した事がないのは勿論「乗っている姿を想像した事すらなかった」と言う。しかし、94年にその気持ちが180度変わる出来事があった。

 「意識したのはやはりホワイトマズルで初めて乗った時からですね。社台ファームの吉田照哉さんから直接、騎乗依頼をいただいたのですが『自分で良いの?』という気持ちでした」

 今でこそ世界中で実績を築いている日本を代表するジョッキーだが、当時はまだ25歳。本人が驚くのも頷ける。そして、実際に上手に乗れなかったと語る。3番人気に推されながら6着に終わったレースを次のように述懐した。

 「当たり前ですけど凱旋門賞に関しては何もかも初体験でしたからね。調教師との打ち合わせもうまく出来ないままパドックから馬場入りになってしまい、レース後は随分と批判されました」

今年コンビを組むジャパンの調教風景(2019年撮影)
今年コンビを組むジャパンの調教風景(2019年撮影)

武豊が感じる欧州と日本のズレ

 しかし、日本のトップジョッキーはこんな状況でさえ、エネルギーに変えていく。

 批判されないようにするにはどうすれば良いか?

 そう考えた結果の一つとして、2001、02年のフランス長期滞在を決行したのだ。

 「負けて批判された事で、凱旋門賞はいつか勝ちたいレースになりました。そして、そのためにはどうすべきかを考えて行動するようになりました」

 だから日本国内でいくら良い成績を残すようになってもそれに満足する事なく海の向こうに飛び続けた。声がかかれば世界中どこでも騎乗して、経験を積んだ。やがてヨーロッパでもアメリカでも、トップトレーナーや大オーナーの陣営から騎乗依頼を受けるケースも珍しくなくなった。そして、事あるたびに「勝ちたいのは凱旋門賞」と公言した。

ヨーロッパでは写真のM・テーバーなど大オーナーの馬にも何度も騎乗している
ヨーロッパでは写真のM・テーバーなど大オーナーの馬にも何度も騎乗している

 06年には日本競馬史上最強といわれたディープインパクトと共に挑んだ。しかし「当時、世界一強いと思った」(武豊)この馬をしても先頭でゴールラインを通過する事は出来なかった。

2006年に挑んだディープインパクト。武豊を背にロンシャン競馬場で調教
2006年に挑んだディープインパクト。武豊を背にロンシャン競馬場で調教

 その後もメイショウサムソンやヴィクトワールピサといった日本のG1ホースの背を任されたが勝てなかった。昨年までの8度の騎乗の中には13年、ディープインパクト産駒のキズナで雪辱を期した時もあった。しかし、同馬は善戦するも4着。残念ながら返り討ちにあった。当時、3歳での果敢な挑戦を決行した陣営に感服しつつも、小首を傾げて武豊は言った。

 「3歳でこれだけ走れたのは立派だと思います。ただ、勝ったのも3歳のトレヴ。しかも牝馬なんですよね。牡馬と牝馬の差は1・5キロ(3歳牡馬56キロに対し3歳牝馬は54・5キロ)しかない。日本だと2キロ差あるわけだから凱旋門賞はむしろ牝馬に不利と思えるのに、結構、牝馬が勝ちますよね……」

 これは不思議と続けた後、考えられる理由の一つとして、彼は更に続けて言った。

 「ヨーロッパのレースと日本のレースと両方に乗って“ズレ”みたいのを感じる事はあるんですよね。どちらが強いとか弱いというのではなく、別物というのかな……。ヨーロッパにはヨーロッパのレースの流れがあって、それが日本のレースとは少し違うと言うのか……」

 日本の馬が凱旋門賞に勝てないだけではなく、凱旋門賞で好走した馬がジャパンCで凡走するのも珍しくない事実に、武豊が言わんとしている事が分かるだろう。

2013年に挑戦したキズナ。写真は前哨戦のニエル賞優勝時
2013年に挑戦したキズナ。写真は前哨戦のニエル賞優勝時

コロナ禍での挑戦

 そういう意味で、今年、武豊が騎乗するジャパンはアイルランドの調教馬で、実際にフランスやイギリスでG1を勝っているのだから、このあたりのディスアドバンテージを考慮する必要はない。「近走の結果が少し心配」と武豊が語るように、前々走のキングジョージ6世&クイーンエリザベス女王杯(G1)では3頭立ての3着、前走のアイリッシュチャンピオンS(G1)も6頭立ての5着に沈んだが、伯楽A・オブライエン調教師が面倒を見ているだけに、使ってくる限りは立て直されていると信じたい。

A・オブライエン(左)は競馬場でも顔を合わせれば挨拶をする仲(2005年、イギリスのヨーク競馬場で撮影)
A・オブライエン(左)は競馬場でも顔を合わせれば挨拶をする仲(2005年、イギリスのヨーク競馬場で撮影)

 ここで改めて彼が以前、語った凱旋門賞に対するイメージを記そう。

 「何か根拠があるというわけではないですけど、全く手の届かない存在のレースとは思っていません。いつか勝てる。そんなイメージがあります」

 ただし、虎穴に入らずんば虎子を得ず。乗らない事には勝てないのは疑いようのない真実だ。だから帰国後2週間、競馬に乗れなくなったとしても、武豊は行く。コロナ禍で競馬場へ行けない日本のファンに、朗報が届くのか。世界中で数々の素晴らしい騎乗を見せてきた男の手綱捌きに期待したい。

パリロンシャン競馬場のスタンドからゴール板を見る武豊。先頭で駆け抜けてほしいものだ(2018年撮影)
パリロンシャン競馬場のスタンドからゴール板を見る武豊。先頭で駆け抜けてほしいものだ(2018年撮影)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)