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ジャパンCを優勝した英国リーディング、オイシン・マーフィーの2年前と現在の違いとは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ジャパンCを勝ったO・マーフィー騎手とスワーヴリチャード

アイルランドで生まれイギリスで騎手デビュー

 24日に行われたジャパンC(G1、東京競馬場、芝2400メートル)を優勝したのはスワーヴリチャード(牡5歳、栗東・庄野靖志厩舎)。騎乗したのはオイシン・マーフィー騎手だった。

 私が彼を初めて取材したのは2年前の2017年10月1日、ヨーロッパでの事だった。

 この日、フランスのシャンティイ競馬場で行われたフォレ賞(G1)を勝利したのはアクレイム。その鞍上にはマーフィーがいた。レース後。馬の背の上で立ち上がって両手でサムズアップをみせ、全身で喜びを表現した彼に、後検量の後、話を聞いた。

17年アクレイムで初G1勝利。当時、レース後に話を伺うと……
17年アクレイムで初G1勝利。当時、レース後に話を伺うと……

 「これが僕にとって初めてのG1制覇なんです。やっとG1を勝つ事が出来ました」

 興奮冷めやらぬ火照りの残る表情でそう言った。1995年9月6日生まれだから現在24歳。初G1勝利のこの時はまだ22歳だった。その若さでありながら彼は「やっとG1を勝つ事が出来ました」と口にしたのだ。

 父・ジョン、母・マリア・カロッティーの下、アイルランドのキラーニーで生まれ育った。スポーツ好きなオイシン少年はその一環として4歳にして馬に乗り始めた。幼い頃からショージャンピングにも出場するほどで、物心がついた時にはジョッキーを目指すようになっていた。

 16歳でエイダン・オブライエン厩舎に出入りするようになると、その2年後の13年には騎手デビューを果たした。

 「初騎乗はソールズベリー競馬場で、とても緊張したのを覚えています」

 ここで海外競馬に精通したファンなら「おや?」と思ったのではないだろうか。ソールズベリー競馬場はイギリスにある競馬場。彼が生まれ育ったアイルランドのそれではないのだ。

 「最初からイギリスでデビューするつもりでいました。競馬発祥の地でとにかくまずは無我夢中でハードワークをこなしました」

 ちなみに18年9月には、彼がアイルランドのレパーズタウン競馬場でアイリッシュチャンピオンS(G1)を勝つシーンに立ち会ったが、その時、彼は「アイルランドで勝つのはこれが2度目」と笑いながら言っていた。

ロアリングライオンに騎乗して愛チャンピオンSを制覇。これがマーフィーにとって生まれ故郷愛国での2勝目だった
ロアリングライオンに騎乗して愛チャンピオンSを制覇。これがマーフィーにとって生まれ故郷愛国での2勝目だった

大レースを次々制覇してリーディングジョッキーに

 1年目にいきなり42勝を挙げたが、決して自信があったわけではないと語る。

 「同期のアプレンティス(見習い)は自分を含めて9人だったのですが、当時は何をやっても自分の成績は9番目。だからこそ一所懸命に頑張るしかないと思いました」

 そんな気持ちを持ち続けると、デビュー4年目の16年には自身初めて100勝の大台を突破。そして、その翌年の17年、冒頭に記した自身初のG1制覇となるフォレ賞制覇をやってのけた。デビュー5年目ではあったが、幼い頃から騎手を目指していただけに「やっとG1を勝つ事が出来ました」というセリフが口をついたのだ。

 こうして初めてのG1勝ちをマークすると、その僅か2週間後にはブロンドミーに騎乗してカナダのE・P・テイラーS(G1)を制覇。2つ目のG1勝利を記録。これもまた彼にとっては特別な勝利だったと言う。

 「ブロンドミーのA・ボールディング調教師は僕が見習いの頃から常にサポートし続けてくれた調教師です。彼の馬で勝てた事が嬉しかったです」

 その後の活躍は枚挙に暇がない。ベンバトルやライトニングスペアー、ロアリングライオンらとのコンビで次々とビッグレースを制覇。ロアリングライオンは年度代表馬に選出された。また、今夏、ディアドラを駆ってイギリスのナッソーS(G1)を勝利したのは日本のファンの記憶に新しいところだろう。

今夏のイギリスではディアドラに騎乗してナッソーS(G1)を制覇した
今夏のイギリスではディアドラに騎乗してナッソーS(G1)を制覇した

 そんなマーフィーの活躍は大レースだけにとどまらない。デビュー7年目になる今年まで、前年を下回る勝ち鞍に終わった年は1度もなく、ここ4年はいずれも100勝オーバー。今年は200勝も突破して自身初となるリーディングジョッキーの座を射止めてみせた。

ジャパンC優勝。G1初制覇時と変わった事とは……

 今回、2度目の短期免許での来日となったマーフィーは、ジャパンCでスワーヴリチャードの手綱をとった。3番人気の同馬ではあったが、その鞍上でイギリスの若きリーディングジョッキーは自信を持っていた。

 「調教で2度、乗って状態の良さは感じていました。ドバイでのレースも見て走る馬である事は分かっていたし、左回りが良いのも分かっていたので、ある程度、やれるだろうという自信は持っていました」

 最後の直線ではカレンブーケドールに上手に外の陣地をとられたと思えたが、機転を利かして逃げ馬のインを突くと、一気に抜け出し、先頭でゴールに飛び込んでみせた。

スワーヴリチャードでインを突いてジャパンCを優勝
スワーヴリチャードでインを突いてジャパンCを優勝

 「先頭を行く馬が疲れているのが分かりました。だから“ここしかない!!”と判断して内へ入りました。うまくいきました」

 初来日より前の昨年の秋、オーストラリアで会った時にも彼をインタビューした。その際、将来勝ちたいレースとして、凱旋門賞やケンタッキーダービーと並んで名を挙げていたのがジャパンCだった。そのレースを制し「夢がかないました」と笑顔を見せたマーフィーだが、一息ついた後に話を伺うと、真顔になって言った。

 「これが僕にとって15回目のG1勝ちです。でも、フランキー(デットーリ)は今年だけでそれより多く勝っています。トップジョッキーになるためにはもっともっと一所懸命にやっていかないと駄目だと思っています」

 初めてG1を制した直後に話を伺った時、彼は終始笑みを見せていた。そして「これからも一所懸命にやっていきます!」と言った。あれから2年以上が経ち、今回は日本で初めてG1を優勝した。レース後に言ったセリフは自身初のG1優勝時と同じだが、その表情はだいぶ変わった。今回はただ笑顔を見せるだけではなかった。どうやら若きリーディングジョッキーはまだまだ進化を続け、今後、ますます活躍をしそうだ。その表情を見ていると、そう思えたのだった。

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(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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