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ディープインパクト死す!!! このニュースにエネイブルの主戦・デットーリからも驚きの発言が……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2006年、凱旋門賞のパドックでのディープインパクト。鞍上は勿論、武豊騎手

競走馬として、そして種牡馬として……

 こんなに強い馬は見たことがない。

 当時、そう思った。ライバルを退けた皐月賞。届かない?と思える手応えから突き抜けた日本ダービー。距離不安も相手にせず無敗で三冠を達成した菊花賞。

 1984年のシンボリルドルフの話である。

 前年にはミスターシービーが三冠馬となっていたが、それ以前のトリプルクラウンホースといえば1964年のシンザンまで遡らなければならなかった。シンザンが三冠を達成したのは私が生まれる数ヶ月前。つまり私が初めて見た三冠馬はミスターシービーであり、それまで見てきた中で最も強いと感じたのがシンボリルドルフだった。

 皇帝と呼ばれたシンボリルドルフは先輩三冠馬のミスターシービーとの三度にわたる対決でも全て先着。憎らしいほどの強さで勝ち続けた。

 皇帝がターフを去った後、長らく彼を超えると思える馬は現れなかった。しかし、2004年、ついに史上最強の座に就く新たな王者が出現した。

 ディープインパクトだ。

 最初の衝撃はデビュー戦だった。後にシンボリルドルフ以来の無敗の三冠になるのも納得出来る競馬ぶり。手前味噌になるが、私はこの時点での雑誌のインタビューで武豊騎手にまだ1戦1勝のこの馬について質問をしている。

 2戦目の若駒Sは更に衝撃的だった。4コーナーでもまだ「届くのか?」と思える位置から、直線は鞍上が持ったままにもかかわらずモノ凄い脚で最後は楽々と突き抜けた。

 その後は無敗で三冠を制し、翌06年に春の天皇賞をレコード勝ち、宝塚記念も危なげなく勝利すると、勇躍海を越え、凱旋門賞に挑んだ。

 ヨーロッパ最大のこのレースは休み明けの馬が勝てない事でも有名で、最後に最も間隔を開けて勝ったのは1965年のシーバード。これがサンクルー大賞典以来2ヶ月29日の間を開けながらも優勝していたが、ディープインパクトは更に間隔が開いた状態での挑戦。それでも誰もがこの馬が勝つと疑わなかった。そのくらい抜けた存在だと思われていた。

 結果はレース直前に体調を崩した事もあり地元馬レイルリンクの3位入線(後に失格)となるのだが、当時、フランスのホースマンでさえも「最強はディープインパクト」という人が多数いた事を私はよく覚えている。

 その直後のジャパンCは数々の経験を積む武豊をして「勝たなければいけないという思いで臨んだレース」と言わしめる一戦。そして見事に優勝して、フランスで崩れかけた神話を再び構築し直すと、引退の一戦となる有馬記念も優勝した。

 シンボリルドルフがスーッと先頭に立ったのに対し、ディープインパクトはゴゴゴッと音を立てて先頭を奪った。そんなイメージだった。

 こうして競走馬を引退したが、史上最強馬の物語はそれで終わらなかった。

 種牡馬としても日本競馬の歴史を次々と塗り替えた。いや、彼の産駒は日本以外でもイギリスやアイルランド、フランスにオーストラリアでも重賞を勝利。いちいち列挙していては枚挙に暇がないので割愛するが、サンデーサイレンスがもたらしたスピード競馬全盛期に更に拍車をかけたのがディープインパクトなのは間違いないだろう。彼の出現により日本の競馬はよりスピードを偏重される傾向が強まった。近年の長距離戦が荒れる傾向にあるのも、彼の出現と無関係ではないと思う。良い意味でも悪い意味でも、ディープインパクトは日本の競馬界を変えたのである。

世界中に打電された訃報に、あのデットーリも驚きの発言

 そんなディープインパクトの訃報が飛び込んだ。今年は体調不良で種付けを中止していた事は知っていたが、聞くところによると7月29日の午前に起立不能となり、翌朝の検査の結果、頸椎骨折が判明。回復の見込みが立たない事から安楽死処分がとられたようだ。

 私がこのニュースを耳にしたのは取材に訪れていたイギリスでの事だった。この日、F・デットーリ騎手と話す機会があったのだが、彼の方から「ディープインパクトが死んだんだって?!」と言ってきた。日本の最強馬のニュースは、世界中に打電されていたのである。更に彼は続けた。

エネイブルとF・デットーリ騎手。写真は先日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスS勝利時
エネイブルとF・デットーリ騎手。写真は先日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスS勝利時

 「自分は2度、ディープインパクトと戦ったけど、彼は素晴らしい馬だった。凱旋門賞では不運な事に彼は負けてしまったけど、僕の馬(シックスティーズアイコン)では全く勝負にならなかった。ジャパンCではウィジャボードが子供扱いされた。ウィジャボードはプリンスオブウェールズSを勝つほどの馬で、海外遠征でもアメリカのブリーダーズC(フィリー&メアターフ)や香港ヴァーズを勝っていた。でも、ディープインパクトには全くかなわなかったよ。あの時代、世界で最も強い馬の1頭だった事は間違いないだろうね」

 シンザンが35歳、シンボリルドルフが30歳で逝ったのに対しディープインパクトはまだ17歳で旅立った。こんなところまで早くなくて良いのに……と思ったのは私だけではあるまい。競走馬として、そして種牡馬として飛び続け、我々ファンに多くの思い出を残してくれたディープインパクト。どうか天国ではその翼を畳み、ゆっくりと休んでいただきたい。君は日本競馬界が生んだ最強の馬。そして、宝だった。沢山の衝撃をありがとう。

2006年、凱旋門賞のパドックでのディープインパクト
2006年、凱旋門賞のパドックでのディープインパクト

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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