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オーストラリア競馬、愛すべきホースマンたちのサイドストーリー

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
11月7日、豪州フレミントン競馬場で行われたメルボルンCの1周目、スタンド前。

メルボルンC勝利ジョッキーに駆け寄った3人の女性の正体は……

 11月、第一火曜日の午後3時。毎年、オーストラリアではメルボルンCのスタートが切られる時間であり、今年は7日の同時刻にゲートが開いた。

 私は約1カ月前に現地入り。かの地で9月1日から11月25日まで行われているスプリングカーニヴァル(南半球のため季節が日本と逆であり、現在は春)という競馬開催を取材してきた。

 そのカーニヴァルの主要レースの1つが先述のメルボルンC。芝3200メートルのG1で、レースが行われるフレミントン競馬場のあるヴィクトリア州では“メルボルンCデー”という祝日になる。祝日にはならない他州でも、レースの時間は学校なら授業中、職場でも仕事の手を休めて皆でレースをテレビ観戦するのが慣わしとなっており、“国の動きを止めるレース”とさえ言われる一大イベントだ。

これが「メルボルンC」。このカップを目指し、今年は23頭の出走馬が覇を競った。
これが「メルボルンC」。このカップを目指し、今年は23頭の出走馬が覇を競った。

 今年、このメルボルンCを制したのはアイルランドからの遠征馬リキンドリング。調教師のジョセフ・オブライエンは騎手時代も本場イギリスのダービーを2勝するなど、多くのG1を制したが、背が高く体重管理に苦労。早々に調教師に転身し、24歳という若さでこの大レースを勝ってみせた。ちなみに2着ヨハネスフェルメールを管理するのはジョセフの父であるエイダン・オブライエン調教師であった。

 この1、2着は共にロイドとニックというウィリアムズ親子が馬主として所有する馬。とくに父のロイドは古くからメルボルンCを勝つことを最大の目標として馬を持っている人で、今回の勝利が2年連続、6度目の優勝となった。

リキンドリングが制した今年のメルボルンCのゴールシーン。内にいるヨハネスフェルメールも同じウィリアムズオーナーの馬なのでもちろん勝負服も同じだ。
リキンドリングが制した今年のメルボルンCのゴールシーン。内にいるヨハネスフェルメールも同じウィリアムズオーナーの馬なのでもちろん勝負服も同じだ。

 そのロイドに「直接、電話をして乗せてもらえるように頼んだ」というのがリキンドリングに騎乗したコリー・ブラウン騎手の下に、レース直後、駆け寄ってきた3人の女性がいた。

現在41歳のブラウンは09年にもこの大レースを勝っており、今回が2度目の戴冠。

 「8年の間には色々あったので、本当に嬉しい勝利となりました」

 当日のパドックで初めてパートナーに騎乗してわずか10数分後には全豪中の注目を集めた彼はそう言う。“色々”が何なのかを改めて問うと、次のように続けた。

 「オーストラリアの競馬に嫌気がさして海外へ行ったけど、そこでも色々あったからね……」

 具体的な話には口を閉ざしたが、騎乗契約を突然打ち切られたり、遠征先のフランスではなかなか騎乗馬が確保できなかったり、それどころかシンガポールでは禁止薬物使用疑惑で長期騎乗停止処分を受けたりしており、8年という期間が決して順風満帆ではなかった事が分かる。

 そんなブラウンに、メルボルンC直後に駆け寄った3人の女性は20歳のマディー、18歳のチャーリー、16歳のホリーだ。

 彼女達はブラウンの愛娘である。

 ブラウンは目を細めて、言った。

 「09年に勝った時、彼女達はまだ10歳前後だから競馬場にも来ていなかった。今回はメルボルンCが何かも分かっているし、私が何をしているかも分かっている。そんな彼女達に見守られて勝てたことが、1番うれしかったです」

リキンドリングに騎乗し、自身2度目のメルボルンC制覇を成し遂げたC・ブラウン騎手。
リキンドリングに騎乗し、自身2度目のメルボルンC制覇を成し遂げたC・ブラウン騎手。

フランスからの遠征馬の誕生秘話

 そのメルボルンCでは日本のファンにも懐かしい顔があった。フランスの名騎手オリビエ・ペリエだ。

 ペリエは今回、フランスからの遠征馬ティベリアンに騎乗し、初めてのメルボルンC騎乗を果たした。

 ティベリアンの父はティベリアスカエサル。この種牡馬名を聞いてすぐにピンとくる人はなかなかいないのではないだろうか……。

 検疫厩舎のあるウェルビー競馬場で生産者のJ・インスに話を伺う機会があった。

 「父馬は1度、他の馬主に売ったんです。でもG3を勝ったし、血統的には優秀だから買い戻した馬なんです」

 もっとも引退後は種牡馬ではなくアテ馬として繋養していたのだという。

 「だけどあまりにかわいそうに思えてね。それで1回だけ私が所有している繁殖牝馬に種付けさせてあげた」

 その結果、生まれてきたのがティベリアンだった。5走前からペリエが手綱をとると本格化。後にブリーダーズCターフを勝つタリスマニックに連勝して重賞を勝つなど活躍。その後も重賞をさらに2連勝し、オーストラリア入りしたのだ。

メルボルンC前日には街の目抜き通りでパレードが行われる。出走馬関係者としてペリエ騎手も参加した。手前はティベリアンのA・クエティル調教師。
メルボルンC前日には街の目抜き通りでパレードが行われる。出走馬関係者としてペリエ騎手も参加した。手前はティベリアンのA・クエティル調教師。

 しかし、結果は残念ながら7着。ペリエに問うと、日本向けのコメントを発してくれた。

 「外枠(23頭立ての21番)で終始外を回らされる形なのによく走っているよ。ディープインパクトじゃないからあれだけ外を回って勝つのは難しかったね」

 とはいえ、本来なら生まれて来ないはずだった馬でメルボルンCに参戦できたのだからそれだけでありがたいことだとその表情は語っていた。

本来なら生まれてこなかったはずのティベリアンとその鞍上は自身初のメルボルンC騎乗となったオリビエ・ペリエ騎手。
本来なら生まれてこなかったはずのティベリアンとその鞍上は自身初のメルボルンC騎乗となったオリビエ・ペリエ騎手。

競馬があるから病にも負けない少年オーナー

 ヒュミドールもメルボルンCに出走していた1頭。左にササる癖のある同馬は直前に走ったコックスプレートでもササッてしまったが、それでも勝ったウィンクスと馬体を並べてゴール。これで15のG1を含む22連勝、コックスプレート3連覇を達成したウィンクス相手にそれだけのパフォーマンスを見せたのだからメルボルンCでも注目される存在となった。

 レース3日前に行われた枠順抽せん会では、共同オーナーの1人であるノア・ジョンストン君がクジを引いた。彼は2002年生まれだから現在15歳。しかし身長は1メートル前後しかない。異形成症という病が原因だそうだ。母親のアリース・ジョンストンさんは言う。

 「彼は競馬に対し素晴らしい情熱と知識を持っています。過去にも何頭も持っていて、競馬は彼にとって宗教のようにあがめられる存在なんです」

 病気のことには全く触れずにそう語る姿勢に「病におかされても競馬のお陰で幸せに過ごせている」という気持ちが窺えた。

 結果、ヒュミドールは19着に敗れたが、ノア君は言う。

 「ダレン(ウィアー調教師)に指名していただき枠順抽せん会のクジも引けたので、とてもハッピーでした。またメルボルンCに参加したいです!!」

異形成症にも負けず、明るい笑顔で枠順抽せんに臨んだノア・ジョンストン君。愛馬のヒュミドールは勝てなかったが、彼の表情から笑みが絶えることはなかった。
異形成症にも負けず、明るい笑顔で枠順抽せんに臨んだノア・ジョンストン君。愛馬のヒュミドールは勝てなかったが、彼の表情から笑みが絶えることはなかった。

女性調教師、涙の理由

 その枠順抽せん会は、11月4日の競馬終了後に行われたが、同じ日のレースで1つ面白い光景があったので、最後に紹介しておこう。

 この日の最終に組まれたマルチプレイヤーS(G2)が終わった直後、1人の女性がインタビューを受けた。興奮して涙ながらにまくしたてる彼女はユダイタ・クラーク。同レースをリッチチャームで勝利した女性調教師兼馬主だ。マイクを向けられた彼女は取り乱して早口でまくし立てた。

 「今日、競馬場に着いたら周囲の馬は皆、大きいのに私の馬はこんなにも小さくて、とてもかないそうにないから競馬に使わないで帰ろうと思いました。

 皆は『大丈夫、勝てる』って声をかけてくれたけど『なぜ?』としか思いませんでした。私は調教師なのにまったく自信を持てなくて、本当に何度、帰ろうとしたことか……。

 プレッシャーで胃も痛くなって、『(ウィンクスを管理している)クリス・ウォーラーは毎日どうやって過ごしているの?』って思ったわ……」

 100頭以上を預かる大調教師がいる中、彼女が現在、管理しているのは僅か9頭。1994年に調教師となってから24年間で挙げた勝ち鞍の84も決して多くない。昨シーズンは5勝で今シーズンは2勝だが、この7勝のうち4勝はこの日、勝利したリッチチャームで挙げたものだ。

 しかし、同馬に騎乗したパトリック・モロニーは言う。

 「クラークさんほど馬を愛している人は珍しいから、もっと報われてしかるべきだ。彼女は馬に問題があれば馬房に1週間、寝泊まりするのも苦にしない。彼女の馬で重賞を勝てたことは私にとっても大変うれしいことなのです!!」

 ちなみに自己条件に登録しようと思っていた彼女を説得し、重賞に挑戦させたのもこのジョッキーであった。

 ユダイタ・クラークとリッチチャームが今後G1戦線で活躍することを期待したい。

ユダイタ・クラーク女性調教師兼馬主(向かって左)と彼女の馬であるリッチチャームを見事に重賞ウイナーへ導いたパトリック・モロニー騎手。レース直後、クラーク師は涙ながらにモロニー騎手に抱きついた。
ユダイタ・クラーク女性調教師兼馬主(向かって左)と彼女の馬であるリッチチャームを見事に重賞ウイナーへ導いたパトリック・モロニー騎手。レース直後、クラーク師は涙ながらにモロニー騎手に抱きついた。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし、Text&Photo=SATOSHI HIRAMATSU,協力=川上鉱介)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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