米国の大学、ナチス占領下パリのユダヤ人の生活をデジタルマップで再現:生存者らの証言やデータを基に

(写真:ロイター/アフロ)

 米国ペンシルバニア大学でフランス研究の教授のMelanie Peron氏は、ナチスに占領されていたフランスのパリのデジタルマップを制作している。ナチスに占領されたパリでは、多くのユダヤ人が連行され、アウシュビッツなどの絶滅収容所などで殺害された。またパリに身を潜めたまま終戦を迎えた人や、ホロコーストを無事に生き延びることができたユダヤ人らもいる。

ホロコースト犠牲者の曾孫も祖母と協力

 当時、パリに住んでいた人たちやユダヤ人の生存者らの証言を基に、Peron氏はナチス支配の1940年のパリをデジタルマップで復元しようとしている。デジタル化された地図上に、当時のパリに住んでいた人たちの家や物語をプロットする。証言集やデータ、写真などは南カリフォルニア大学ショア財団のビジュアル・ヒストリー・アーカイブからも提供される。そしデジタルマップ上に当時のパリの様子やユダヤ人らの写真や証言をプロットし、どのような人々が、どのような生活をしていたのか証言を基に再現できるようにして、「ビジュアル・ヒストリー・マップ」としてパリでのホロコーストの歴史教育などに活用しようとしている。現時点では全世界には公開はされていない。

 彼女のクラスの学生にKyra Schulman氏がいる。彼女の曽祖父Ephim Chapiro氏は、第2次大戦時にパリで生活していたユダヤ人で、アウシュビッツに連行されて殺害されてしまった。Chapiro氏は収容所に連行される列車が出発する直前に、妻に「危険だから身を潜めろ」と言い残していたため、妻は生き延びることに成功。

パリに住んでいて殺害されたChapiro氏の身分証。「ユダヤ人」の赤いスタンプ(南カリフォルニア大学ショア財団提供)
パリに住んでいて殺害されたChapiro氏の身分証。「ユダヤ人」の赤いスタンプ(南カリフォルニア大学ショア財団提供)
Chapiro氏の娘のChapiro氏と曾孫のKyra氏(南カリフォルニア大学ショア財団提供)
Chapiro氏の娘のChapiro氏と曾孫のKyra氏(南カリフォルニア大学ショア財団提供)

「当時パリで暮らしていたユダヤ人らの生活をデジタルマップで再現したい」

 Peron氏は「生き残った人たちの証言を基に、当時パリで暮らしていたユダヤ人らの生活をデジタルマップで再現したい」と語っている。また、ホロコーストの犠牲になったChapiro氏の曾孫でペンシルバニア大学の学生のKyra Schulman氏は、Peron氏のクラスを受講しており、デジタルマップ制作には彼女の祖母のYvette Schulman氏ら家族で協力している。Yvette Schulman氏は12歳の時に父がアウシュビッツに連行された。戦後はアメリカで生活。

 Kyra氏は「父を連行され殺害された祖母が泣き出してしまうから、幼い時には、ホロコーストの話を祖母にすることはタブーだった。このクラスは私にとって、学問としても、プライベートな問題としても重要」とコメントしている。16歳でホロコースト博物館に行った時にホロコーストに関する考え方は変わり、彼女は祖母から多くの当時の資料や写真をもらって、デジタルマップ制作に協力している。

当時のフランスの1%未満のユダヤ人、情報も少なく

 第2次大戦時のフランスの人口は約4300万人で、ユダヤ人は約30万人(そのうち外国籍ユダヤ人が21万人)。ナチス時代のパリではユダヤ人差別や連行などが行われ、現在でも映画やドラマ、本などで当時のフランスのユダヤ人の物語は残っておりインパクトもあるので、物凄く大がかりだったイメージがある。

 だが当時のフランスでのユダヤ人はフランス人口の1%以下で、実は非常にマイナーな存在だった。特に1941年から本格化したユダヤ人狩りによって、多くのユダヤ人が連行され、殺害され、戻ってこなかった。そのため、当時の情報やデータ、写真などを収集することは決して容易なことではない。当時のパリでのホロコーストの様子を知っている人々も高齢化が進み、デジタルマップに反映するための証言をとれなくなってしまう。これから数年が勝負だ。

▼ナチス占領下のフランスでのホロコーストの様子を描いた映画「黄色い星の子供たち」

▼ナチス占領下のパリでのホロコーストの様子を描いた映画「サラの鍵」