イタリアの司教が「ポケモンGO」を「歩く屍」「ナチスの全体主義システム」と批判

(写真:アフロ)

イタリアのシチリア島のアントニオ・スタグリアーノ司教が「ポケモンGO」に夢中になっている人を見て、「歩く屍(Walking dead)」のようだと2016年8月に批判していた。また「多くの若者らがキャラクター探しに夢中で、疎外化されてしまった」と嘆いていた。

まるで「ナチスの全体主義」のようだ

また司教は「ポケモンGO」がイタリアだけでなく世界規模でブームになっている様子が「非常に不愉快」で、まるで「ナチスのような全体主義システム(totalitarian system like Nazism)」のようだとも批判していた。政治学的に全体主義とは非常に幅広い概念が包含されるが、「圧倒的な権威を持つ1人の個人や1つの党派が支配して、その国家が管理するメディアによるプロパガンダで国民を支配している」ように見える様子が「ポケモンGO」が全体主義システムのように映るのだろう。イタリアなのに、ムッソリーニのファシズムに例えないで、ナチスに例えているところがイタリアらしい。そこにはナチス時代にもユダヤ人をこっそりと守り抜いて、当時イタリアにいたユダヤ人の80%は終戦後まで生き抜くことに成功させたイタリア人たちのプライドとナチスに対する嫌悪感が現れているのだろうか。閑話休題。

「ポケモンGO」を痛烈に批判したシチリアのこのスタグリアーノ司教は、ミサ中に人気歌手のノエミ(Noemi)やマルコ・メンゴーニ(Marco Mengoni)らのヒット曲を演奏したりすることで有名らしいので、イタリアのメディアも司教の発言に飛びついていた。さらに司教は「ポケモンGO」禁止を求めて訴訟を起こす用意もあると報じられていた。それでもだいぶ下火にはなったものの、イタリアでも「ポケモンGO」は若者らには大人気で有名な司教の言葉も若者らには届かなかったようだ。

「歩く屍(しかばね)」から「本当の屍」にならないで

たしかに「ポケモンGO」は世界規模で一気に普及して、多くの人がいっせいに屋外でスマホを見ながら、しかも特定の場所に、特定の時間に集中するなど異様な光景が世界中で見られた。誰もが背中を丸めて、スマホを見ながらゲームに熱中して周囲が見えなくなっている様子は、たしかに司教に「歩く屍」のようだと指摘されるのも理解できる。日本でも突然、夜の公園にスマホを持った人たちが集まってきた光景は異様で、ゲームをやらない人にとっては不気味な集団ですらあった。

もっとも「ポケモンGO」がブームになる以前から、歩きながらスマホでFacebookやWhatsAppをチェックしたり、動画やゲームを楽しんでいる、いわゆる「歩きスマホ」をしている人はイタリアだけでなく世界中にいた。「ポケモンGO」以前から、背中を丸めてスマホを見つめながら歩く「歩きスマホ」の異様な姿は「ゾンビ」などと海外では形容されていた。

「ポケモンGO」が普及してイタリアでも世界でも「歩きスマホ」での事故やトラブルが増加している。「歩きスマホ」は神経がスマホに集中しているので咄嗟の判断や俊敏な動きができなくなり、衝突や交通事故にも巻き込まれやすい。「歩きスマホ」に夢中になって事故に巻き込まれて、「歩く屍」から「本当に屍」にならないように注意したいものだ。「歩く屍」も不気味なので、いなくなってもらいたいものだが、「ポケモンGO」も「歩きスマホ」も命がけでやるものではない。