Facebook、ドイツと欧州で「ヘイトスピーチ削除」に向けてベルテルスマン子会Arvato社と提携

(写真:ロイター/アフロ)

ドイツ政府は2015年12月、Facebook、Google、Twitterにおいてヘイトスピーチを発見した場合「できる限り24時間以内に削除する」ことで合意したことを明らかにした。各社は書き込みの内容を確認してヘイトスピーチと判断したら24時間以内に削除することが求められている。ドイツでは、ヘイトスピーチは刑法上の犯罪で、最長で禁錮3年の実刑が科せられる。

Facebookはベルテルスマン子会社Arvatoへ委託

Facebookは2016年1月15日、ヘイトスピーチの書き込みを削除することで、ドイツの大手出版社ベルテルスマンの子会社であるArvatoと提携した。Arvatoでは約100人のメンバーがFacebookの書き込み内容を確認して、ヘイトスピーチに該当する内容を削除していく。

Facebookは世界で15億人以上が利用しているソーシャルメディアであり、ドイツではドイツ人だけでなく中東からの移民・難民も多く利用しており、コミュニケーションのプラットフォームとなっている。

ドイツのメルケル首相も2015年9月にFacebookに対して、ヘイトスピーチ、人種差別発言の投稿について対応の強化を促していた。またFacebookもドイツ政府と協力してネット上でのヘイトスピーチ、人種差別発言に対して削除などを行っていくことを表明していた。

ケルンの事件での不安と怒り

ドイツでは2015年にはシリアや中東を中心に110万人もの移民が流入している。

2015年12月31日、ケルンでは若い男性集団が女性たちを取り囲んで金品強奪や性的暴行事件が650件以上も発生した。被害に遭ったと警察に届け出た女性は600人以上に達した。加害者には難民申請者が多いことから、大聖堂でお馴染みのケルンの街で新年を祝うためのお祭りが、ドイツ史上に名を残すような大事件になってしまった。

第二次大戦中にナチスによるユダヤ人やロマの迫害から、ドイツでは難民・移民に対して寛大であり、受け入れる経済的余力も他のヨーロッパ諸国よりはある。しかし、このケルンでの事件を契機に、ドイツでは移民・難民に対する不安と怒りはピークに達し、移民や難民受け入れに反対を表明する人が増加した。日常の生活が移民や難民に脅かされている危機を感じている人が多く、その警戒心は日々大きくなっている。

たしかに第二次大戦中のドイツ人によるユダヤ人、ロマへの迫害と虐殺はドイツ人として負い目はある。当時のナチスドイツは、反ユダヤのイデオロギーを掲げて合法的にユダヤ人を差別、迫害した。そして現在と違ってメディアや正しい情報も少なかったことから、あまりに不合理なヒトラーの唱えた似非優生学、民族神話やユダヤ陰謀説を馬鹿げたものと思っていたとしても、最終的にはドイツ国民は受け入れてしまった。つまり、ユダヤ人を完全抹殺するというヒトラーの理想がドイツにおいて広く共有され、その結果として欧州で600万人ものユダヤ人やロマを殺害した。

当時一部のユダヤ人は経済力があったものの、ユダヤ人側からドイツ人に対して暴力や日常生活における迷惑行為があったわけではない。その逆でドイツ側が一方的に多くの人間を動員し、ドイツ民族の生活圏からユダヤ人を効果的に排除するために、ユダヤ人を組織的に抹殺した。そのためドイツ国民としてのユダヤ人迫害、ホロコーストへの負い目と反省もある。しかし当時のナチスドイツと現在のドイツでは状況が異なる。

ナチスドイツの時代と異なる現在のドイツ

今まで散歩していた公園や道に難民や移民がいると怖いから出かけられない、夜一人で歩くのは危険だから外出できない、など今までと生活が変わってきている。被害に遇った女性の家族らは難民や移民に対する怒りを隠せない。また、これから家族が事件や犯罪に巻き込まれるのではないかという心配と強い警戒感がある。ナチス時代にこの心配をしていたのはユダヤ人である。

またドイツ人だけでなく、以前にドイツにやってきた中東やアフリカからの移民らは、自分たちの仕事を新たに来た移民や難民に奪われるのではないかという不安を持っている人も多い。新たに来た移民や難民は生活基盤の安定のために仕事が欲しいから、安い賃金でもいいから働きたいと思っているので、以前からドイツにいた移民らにとっても脅威である。

ヘイトスピーチの意識がなくとも、そのような日常の不安、怒り、不満をFacebookやネットに書き込み、それに同調する人も多く、それらの書き込みは、あっという間に拡散されていく。「日常の不安、怒り、不満」は表現の自由の領域かもしれない。そのような日常生活の些細な想いを発した発言・言論の効果を査定するのは困難であろう。どこからが「ヘイトスピーチ」で、どこまでが「日常の不平不満」なのか。その線引きがこれからは難しくなる。そしてその判断をFacebookと委託先Arvatoはどのように判断するのだろうか。