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核兵器禁止条約に関わる問いに答える

佐藤丙午拓殖大学国際学部教授/海外事情研究所所長
(写真:アフロ)

○核兵器禁止条約とは

 2022年6月21日に、オーストリアのウィーンで核兵器禁止条約の締約国会議が始まった。2017年に122カ国の賛成(反対1、棄権1)で成立した条約は、その後5年を経て、86カ国が調印し、65カ国が批准するまでに至った。同条約は2021年1月22日発効している。コロナの関係で第1回締約国会議の開催は延期されたが、事態が落ち着き、様々な国際会議が対面で開催されるようになる中で、ようやく条約で規定された会議の開催が可能になった。

 核兵器禁止条約の意義は大きい。これまで核兵器問題については、核不拡散条約(NPT)の下で進められてきた各措置が大きな役割を果たしてきた。それゆえにNPTの方が条約としても知名度は高い。2022年8月に開催予定の運用検討会議には、岸田首相も参加すると報じられている。しかし、NPTの本来の目的は核兵器の不拡散であり、三本柱の一つとされるも、核軍縮に関する内容は乏しい。

 NPTの第6条で、各締約国は「核軍備競争の早期の停止」、「核軍備の縮小に関する効果的な措置」、さらに「全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について」、誠意ある交渉を行うことが義務付けられている。条約上核兵器の保有が許される核兵器国に限っても、核軍縮ではなく、核軍縮に関する措置を、誠実に交渉することが規定されているだけで、核廃絶は義務付けられていない。

 核兵器禁止条約を推進した勢力が、核兵器国を含むNPT締約国の第6条に対する関与の不足を批判して、この条文の内容を「補完」し、核兵器の全面的廃絶を規定する条約が必要であるとした主張は、納得できる。また、NPT参加国の怠慢を非難する市民社会集団の主張にも評価すべき点は多い。不拡散の先に核廃絶の目標を置き、それに向けた取り組みを加速させることには、国際社会から多くの賛同が得られている。

 しかし、核兵器禁止条約への参加の有無と、核兵器廃絶の願いは関係ない点は見落とされがちである。核兵器禁止条約成立直後、NPTを軽視する意見が多数表明され、禁止条約が国際社会の分断を加速させることへの懸念が高まった。締約国会議の場でも、NPTと核兵器禁止条約の補完関係を強調する意見が表明されている。核兵器禁止条約は核廃絶への唯一の道ではなく、この条約によらずに核兵器問題に取り組む国家や人々は、一部の極端な意見に深く傷つけられてきた。

○核兵器禁止条約の問題点

 核廃絶の目標に賛同することと、核兵器禁止条約に参加することは、同一平面で語るべきものではない。核兵器の廃絶には多くの方法がある。核兵器禁止条約では、条約の作成者の個性を反映したのか、核廃絶の手続きに多くの条文を割いている。したがって、もし、核兵器国が核兵器禁止条約に参加し、核兵器を廃絶することがあるとすれば、この条約は最終段階の「手続き」を明確にしたという以上の意味はない。

 しかも、この条約の作成過程で核兵器国の参加なしに手続きを検討したため、法的な手続きは詳細だが、廃絶に伴う各種措置は十分に検討されていない。米露の軍備管理条約等では、軍備削減等に伴う措置の厳密さが特徴であるが、核兵器禁止条約ではその点が曖昧にされている。これは、本当は核兵器国が賛同し、実際に核廃絶の段階に進むことを想定していなかったのではないかと思えるほどの内容となっている。

 さらに大きな問題は、核兵器禁止条約は、核廃絶への道筋を示しておらず、核廃絶が可能になる軍事的、政治的、経済的課題については、何も語っていない。

 多くの人が、核兵器国などが「核兵器なき世界」を目指すとしながら、核兵器禁止条約に参加しないのはなぜか、と疑問を持っているだろう。締約国会議での議論を見ていると、その答えの一端を理解することができる。締約国会議では、核兵器がもたらす人道上の危機に警鐘が鳴らされ、条約の法的正統性が確認された。そして、多くの代表が条約の意義と、その道徳的優位性を説いている。

 しかし、そもそも、核兵器がなぜ必要とされているのか、そして核兵器国や核の拡大抑止の下にある各国が、なぜその立場を主張し続ける必要があるのか、つまり核兵器の安全保障政策上の価値を認めた上で、その問題に現実的に対処する方策について言及する代表は少ない。たしかに、核兵器が「一瞬にして」完全に廃絶されれば、核兵器に由来する安全保障上の危機も消滅するだろう。ただそうしたとしても、核兵器が再び世の中に復活することを完全に阻止はできず(核兵器禁止条約でも、原子力の平和利用を、各国の奪い得ない権利だとしている点からも想像できるように)、「核兵器なき世界」は「戦争がない世界」にはならない。

 核兵器はロシアのウクライナ侵攻を抑止できなかったとする批判がある。実はこの批判は二重におかしい。まずウクライナはNATO加盟国ではなく、米国の拡大核抑止の範囲の外にあり、NATO側はロシアの核兵器の恫喝に抑止され、ウクライナに直接的な支援を実施できなかった。つまり、核兵器の存在と戦争の発生は無関係である。核兵器は、核抑止に関わる戦略論の論理の中で、安定化装置として機能する。その機能をどのように代替させるかは、重要な課題である。

 たしかに、核兵器禁止条約には、それに取り憑かれれば、「核兵器なき世界」に到達できると信じさせる魔力がある。ただその魔力は、各国の安全保障を高める効果を持たない。

○核兵器は安全保障を高めるのか

 つまり、核兵器禁止条約には、様々な課題がある。条約推進派の多くもそれを認めており、条約は「核兵器なき世界」を目指す上での、一つのピースに過ぎず、各国の安全保障を犠牲にしてまで条約に参加することが必要とは主張していない。NPTにおいても、核兵器保有を条約上許可された中国とフランスが、92年まで条約に参加していない。軍備管理軍縮は、各国の安全保障政策の一部を構成するため、たとえ道徳的に優れていたとしても、安全保障を犠牲にする条約への参加はあり得ない。

 前提条件を無視して条約参加を主張する政治勢力は、おそらく条約を正確に理解できていないか、あるいは政治的な思惑を優先しているだけだろう。ただ、軍備管理軍縮では、ある意味で雑多な意見が交錯するのは自然な状態であり、核兵器禁止条約が特別なわけではない。

 核兵器禁止条約の意義を理解する上で、やはりこの条約の特色を理解する必要がある。そしてそれが、一般に広がるこの条約への疑問に答えるものとなる。

 まず、唯一の被爆国である日本は、なぜ核兵器禁止条約に参加しないのか、という疑問に答えてみたい。日本は被爆国であるがゆえに、核兵器の悲惨さを訴える理由がある。ただ同時に、被爆国になった経緯から、戦争における核兵器の意義を理解できる国でもある。

 戦争における核兵器の意義は複雑である。たとえば、広島と長崎への原爆投下が、第二次世界大戦における日本の敗北受け入れにつながったかどうかは、歴史家の間では評価が分かれる。もし原爆投下と日本の降伏に因果関係があるとするならば、戦争における核兵器の意義を評価することにつながり、その逆の場合は、核兵器の悲惨さは爆弾の規模の問題であり、爆弾の性質ではないという見方につながる。

 冷戦期をへて、核兵器の爆発の規模が甚大になり、核戦略が精緻化されたことを考えると、次に核兵器が使用される場合には、さらに大きな被害が生じ、その政治的効果は極めて大きくなることが予想される。したがって、核兵器の被害を知る日本は、各国が兵器の政治的効果を利用する誘惑に駆られるであろうことも、十分理解している。そのような状況が予想される中では、一方的な措置は平和と安定を損なう。日本は核兵器保有国や潜在的に核兵器の保有を希望する国が納得しない限り、核兵器廃絶(核兵器による政治的効果の戦略的及び戦術的利用)を一方的に進めることが危険であることも理解しているのである。

 核廃絶は段階的に進むため、非核兵器国であれば核兵器禁止条約に先に参加することに問題はないではないかという主張もあるだろう。非核兵器国は、NPTの下でも核兵器保有の権利を放棄しており、核兵器禁止条約に参加しても実態に変化はない、と指摘される場合もある。

 しかしそこには大きな問題がある。非核兵器国が非核兵器国にとどまっているのには、幾つもの前提条件が存在する。日本やNATO諸国の多くが非核兵器国にとどまる背景には、やはり米国の核による拡大抑止の存在や、英国やフランスの核保有などにも支えられていることから、域内全体の対象とする核戦略を通じて安全が守られているという、安心感が存在する。米国の拡大核抑止の外にあるインドやパキスタン、イスラエルなどが独自の核保有を目指した背景には、この安心の欠如があり、ウクライナがNATO加盟を熱望した背景にも、米国による確証を求める動機があったことは言うまでもない。

○日米関係と核兵器禁止条約

 したがって、日本が核兵器禁止条約に参加しないのは、米国に気をつかっているため、とする主張は完全に間違いである。核兵器禁止条約には、締約国は拡大核抑止を通じた安全の確保を否定するように解釈される条文がある。第一条の(e)では、「この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき,いずれかの者に対して,援助し,奨励し又は勧誘すること」とあり、(f)では「この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき,いずれかの者に対して,援助を求め,又は援助を受けること」が禁じられることになる。

 条約推進派は、日本が条約に参加しても、拡大核抑止のもとで安全を確保することは問題ない場合があると主張する(拡大核抑止を提供する国と、その対象国が条約非締約国であるため)。これは、「友釣り」戦略と呼ばれる。核兵器国による核兵器の活用を制限する上で、核の傘の提供を中止させ、その上で核兵器の唯一目的化や先制不使用を受け入れさせれば、論理的には核兵器を使用する局面はほぼなくなる。このため第一段階として、同盟国から拡大核抑止の提供を断らせれば(核兵器禁止条約に参加させれば)、段階を経た後、核兵器国も核兵器を廃絶する方向に向かう、という長大な戦略なのである。

 この戦略に誘惑される人は多い。しかし日本は、現在の戦略環境のもとで、米国の関与を求める状態にあり、米国が核兵器禁止条約に否定的なためにそれに追従しているのではなく、日本の安全保障の確実性を高めるために条約に参加しないのである。

 日米安保条約では、第5条に「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という条文がある。日本が核兵器禁止条約に参加し、核抑止の役割を自ら否定している状況がもし生まれるのであれば、米国は拡大核抑止の行使において、それを尊重する可能性が出てくる。拡大核抑止を自ら拒否した国に強制的に「核の傘」を提供するのは、非常に奇妙な状況である。そのような状況へと自ら追い込むことは、日本の安全保障に貢献するものにはならない。

○核兵器禁止条約の夢

 このように、合理的に考えると、日本が現時点で核兵器禁止条約に参加する意義はない。ただし、締約国会議などにオブザーバー参加をしない理由はなぜかと問われる場合がある。これには資金面などの問題もあるが、大きな理由として、核兵器禁止条約推進派の「熱意」もある。

 2017年の条約成立の際、NATO諸国から唯一オランダが会議に参加し、条約の問題点を訴えた。しかし、オランダの意見は条約の条文に反映されることなく、条約に反対票を投じた唯一の国になった。このとき、オランダの現実的な意見は無視されたのである。

 それを考えると、特に条約が発効し、核廃絶の法的な可能性が見えた状況のもとでは、冷静な議論は期待できないだろう。条約推進派は、核廃絶の法的な可能性に没頭し、その政策上の課題に目を向けない。それは現時点では当然のことかもしれないが、安全保障政策に責任を持つ各国の政治指導者は、条約推進派と同じ「熱意」にとらわれることは、極めて危険である。もし日本がオブザーバー参加をするとしても、「熱意」が冷め、条約の現実的な改正を含め、核兵器禁止条約の参加国内で政策議論が開始できるようになってから、が望ましいだろう。

 締約国会議には、NATO加盟国の一部がオブザーバーとして参加している。日本はなぜそのように振る舞えないのか、と嘆く声も聞こえる。ただ、条約推進側が、唯一の被爆国である日本がこの条約に参加していないことの意味を理解できるようにならなければ、条約改正に向けた動きも始まらないだろう。

 ただ最後に、核兵器禁止条約の夢を語りたい。国際社会のすべての国が条約に参加した後、最後に日本と米国が核兵器禁止条約に参加する案はどうだろう。中国やロシア、北朝鮮などが核兵器を完全に廃棄した後、日本は長崎で、そして米国は広島で、その順に条約調印を行い、核兵器の時代を終わらせるのは、象徴的な意味でも意義はないだろうか。

 願いとしては、核兵器の時代の幕開けがその二都市から始まったのであれば、時間を逆転させ、幕引きもその二都市であってほしいと思う。

                                   以上

拓殖大学国際学部教授/海外事情研究所所長

岡山県出身。一橋大学大学院修了(博士・法学)。防衛庁防衛研究所主任研究官(アメリカ研究担当)より拓殖大学海外事情研究所教授。専門は、国際関係論、安全保障、アメリカ政治、日米関係、軍備管理軍縮、防衛産業、安全保障貿易管理等。経済産業省産業構造審議会貿易経済協力分科会安全保障貿易管理小委員会委員、外務省核不拡散・核軍縮に関する有識者懇談会委員、防衛省防衛装備・技術移転に係る諸課題に関する検討会委員、日本原子力研究開発機構核不拡散科学技術フォーラム委員等を経験する。特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の自律型致死兵器システム(LAWS)国連専門家会合パネルに日本代表団として参加。

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