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"冬彦さん"佐野史郎が明かす"ママ"野際陽子との最後の会話【野際陽子物語】

笹山敬輔演劇研究者
冬彦さんは蝶の標本をコレクションしていた(写真:イメージマート)

先月、令和の時代に「冬彦さん」がツイッターのトレンド入りしたと話題になった。TBSの『クイズ!THE違和感』のなかで、1992年放送のドラマ『ずっとあなたが好きだった』のダイジェストが流れ、佐野史郎演じる冬彦に注目が集まったのだ。マザコンでオタクの「冬彦さん」は放送当時、新語・流行語大賞に選ばれるほどの社会現象となり、冬彦を溺愛する母親役の野際陽子と佐野は、役者として新たな境地を開いた。トレンド入りしたのは、二人の怪演が今なお強烈な印象を与えるからだろう。

だが、企画段階では、二人の役はけっして大きな役でなく、これほどの人気ドラマになるとは誰も思っていなかった。冬彦はどのようにして生まれたのか、「母」野際陽子との関係はどうだったのか、佐野史郎に語ってもらった。

「冬彦はそういう子なんだ」

ガッシャーン。大きな音をたて、冬彦が路上に停めてある自転車に倒れ込んだ。人差し指からは赤い血が流れている。母親がすぐに駆け寄り、冬彦の指をなめた。

子離れできない母の表現として、野際が事前に監督と相談し、了承を得ていた演技である。だが、次の瞬間、佐野がその指をじっと見つめ、自らなめ返した。完全にアドリブだ。野際はこのとき、「冬彦はそういう子なんだ」と思ったという。

佐野は「狙ってました」と語る。ドラマ全体としてみると、アドリブが多かったわけではなく、セリフを変えるときはあらかじめ話し合い、リハーサルもきっちり行っていた。だが、このときばかりは、佐野の狙いが見事にハマった。そのシーンを機に、二人の役がどんどん膨らんでいく。「冬彦さん現象」のはじまりである。

金曜ドラマ『ずっとあなたが好きだった』は、『ロミオとジュリエット』のような純愛ラブストーリーとして企画された。賀来千香子演じるヒロインの美和が、エリート銀行員の冬彦とお見合い結婚をした後、偶然再会した初恋相手のもとへ走る。佐野はプロデューサーの貴島誠一郎から「それでもヒロインが悪者にならないようにしたい」と相談され、脚本家やディレクターとともに、冬彦の人物像を掘り下げていった。

当時はバブル崩壊の真っ只中で、今まで信じていたものが壊れていく、そんなリアリティが視聴者にもあったと思うんです。これは家族の物語ですが、冬彦には父親がいません。父の不在が何を意味しているのか。歴史をさかのぼると、家族のこと、国家のこと、戦争責任のこと、もっと言えば天皇制に行き着くかもしれない。もちろんストーリー上にはいっさい出てきませんが、バックボーンとしてそこまで議論しました。

佐野はそれまでの役者人生で学んだことの全てを冬彦に注入した。野際や賀来と夜中に電話で翌日のシーンについて話し合い、演技をぶつけた。佐野は相手役としての野際の演技を次のように語る。「何でも受けとめ、思いっきり返してくださる。倍返しですよ。本当に楽しかったですね」

ドラマの終盤に冬彦は美和との離婚を承諾する。だが、母から強く反対され、冬彦は母を刺してしまう。最終回、勾留された冬彦が美和と面会するシーンでは、佐野が自らセリフを提案した。

台本では、愛してたけど愛し方が分からなかったという自己弁明みたいなセリフだったんですけど、「僕はもう、モノになりたい、機械になりたい」に変えてもらいました。稲垣足穂が書いた『機械学宣言』とか、ウルトラヴォックスというパンクバンドの曲「I Want to Be a Machine」とかが好きだったもんですから。でも、ゴールデンタイムのドラマで、こんなにマニアックでアートなことをしていいんだって、むしろ驚きました。スタッフと共演者で互いに世界観を共有していたからこそ、できたんでしょうね。

純愛ドラマは思わぬ方向に展開し、初回は13%だった視聴率が、最終回では34.1%を記録する。フジテレビのトレンディドラマの全盛時代に、TBSの『ずっとあなたが好きだった』はエポックメーキングな作品となった。

人生最後のキス

翌年、続編ともいえる『誰にも言えない』が制作され、今度は野際と佐野が義理の親子になった。昔の恋人にストーカー行為を繰り返す佐野の怪演が話題を呼び、これまた大ヒットした。このとき、二人はキスシーンを演じている。「久しぶりのキスシーンだからって、野際さんがお酒を飲んでたことを覚えてます。緊張されてて、かわいかったなあ(笑)」。けっしてロマンチックではなく、薄暗がりに怪しい音楽が印象的なシーンだった。

90年代のTBSドラマは、貴島誠一郎プロデュースのドラマが「貴島組」と呼ばれて次々にヒットを飛ばし、一時代を築きあげた。野際と佐野はその多くの作品に出演し、「貴島組」の顔となった。

自然発生的に「貴島組」という映画の組のようになっていきましたね。出演してないドラマでも、参加している感覚がありました。たまたま登場シーンがないだけで、ドラマの空間のなかで、別の役柄を生きているんだろうなって。だから、出てなくても寂しいと思ったことはないです。

佐野は野際とプライベートでも関係が続き、「第二の母」と慕う。いつの間にか、現実とフィクションを超えた人間関係が生まれていた。その後、共演する機会は減ったが、離れていても会ってないとは感じなかった。

しばらく田舎に帰ってなくても、家族のことを忘れたりしないじゃないですか。それに近い感覚かな。あれから30年、共演したみんなを忘れたことはないです。

野際が亡くなる数ヶ月前、『ダブル・キッチン』で共演した山口智子、坂井真紀と4人で食事会を開いた。会話は弾み、歴史の話をしたかと思えば下ネタが飛び出す。話題は戦争の話に及び、野際はワインを飲みながら、自らの歴史観を語った。疎開体験について、戦争責任について、戦争の愚かさについて。

飲みながらでも、そういうシリアスな話をできる共演者はなかなかいないですから。野際さんは明るく楽しそうにしながら、そういう思いを腹の奥底に秘めて演じてらした。冬彦のときも、互いに語らずとも、息遣いのなかで感じられたのは大きかったですね。野際さんとはそれが最後の会話になりましたから、余計に重く受けとめています。

野際が逝去した2日後、佐野はブログに思いを綴った。

野際ママ…身体はなくなっても、作品の中ではまだ生きてるよ。

そういや、ドラマの中とはいえ、人生で最後にキスしたのが僕でゴメンなさい。

(文中敬称略)

〈参考文献〉

・佐野史郎『こんなところで僕は何をしてるんだろう』角川書店、1998年

【この記事は北日本新聞社の協力を得て取材・執筆しました。同社発行のフリーマガジン『まんまる』に掲載した連載記事を加筆・編集しています。】

演劇研究者

1979(昭和54)年、富山県生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。専門は日本近代演劇。著書に『演技術の日本近代』(森話社)、『幻の近代アイドル史――明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(彩流社)、『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)、『興行師列伝――愛と裏切りの近代芸能史』(新潮新書)。最新刊に『ドリフターズとその時代』(文春新書)。

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