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元祖「悪女女優」野際陽子が生前語っていた「悪女の条件」【野際陽子物語】

笹山敬輔演劇研究者
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

今年の大晦日の『第72回NHK紅白歌合戦』は、「紅組司会」「白組司会」「総合司会」の呼び方がすべて「司会」に統一された。ジェンダー平等が重視される時代に応じて、『紅白』も大きく変わろうとしている。総合司会に初めて女性が起用されたのは1988年の第39回、男女雇用機会均等法が施行された2年後だった。それまでの約40年間、総合司会はすべて男性が務めている。

野際陽子がNHKのアナウンサーだった時代には、女性がアシスタントでしかなく、天気予報や子どもニュースばかりで、まともなニュースは読ませてもらえなかった。彼女は自分の可能性を試すべく、26歳のときにNHKを飛び出した。その後、彼女はいかにして女優になったのか。

大江健三郎からカストロ議長まで

野際を「もっとも戦後的な女性のひとり」と記したのは、まだ新進作家だった大江健三郎である。大江は雑誌で連載対談を行っており、そこに野際が登場したときのタイトルは、「美人アナウンサーの自己主張」だった。当時は、同じくNHKのアナウンサーだった高橋圭三が、43歳でフリーアナウンサーになったばかりである。若い女性が自らの職場に不満を感じて同じコースを選ぶ、それだけのことが勇敢な自己主張に見えたのだ。

NHKを退社後、野際は博報堂でスライドや映像を使って企画を説明するプレゼンターの仕事に就いた。NHKの給料月2万円に対して、週3日勤務で月6万円という好待遇である。お金を貯めて、いずれパリに留学するつもりだった。その一方で、雑誌の取材に「ドラマにも出たい」と語っており、女優への転身も視野に入っていた。

ところが、プレゼンターの仕事が始まる前に、TBSの情報番組『女性専科』の司会役をオファーされた。『女性専科』は資生堂がスポンサーになり、主婦層をターゲットにしてファッションや暮らしの情報を届ける番組である。毎日午前11時から15分間の生放送で、毎回ゲストを招いてインタビューを行った。アシスタントではなく、彼女が番組の進行からゲストの選択までを担う。ゲストは定時制高校の学生から政治家まで幅広く、資料で確認できる有名人ゲストには手塚治虫や藤子不二雄、音楽家のジョン・ケージなどがいる。

NHKでは、アナウンサーは個性のない存在だった。そのことをコンプレックスに感じたこともある。だが、フリーになってからはむしろ個性が求められた。野際は意欲をもって仕事にのぞむが、その一方で、女性ならではの悩みも抱えていた。

司会者が女性である場合、男の人ならいってもおかしくないようなことでも、女性がいうと生意気に聞こえたり、誤解されたりしやすいので、女性の司会というのはとてもむずかしいと思うんです。

出典:『週刊平凡』1962年6月21日号

実際、新聞のテレビ評には、美人を鼻にかけているとも書かれた。戦後のリベラル派を代表する知識人の大江ですら、自己主張する若い女性の登場を喜ばしいとしながら、「いくらかの恐怖」を感じると書く時代である。女性が対等な立場で話を聞くことがいかに難しかったか。ロールモデルがいないなかで、野際は女性司会者という未開拓の分野を切り拓いていった。その上品で洗練された司会ぶりは好評で、番組は5年続いた。

彼女は女優になってからも雑誌やテレビでインタビュアーの仕事を受けている。最も大きな仕事は、1977年に放送されたテレビ朝日『水曜スペシャル』にレポーターとして出演し、キューバでカストロ議長への日本人初の単独インタビューを実現したことだろう。

強く生きるのが「悪女」

知的でクールなイメージをもつ野際に目をつけ、女優として初めて起用したのが、TBSの大山勝美だった。大山は入社以来ずっとドラマ畑を歩み、『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』を手がけるなど、ドラマのTBSを築いた人物だ。大山は、高橋和巳原作の『悲の器』をドラマ化した際、主演である佐分利信の若い婚約者役として野際を抜擢した。大山は彼女の演技を次のように記している。

彼女、アナウンサーだから、セリフを語尾まではっきりいいすぎるクセがあったけど、その役はセリフが多くないし、先生に尊敬のまなざしを送る理知的でつつましい感じがあればよかった。佐分利信も「彼女はいいですね」とホメていた。あの人、あまりそういうこといわない人なんだけど。それで彼女も自信をもったところがあると思う。

出典:『週刊文春』1983年1月27日号

10代の頃から女優に憧れていた野際は、27歳にして念願の女優デビューを果たす。当初は専門的な訓練を積んでいない演技が揶揄され、その後も話題性先行の起用が続いた。必然的にオファーされる役も、彼女のイメージを活かした役が多い。

2作目の梶山季之原作『赤いダイヤ』は、商品先物取引のアズキ相場を舞台に、相場師の戦いをコメディタッチで描いた連続ドラマだった。野際は主人公を手玉にとって利用するヒロイン・井戸美子を演じた。知的でコケティッシュな役が野際にピタリとハマったのだろう。ドラマは高視聴率を記録し、役柄と実生活を混同して次のように評されている。「野際陽子という女優は、美貌を鼻にかけた、高慢チキで冷たい女だ」、「現代的な知性美と悪女的な色気を感じさせる新しいタイプの女優だ」(『キネマ旬報』1964年3月上旬号)。

野際は井戸美子役をきっかけに、一躍「悪女女優」と評されるようになっていった。だが、悪女とは何か。つまりは、知的で自己主張する女が、男たちにとっての悪女だったのではないか。悪女とはその時代の女性観を反映した存在だろう。野際は自らが演じる役を次のように解釈していた。

でも、悪女って、なんでしょうかね。どんなにいい人でも、悪いところもあるし。男がやれば〝かい性〟といわれることでも、女がやれば悪女になってしまう。だから、いまの悪女は、生きることに強い女という感じですね。

わたくしとしては、すごく弱いところがある人間が好きです。反省もしなければ悩みもしない人なんて、なんだか、気味が悪いみたい

出典:『週刊読売』1967年6月9日号

女が自立して強く生きようとすれば悪女になる。野際はフリーアナウンサーとして活動しながら、そのことを身に染みて感じていたのだろう。女優野際陽子は生涯にわたって、自立して生きる女の強さと弱さを演じていった。

(文中敬称略)

【この記事は北日本新聞社の協力を得て取材・執筆しました。同社発行のフリーマガジン『まんまる』に掲載した連載記事を加筆・編集しています。今回の続きとなる最新回は12月9日発行の『まんまる』に掲載しています。】

演劇研究者

1979(昭和54)年、富山県生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。専門は日本近代演劇。著書に『演技術の日本近代』(森話社)、『幻の近代アイドル史――明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(彩流社)、『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)、『興行師列伝――愛と裏切りの近代芸能史』(新潮新書)。最新刊に『ドリフターズとその時代』(文春新書)。

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