アメリカと日本でクジラを追った日本人漁師「人生に悔いはなし」

日米で捕鯨に携わった和歌山県の漁師、脊古輝人さん

日本とアメリカ両国で捕鯨に携わるというユニークな経験を持つ和歌山県の漁師が、30年以上に渡ってクジラと共に行きた人生を振り返った。アメリカで捕鯨が全面禁止になった1970年代初め、最後の捕鯨船に乗っていたという彼の証言から、アメリカの捕鯨の驚くべき事実が明るみにされた。

国際会議で声を上げた日本の漁師

2014年スロベニアのポートローズで開かれた国際会議、IWC国際捕鯨委員会で一人の日本人漁師が声を上げた。和歌山県太地町でスジイルカやゴンドウクジラなど小型鯨類を捕獲する追い込み漁に30年間携わってきた脊古輝人(せこ・てると)だ。「追い込み漁は、長い歴史を持つ誇り高き漁業なのです。どんな嫌がらせにあっても決して追い込み漁を止めないことをここに宣言致します」。世界およそ90カ国の代表の前で、脊古は堂々と決意表明をした。

追い込み漁とは、複数の船でイルカやクジラの群れを囲み、鉄管を叩いて音の壁を水中につくって入江に追込む漁法。網で入江を閉じ、最後は突き棒で捕殺する。その様子は、外国のドキュメンタリー映画の題材となり、隠しカメラが捉えた真っ赤な血の海の映像は国際社会で大きな反響を呼んだ。以来イルカ漁反対を訴える海外のNPOは、世界各地で抗議運動を展開している。

脊古の家系は、太地で代々捕鯨に携わってきた。古式捕鯨が盛んだった江戸時代から、戦後は南極海の捕鯨船の看板長や砲手を勤めた捕鯨の名家だ。3人兄弟次男の脊古輝人は高校を卒業後アメリカ西海岸に渡り、1960年代終わりから3年ほど捕鯨船の乗組員として働いたことがあるというユニークな経歴を持っている。

アメリカ最後の捕鯨船

捕鯨は、かつて欧米でも巨万の富を生む基幹産業だった。マッコウクジラなど大型のクジラから燃料として使う鯨油を採るのが目的だった。アメリカの捕鯨の最盛期19世紀半ばには、750隻の捕鯨船で4万人を雇用していたという。各国が漁場を変えながら競って獲ったため、20世紀になって大型クジラの数は激減した。

アメリカで最後の捕鯨船に載っていた当時の脊古さん
アメリカで最後の捕鯨船に載っていた当時の脊古さん

1971年にアメリカで海洋哺乳類保護法が施行されて商業捕鯨が全面禁止になった頃、捕鯨船はサンフランシスコ近郊にわずか3隻しか残っていなかった。脊古はそのひとつ、デニス・ゲイル号で乗組員として働いていた。脊古らが捕獲したのは、主にナガス、イワシ、マッコウクジラ。給料は、捕獲したクジラの体長1フィート当たりおよそ2ドル40セント単位で支払われた。だからずんぐりしているよりも、細長いクジラを獲る方が良い収入になったという。

鯨肉は砕いてペットフードの材料に

獲ったクジラは、巨大な筒の中に頭から飲み込まれ、粉々に砕かれた。「それがものすごい音ですよ、 ぴしゃぴしゃと。もう最初はね 恐ろしくて後ずさりしました」と脊古は当時を振り返る。砕かれた肉は、ドッグフードなど動物の餌になった。「もったいないですよね」日本から来た鯨類研究者は、それを聞いて「血だけでも分けて欲しい」と言ったそうだ。ペットフードのラベルには無邪気なクジラの絵とともに、メルビルの小説「白鯨」の原題「モービー・ディック」の名前がついている。今からわずか50年前、偉大なクジラがペットフードの材料だったことは、アメリカでも殆ど知られていない。「クジラを救え!」と声高に唱えている活動家たちがこのラベルを見たらどう思うだろうか。

鯨肉を原材料として使ったペットフードのラベル
鯨肉を原材料として使ったペットフードのラベル

捕鯨船を降りた後、脊古はロサンゼルスに住んで庭師の仕事についた。庭師と言っても実際はアメリカ人が飼う犬の糞の始末が主な仕事だったが、生活のために10年近く続けた。1978年、弟の博文がやってきて、太地で一緒に鯨を獲ろうと誘う。アメリカの生活に未練が残り、家族も帰国を嫌がった。しかしその時、捕鯨船デニス・ゲイル号の船長の言葉を思い出した。「好きな仕事を一生懸命したら、必ず金は入ってくる。でも嫌な仕事を続けても金は入ってこないし、身体はなまってくる。だからそれだけは辞めておけ」脊古の心の中で、またクジラを追いたいという強烈な思いが湧いてくる。そして14年住んだアメリカを後に、帰国を決意した。

日米でクジラを追った人生に悔いなし

小学生の頃から、イルカなどを突きに沖に出る父を見ながら、いつか自分もクジラ捕りになるのが夢だった。日本とアメリカでクジラを追うという特異な経験を持つ脊古にとって、捕鯨はまさに男の仕事なのだと目を輝かせる。日本へ帰って自分が大好きな仕事を続けられて幸せだったと。アメリカを離れたがらなかった妻にも、心残りはない。「帰ってきてよかったと思います。(夫が)自分の好きな仕事をしてるから」。

日米でクジラを追った人生に悔いなし、と語る脊古さん
日米でクジラを追った人生に悔いなし、と語る脊古さん

脊古は、追い込み漁の船を降りて漁師を引退し、クジラとともに生きた人生を振り返る。そして、同じようにクジラを追って一生を終えた父の喜佐夫の墓に刻まれた墓碑銘を思い出してつぶやいた。「俺の人生に悔いなし」と。

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