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ジョニー・デップ裁判:アンバー・ハードの意見記事、背後にいた人たちの罪深さ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
元夫ジョニー・デップと裁判で争うアンバー・ハード(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ジョニー・デップが名誉毀損裁判で訴訟した相手は、DV被害者を名乗って意見記事を書いた元妻アンバー・ハード。だが、名前を出していないとはいえ、読めば誰でもデップのことだとわかるその記事が「Washington Post」に掲載されたのには、ほかの人たちの思惑と計算があったことが裁判で明らかになった。そもそも、あの記事を企画したのは、アメリカ自由人権協会(ACLU)。記事を書いたのも、ハードではなくACLUのスタッフだったのである。

 ACLUは長年女性の権利のために闘ってきた、すばらしい非営利団体。世間や政治家に向けてメッセージを送るのも、活動内容のひとつだ。この意見記事の案も、性別にもとづく暴力(gender based violence; GBV)を撲滅しよう、そのために議会で話し合いをしてほしいと伝えるために出てきた。

 しかし、知らない人が書いた真面目な記事は、読んでもらえることがあまり期待できない。何かおいしい部分がないと、メディアも掲載してくれないだろう。そこでACLUは、結婚中、デップからDVを受けていたと主張してきたハードに、女性の権利とGBVのアンバサダーにならないかと持ちかけ、記事を書いてもらうことにしたのである。

 彼女の人選には、お金の目的が絡んでいたとも思われる。デップとの離婚で700万ドルをもらえることになった時、ハードは全額を半分ずつ、ふたつの団体に寄付すると発表した。その寄付先のひとつとして彼女が挙げたのがACLUだったのだ。ハードは今もなお約束の金額を寄付していないのだが、記事の企画が出た2018年秋の段階では、デップが直接払った10万ドルや、ハードと付き合っていたイーロン・マスクが彼女のために払ってあげた50万ドルなど、何度かACLUに入金があった。この後も寄付があるとあてにしていたACLUは、女性のために闘う人物というイメージを与える手助けをし、ハードに良い気分になってもらうのが得策だと考えたのではないかと憶測される。

 ハードにしても、乗らない手はなかった。その年の12月には彼女の出演する「アクアマン」が公開されるし、その直前に良い印象を植え付けておけば、彼女を支持する人たちが映画を見にきてくれるかもしれない。だが、著者にハードを持ってくるなら、読者が期待するような、彼女ならではのことが入っていないと面白くない。それで、彼女のゴーストライターを務めたACLUのスタッフは、当初、「元夫に対し接近禁止命令を出した」など、もっと具体的にデップだとわかる文章を入れていた。しかし、デップとハードの離婚条件には、過去について公に話さないという取り決めが入っていたため、記事をハードの弁護士に見せる必要があり、結果的にもう少し無難な表現になった。それでもハードは、「可能であればそういった具体的な部分を入れ戻したい」と言ってきたこともあると、ACLUのCOO、テレンス・ドーティは証言している。

編集者にも「デップに暴力を受けた女性の記事」として売り込んだ

 ドーティによれば、意見記事の売り込み先の候補には、「New York Times」、「Teen Vogue」、「USA Today」も挙げられていたという。「Washington Post」で行こうと決めると、ACLUのスタッフは、「アンバー・ハードが書いた記事にご興味はありませんか?結婚している時、彼女がジョニー・デップから暴力を受けたことは覚えていらっしゃいますよね?」と編集者にメールを送った。

 それはたしかに編集者の興味を惹き、「Washington Post」は記事の掲載に了承した。だが、彼らは、記事を書いたのが本当にハードなのかと尋ねることはしなかったようだ。聞いたところでACLUから本当の答が返ってきたかどうかはわからないが、そのおかげで、著名人を装ってゴーストライターが自分たちのメッセージを伝えるために書いた、いわば広報記事が、格式高い一流紙の意見記事欄に掲載されることになってしまったのである。普通ならばありえないことだ。

 この記事は狙い通り話題になり、「Washington Post」はアクセス数を稼げた。そしてACLUは、そのアクセスの数だけ、自分たちが伝えたかったメッセージを読んでもらうことができた。ハードは「アクアマン」を前に、自分の存在をアピールすることができた。

「アクアマン」のプレミアに出席したアンバー・ハード。ハードはこの映画に合わせて意見記事を出した
「アクアマン」のプレミアに出席したアンバー・ハード。ハードはこの映画に合わせて意見記事を出した写真:ロイター/アフロ

 だが、それはすべて、デップがハードに暴力をふるっていたという一方的な主張のもとに成り立っていたのである。この記事が出た数日後、デップは、自分が「パイレーツ・オブ・カリビアン」6作目から外されたと知った。ハードは、デップが役を降ろされたのはそれ以前から行動に問題があったからだと記事との関連を否定している。今回の裁判の大きな争点はここにある。

 この裁判を起こした当初、デップは「Washington Post」も被告に挙げていたが、後に取り下げ、ハードだけを相手にすることにした。ACLUを訴訟することはしなかったものの、デップの弁護士は「ACLUはミス・ハードと一緒に陰謀を企んだのです」と述べている。女性のために闘ってくれるのはありがたいし、「女性を信じる」という姿勢は基本であるべきだ。ACLUはおそらく、純粋にハードの言い分を信じていたのだろう。だが、今回の場合、それは正しかったのか?

 記事が出た後、ハードは一度も寄付金を払ってきていないともドーティは証言する。あのコラボレーションは、結果的に良いことより不幸を多く生んだ。ここまでの裁判を見てきて、今、ACLUは、自分たちが加担したことの大きさを痛感しているのではないだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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