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ジョニー・デップが語る、アンバー・ハードがベッドに人間の糞を置いた時のこと

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ジョニー・デップとアンバー・ハードの名誉毀損裁判で、これまで知られていなかった多くのことが明らかになってきた。

 裁判は、ハードが2018年に「Washington Post」に寄稿したDV被害者としての意見記事をめぐるもの。記事の中でハードはデップを名指しこそしていないが、それが誰を指すのかは明白であるとして、デップはハードに対し5,000万ドルを要求する名誉毀損訴訟を起こした。それを受けて、ハードはデップに対し1億ドルを求める訴訟を起こしている。

 パンデミックのせいで延期になったこの裁判は、今月11日、ようやくヴァージニア州フェアファックスで開始。今週はデップが3日間にわたって証言台に立ち、彼の側の話を陪審員たちに話した。その中では、ハードが離婚申請をし、デップに接近禁止命令を与えた一連の出来事の詳細が見えてきた。裁判の模様は、CourtTVでライブ配信されている。

 それまでも毎日のように衝突していたふたりだが、離婚へ進むきっかけを作ったのは、2016年4月22日のハードの誕生日だ。その夜、ハードは、友人を呼び、仲の良いシェフにメキシコ料理を作ってもらってお祝いをした。もちろんデップもメンバーに入っていたが、この頃、デップは大変な状況にあった。自分の懐事情が最悪だという衝撃の事実を知り、お金の管理をする会社をクビにしたばかりだったのである(その翌年、デップはこの会社を訴訟している)。

 それは彼にとって将来を左右する重大事項。ハードの誕生日当日も、デップは複数の会計士たちと長いミーティングを持つことになった。8時半からのパーティに遅れるとわかっていたデップは、その日、何度もハードにテキストメッセージを送っている。やっとミーティングが終わり、すぐにそのことを伝えると、ハードは「ワインとマリファナを持ってきて」と返信をしてきた。だが、言われたとおりにワインとマリファナを持ち、1時間45分遅れで到着したデップに、ハードはとても冷淡な態度を取ってきたのだ。そしてゲストが全員帰ると、暴言を浴びせかけてきた。

 ハードのそんな行動を見て信じられない思いだったと、デップは述べる。「自分はずっと仕事をしてきたのだからお金は十分あると思っていたのに、実はなかった」というショッキングな事実に直面していた夫に対し、ハードは一緒に心配をしてあげるどころか、誕生日パーティに遅れてきたと責めたのだ。「それは、アンフェアで子供じみた行為。あまりに小さい」とデップは思った。

 すっかり妻に失望したデップは、黙って寝室に行き、ベッドに横たわって本を開いた。しかしハードは彼を追いかけてきて、「あなたはあてにならない」など、あいかわらず責めたて続けた。それでもデップが無視を続けると、彼女はデップが寝ている側にやってきて、暴力をふるい始めたという。我慢の限界にきたデップは、彼女の正面に立ち、彼女の肩に手を置いて、「出ていくから。追いかけてくるな」と言って、家を出ようとした。ハードはそれを阻止しようとし、デップが「俺をぶちたいのか?」と言うと、2度、彼の顔をなぐった。そんな彼女を後に、デップはウエストハリウッドに昔から所有する家に向かった。

ハードの仕返しは「グロテスクすぎて笑った」

 その日以来、デップはハードとしばらく連絡を断った。次に彼女に会ったのは、5月21日と、1ヶ月先だ。

 その間、彼は、ハードと住んだロサンゼルスのダウンタウンにあるペントハウスに、自分の物を取りに行こうとした。誕生日のすぐ後の週末、ハードが友人とコーチェラ音楽祭に行くとわかっていたので、その留守を狙い、家の管理をする人に「今日、行こうと思う」とデップは連絡を入れた。すると意外なことに、「今は来ないほうがいいです」と言われたのだ。理由を聞くと、今度は写真が送られてきた。それは、ペントハウスの寝室にあるベッドの写真。デップがいつも寝る側には、人間の糞が置かれていた。それを見て、デップは笑ったという。「あまりに極端で、ありえないこと。すごくグロテスク。笑うしかない」とデップは振り返る。

 その頃、デップは、もうひとつ深刻なことに直面していた。病気の母が入院生活を送っていたのだ。母は、5月20日、ロサンゼルスの病院で息を引き取った。幼い頃、自分にいつも言葉や肉体の暴力を与えた母だが、亡くなったことはショックで、デップはいろいろなことを深く考えるようになった。そしてデップは、ハードに「離婚したい」と伝えたのである。ハードから受けたDVについては言わない、あくまで穏便に離婚しようと彼は言った。だがハードは「直接会って話したい」と言い、翌21日、彼はペントハウスを訪れた。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 久しぶりにデップに会うと、ハードは、ベッドの上の糞のことを持ち出し、あれは犬がやったことだと言った。しかし、彼らの犬はどちらも体重が2キロ程度の小型犬で、あれは絶対に犬のものではないとデップは断言した。そこでまたハードが叫んで騒ぎ始め、デップは自分の荷物をまとめて出ていった。

 その直後、デップは、バンドのツアーのためロサンゼルスを後にした。すると23日、ハードが自分のほうから離婚を申請してきたのである。さらに27日、デップが出演する「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」の公開日を狙って、ハードは、デップにDVを受けていたとし、接近禁止命令を申請した。顔にあざのあるハードの写真が「People」誌の表紙をはじめあらゆるところに出回る中、ツアーでヨーロッパにいたデップは、何をすることもできなかった。

離婚の時も、本当は「徹底して闘いたかった」

 そんなふたりの離婚は、2017年1月13日に正式に成立した(デップはこの日が13日の金曜日だったことを記憶している)。離婚の協議を進めている時、デップは「彼女の言っていることに真実はないのだから、徹底して闘いたい」と主張したのだが、弁護士チームに反対された。醜い争いを長引かせるよりも、ここは我慢して早く決着をつけたほうがいいと弁護士らは思ったのだろう。デップはハードに700万ドルを払うことに合意し、ふたりの共同声明が公に発表された。その共同声明は、デップが書いたものではない。「でもあなたは承認したのですね?」と聞かれると「選択肢は与えられなかったから」とデップは語っている。

 離婚条件の中には、このことについて公に語らないということが入っていたが、ハードはその後すぐそれを破り、しかも、名指しはしていないとはいえ、「Washington Post」にDVを受けていたとする記事を書いた。それでデップは、今度こそ徹底して闘うことにしたのである。

 この名誉毀損裁判で、デップの勝ち目は微妙だ。ハードが名指しをしなかったことはひとつのハードルになるし、イギリスのタブロイド紙を相手にデップが起こした名誉毀損裁判でデップが負けたことも、ハード側の自信となっていると思われる。反対尋問で、ハードの弁護士は、デップはドラッグやアルコールに依存しており、事実をきちんと覚えていないのではないかという角度から攻撃してきた。来週月曜にもデップの反対尋問が続き、その後はハードが自分の視点から同じ出来事を語ることになる。そこでは、デップにとって好ましくない話がいろいろ出てくることだろう。

 だが、彼は、この裁判を起こすことで、少なくとも自分の「真実」を公に向けて語ることができたのだ。それまでは一方的にDV加害者の濡れ衣を着せられ、「離婚後、このことについて話さない」と約束をしていたせいで、反論することもままならなかった。デップにとってこの裁判は経済的にもキャリアの上でも大きなリスク。それでも、人々に真実を伝えられたというだけで、彼にとっては意味があるのかもしれない。陪審員たちは、そして世間の人々は、この争いにどんな判断を下すことになるのだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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