大人気コメディアン、ジム・キャリーが、アメリカ時間17日、60歳の誕生日を迎えた。彼は、自身のツイッターで、動画とともに「I’m old but I’m gold!」と自らの誕生日を祝っている。

 ここのところ、以前に比べるとビッグスクリーンでお姿を拝見することは減ったものの、テレビ番組をプロデュースしたり、コメディ番組「Saturday Night Live」でジョー・バイデンを演じて大好評を得るなど、まだまだ大活躍中。パンデミック直前に公開された映画「ソニック・ザ・ムービー」も、全世界で3億ドルを売り上げる大ヒットになった。

 近年は、政治風刺画アーティストとしても注目されている。絵は完全に独学。トランプや共和党の政治家を強烈に批判する絵をツイッターに投稿しては、話題を集めていった。

 だが、2018年にロサンゼルスのギャラリーで個展を開いた後は、ややスローダウンしている。「ソニック〜」アメリカ公開時の筆者とのインタビューで、キャリーは「人々に警告を与えるのは、僕にとってすごく大事なこと。それを、芸術的かつ楽しい形でやりたい。僕らは今、大事なものを失おうとしている。それは、正直さ。それを失ったら終わり。絵はやりがいがあるが、大変でもあった。しばらくすると、それが僕の体の中にまで入ってきて、ヒビが入ってくるように感じた。もうこれ以上はやれないかなと思ったんだよ」と語っていた。

 このように幅広い分野で活躍するキャリーだが、実はかなりの苦労人だ。カナダはトロント郊外のニューマーケット生まれ。4人きょうだいの末っ子。本人いわく、コメディのセンスは父親譲りだ。

「父は世界で一番おもしろい男。父がいると部屋のムードが変わるんだよ。みんな父がやってみせることを喜んでいた。それを見て、僕も『これは楽しいぞ』と思ったのさ。今、僕は、それをもっと大きいスケールでやっている。時々、自分のジョークを見て日本の観客が笑い転げている状況を想像したりするよ。それが、『もっとやりたい』という気持ちにさせてくれるんだ」と、2005年の筆者とのインタビューで語っている。

 彼が愛するその父は、トロントのオーケストラでサクソフォン奏者を務めていた。家族のために安定した収入を求め、会計士へと転職したのだが、経営者が新しくなったのをきっかけに、51歳で失業。一家は車で寝る生活を強いられ、高校生だったキャリーも夜間清掃員として働き、家計を助けた。

「父は、好きなことがあったのに、家族のためにそれを諦めたんだ。だから、失業したのはなおさら辛かった。僕は、そのことから学んでいる。先がどうなるのかどうせわからないのなら、やりたいことをやるべきなんだと」(2005年のインタビューより)。

2018年、ロサンゼルスのギャラリーでキャリーの個展が開かれた(筆者撮影)
2018年、ロサンゼルスのギャラリーでキャリーの個展が開かれた(筆者撮影)

エース・ベンチュラは「鳥になったつもりで演じた」

 キャリーが初めてトロントでスタンダップコメディの舞台に立ったのは、15歳の時。10代後半には「Saturday Night Live」のレギュラーを狙い、オーディションを受けたが、落選。しかしカナダでの人気は高まっていき、1983年にはロサンゼルスに移住して、サンセット通りのザ・コメディクラブに出演するようになる。この頃の状況は、キャリーがエグゼクティブ・プロデューサーを務めたテレビドラマ「I’m Dying Up Here」からもうかがい知ることができる。

 ロサンゼルスのコメディクラブでどんどん実力をつけていった彼は、23歳で再び「Saturday Night Live」のオーディションを受けるも、再びがっかりの結果に。しかし、1990年に始まったコメディ番組「In Living Color」でレギュラー出演の座を獲得し、最初のブレイクを得た。そして1994年には、主演映画「エース・ベンチュラ」と「マスク」が立て続けに大ヒットする。

「エース・ベンチュラ」で演じたのは、迷子のペットを探す探偵。肉体や顔の表情を使った大袈裟なコメディは若い観客に大受けしたが、この演技について、彼は、2008年の筆者とのインタビューで興味深いことを言っている。

「ある時、アンソニー・ホプキンスとディナーをしていて、『エース・ベンチュラ』の演技はどんなふうにして生まれたのかと聞かれたんだ。僕は『心の中で、僕は鳥だったんですよ。人間を演じていたつもりはないんです』と答えた。すると彼は『私もハンニバルを演じる時、ワニになったつもりだったよ。攻撃の瞬間をじっと待つワニだ』と言ったよ。『エース・ベンチュラ』をそのつもりで見てもらうと、別の意味で楽しんでもらえるはずさ」。

ハリウッド初の2,000万ドル俳優に

 その後、「ジム・キャリーはMr.ダマー」「バットマン フォーエヴァー」「ジム・キャリーのエースにおまかせ」を経て、1996年の「ケーブルガイ」で、彼はハリウッドの歴史を塗り替えることになる。映画1本の出演料2,000万ドルを稼ぐ最初の俳優になったのだ。

 当時は、今よりももっと「誰が出ているか」が映画のヒットにつながる時代だった。スターのパワーは絶大で、シュワルツェネッガーやスタローン、ブルース・ウィリスをはじめとしたアクションスターは高額なギャラを稼いでいたが、業界は1,500万ドルの線はできるだけ死守しようとしていた。それでもじわじわとそれを上回るケースは出てきたところへ、コメディアンのキャリーが一気に大台に乗せてしまったのである。

 これは、業界を軽いパニックに陥れた。2008年のインタビューで、キャリーはその頃を振り返り、「周囲がパニックするのを見て、それがその人たちにとってどれほど意味を持つことなのか、初めてわかったよ。僕自身は、(あの数字は)自分の市場価値を示すもの以外のなにものでもなかった。僕という人間がそれで変わったわけではないし」と語っている。

 しかし、彼が大胆なゴールを決め、そのために全力を尽くす人であるのはたしかだ。まだ無名だった1985年、彼は、自分に向けて1,000万ドルの小切手を用意しているのである。日付は10年後の1995年。その時までにはこれだけ稼ぐスターになってみせるという決意だ。彼はまた、駆け出しだった頃、しばしばひとりで誰もいない静かなところへ出かけ、「1,000万ドル稼ぐスターになってやる」と自分に言い聞かせることもあったという。

 それでも、お金が一番の目的ではないのだと、彼は過去に何度か主張している。事実、彼は、たいしたギャラをもらえないインディーズ映画にも出演し、メジャースタジオのコメディでは見せる機会のない側面を見せたりもしている。2004年に「エターナル・サンシャイン」に主演した時も、「今作からはまるでお金を稼いでいない。むしろ損したくらいだ」と語っていた。

「僕にとって大事なのは、わくわくしてその仕事に行けるかどうか。自分はこの映画を絶対に作りたいんだと感じられること。お金は目的じゃない。それに、お金の交渉をやるのはエージェントだ。僕自身が交渉していたら、最低賃金レベルだと思うよ」。

 日本のゲームを映画化した「ソニック・ザ・ムービー」に悪役として出たいと思ったのも、彼が伝えたいメッセージがあるからだ。

「不幸にも、世の中には愛を持たずに生まれてきた人たちがいる。彼らはほかの人たちをコントロールすることで、愛の欠如を補おうとする。この映画は、友情について語るもの。友達がいない人が、みんなを苦しめる。この映画には僕が探索したいと感じる小さなテーマがいくつもあるよ。それを、コメディで、すごく大袈裟なキャラクターを通じて語るんだ。ばかばかしくて、楽しい映画の中で」(2020年1月の筆者とのインタビューより)。

 続編「ソニック・ザ・ムービー/ソニックVSナックルズ」の公開も楽しみにしているようで、キャリーは自分のツイッターでもこの新作を宣伝している。アメリカでの公開は4月。1作目では、彼の初期の映画のようなコメディをたっぷり楽しませてもらったが、今回もまたそれが期待できるだろうか。

 還暦を迎えても、まだまだ若々しく、元気にあふれるキャリー。これからもずっと、私たちを笑わせ続けて欲しい。