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エミー受賞結果に「白すぎる」とがっかりの声

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
コメディシリーズ部門を受賞した「テッド・ラッソ」の面々(写真:ロイター/アフロ)

 アカデミー賞の演技部門候補者20人が2年連続で全員白人だったことから「#OscarsSoWhite」(白すぎるオスカー)批判が大爆発したのは、5年半前のこと。一方、テレビは映画に比べるとその頃から多様性が進んでおり、テレビアカデミーは映画アカデミーほど強烈なプレッシャーを受けずに済んできている。

 今年のプライムタイム・エミー賞でも、候補者にはマイノリティが多数含まれていた。中には白人が少数派である部門も複数あったほどだ。だが、自画自賛できたのは、授賞式前まで。結局受賞したのは白人候補者や白人が中心の作品が中心で、「白すぎる」とがっかりする声が聞かれることになってしまっている。

 もちろん、ドラマシリーズの「ザ・クラウン」とコメディシリーズの「テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく」が快挙を達成することは最初から予測されており、驚きではなかった。しかし、それ以外も思いのほか白くなってしまったのだ。たとえば、ドラマシリーズの主演男優部門では「POSE」のビリー・ポーターが有力視されていたにもかかわらず、受賞したのは「ザ・クラウン」のジョシュ・オコナー。この部門は候補者6人中4人がマイノリティだったのだが、投票者は白人を選んだのである。ミニシリーズの助演男優部門も同様で、候補者6人中4人がマイノリティだったのに、受賞したのは「メア・オブ・イーストタウン/ある殺人事件の真実」のエヴァン・ピーターズだった。

 ドラマシリーズの助演男優部門も、先日亡くなったばかりのマイケル・K・ウィリアムズにキャリア初のエミーを取ってもらいたいと願う人々の心と裏腹に、「ザ・クラウン」のトビアス・メンジーズが受賞している。もっとも、投票は、ウィリアムズが亡くなる1週間前に締め切られていた。締め切りがもう少し遅かったら結果が違っていたのかどうかは、もちろんわからない。

 ミニシリーズの作品賞を受賞したのも、白人キャストの「クイーンズ・ギャンビット」。これに関してはとりわけ残念だとの声が聞かれる。今作は世界中で大ヒットしたし、ファンにとっては嬉しい結果だろうが、候補作の中には人種問題を扱うバリー・ジェンキンスの「地下鉄道〜自由への旅路〜」や、性犯罪をテーマにした「I May Destroy You」などがあったからだ。「Los Angeles Times」のテレビ批評家ロレイン・アリは、「投票者たちが、自分に馴染みがあり、飲み込みやすいものに惹かれたのは理解できる。現実の世の中に大変なことがたっぷりあるから、(せめてテレビでは)『アニマル・プラネット』でかわいいコアラを見ていたいと思うだろう。でも、アカデミーには、配信であれ、ケーブルであれ、テレビという範疇に入るもののクオリティを押し上げていく任務があるのだ」と指摘している。

 ただし、アカデミーがこの授賞式番組に多様性を持たせようと心がけていたのは明らかだ。今回のホストはセドリック・ジ・エンターテイナーだったし、プレゼンターには意識してマイノリティのセレブが選ばれていた。だからこそ、受賞結果とのギャップがなおさら際立ってしまったとも言える。

 受賞結果を受け、NetflixのグローバルTVのトップ、ベラ・バジャリアは、候補者の中から誰が受賞するのかは投票者が決めることなのだと述べた。その上で、「私たちが専念するのは、それら(マイノリティの人たち)の作品にゴーサインを出し、最初から最後までサポートしてあげることです」と、自分たちにできることをやりながら、少しでも多様化を促進していこうという姿勢を見せている。

コロナが終わっていないのに「狭い部屋に人が多すぎる」

 パンデミックの真っ最中だった昨年の授賞式はリモートで開催されたが、今年は人数を減らし、出席者全員にワクチン接種証明書と陰性証明書の提示を義務づけて、屋外に特設された会場で行われた。これで十分とアカデミーは思っていたのだろうが、最初のプレゼンターを務めたセス・ローゲンにとっては、そうではなかったようだ。

 舞台に登場すると、ローゲンはいきなり「狭い部屋に人が多すぎる」とばっさり。その後も、「外でやるって話だったじゃないか。これは外じゃないよ。僕らは嘘をつかれたんだ。これは密封されたテント。知っていたら僕は来なかったよ。なぜ屋根をつける必要がある?シャンデリアを3つ付けることのほうが、ユージーン・レヴィが死なないようにすることより大事なのか?彼らはそう判断したってことだ」と、同じカナダ出身で昨年コメディシリーズ部門の主演男優賞を受賞した74歳のレヴィの名前を出し、批判を続けた(レヴィは今年、プレゼンターとして出席している)。

「これはアウトドアじゃない。嘘をつかれた」と批判したセス・ローゲン
「これはアウトドアじゃない。嘘をつかれた」と批判したセス・ローゲン写真:ロイター/アフロ

 だが、パンデミックに関する話題が出たのはこの時だけ。トランプ時代にはハリウッドの授賞式が政治的になりすぎたと言われたものだが、今回は受賞スピーチでも政治的なことはほとんど出ていない。だからと言ってスピーチが面白くなったわけではなく、今年のオスカーでもよく見られたように、感謝したい人の名前を羅列するだけのものがあいかわらず目立った。アカデミー(映画、テレビ、どちらも)は、紙に書いてきたものを読むのはつまらないから避けるようにと昔から候補者たちに注意してきているらしいのだが、この授賞式でも、3枚にも及ぶ紙に書いたものを最後まで読む姿が見られている。

 あがってしまって何を言えばいいのかわからないまま終わってしまったということになりたくないという気持ちは、もちろんわかる。だが、人の心に訴えるのは、その時の感情が素直に表れるスピーチなのだ。おどおどしてもいいし、泣いたりしてもいいから、それこそ生放送ならではの反応が見たい。そこに人柄が表れ、感動や笑い、共感が生まれる。

 しかし、誰に投票するかを外部がコントロールできないように、受賞者がスピーチで何を言うのかも、本人以外にはどうにもできることではない。幸い、今年のエミー授賞式は昨年より視聴率がアップしたが、ここ何年も、オスカー、グラミー、エミーの視聴率は下がり続けている。若い人が授賞式番組に興味がないというのもあるし、作品にしろ歌にしろ、数が多くなりすぎて、昔のように大多数の人に愛されるものが出にくくなっているというのもあるだろう。それでも、マーケティング上、重要な役割を果たすエミーやオスカーのようなメジャーな授賞式番組がなくなることは、とても考えられない。ならばせめて少しでも面白くなるよう、参加する人たちには、あまり準備をしすぎずにその瞬間を迎える勇気を持ってもらうことを願いたいものである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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