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トランプは「ホーム・アローン2」から削除されるべきなのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
Disney/Everette Collection

 北米公開から28年以上経つ今、「ホーム・アローン2」が、再び話題を呼んでいる。トランプが出演する、ごく短いシーンを削除するべきだとの声が出て、主役のマコーレー・カルキンも賛成しているのだ。

 問題になっているのは、プラザホテルにいるケビン(カルキン)に「ロビーはどこか」と聞かれ、トランプが(皮肉にも)「左」と答えるシーン。トランプが出ることになったのは、彼が当時プラザホテルのオーナーで、ロケを許可するにあたり、自分を出してくれることを条件にしたからである。つまり、無理やり入れられたシーンで、なくてもストーリーには何の影響もない。実際、カナダのテレビ局は、すでにこの部分をカットして放映している。

 ツイッター上にも、「カットしてみたらこんなに自然だった」と、結果を見せる動画が投稿されている。しかし、それだけでなく、トランプの代わりに別の人を入れた、面白い画像の数々が見受けられる。

 たとえば、ある人は、セクハラ騒動でケビン・スペイシーが「ゲティ家の身代金」から消され、急遽クリストファー・プラマーが代役を務めたのを持ち出し、トランプの顔をプラマーに変えた写真を投稿した。ほかにも、オバマ前大統領、ライアン・ゴズリング、キアヌ・リーヴス、ベン・スティラー、ダース・ベイダー、「IT/イット“それ”が見えたら、終わり。」のペニーワイズなどに入れ替えたバージョンがある。さらに、背後にトランプ支持者を入れて、トランプが議会のどこを襲撃すべきか指示しているように見せた画像もあった。

 それらの冗談はさておき、本当にこのシーンを削除するのが正しいのかどうかについては、さまざまな意見がある。賛成する理由は、言うまでもなく、トランプは「選挙に不正があった」という何の根拠もない嘘を吹聴し、支持者に暴力行為をするよう煽って5人の死者を出した、犯罪のリーダーであることだ。これまでの捜査で、支持者の中には議員を殺すつもりだった人もいるとわかっている。「ホーム・アローン2」は、家族が集まって幸せなひとときを過ごすクリスマスに見る映画であるのに、そこにトランプが出てきてあの暗い1日を思い出さされたら、たまらない。また、クリス・コロンバス監督は、当時、北米公開前のテスト上映に来た観客はあのシーンを喜び、だからカットしなかったのだと述べている。だとしたら、今の観客はトランプを見たくないのでカットをするべきだとも言える。

 一方で、当時の観客がトランプのカメオを歓迎したのだという事実は興味深く受け止めるべきでもあるだろう。1992年には、トランプはすでに富の象徴、成功者の代表として、広く知られていたのだ。それは、名声を欲するトランプ本人が巧妙にそういうイメージを築いてきたからである。トランプは、「ホーム・アローン2」の後にも、「ズーランダー」(2001)、「ウォール・ストリート」(2010)などの映画、「The Fresh Prince of Bel-Air」(1994)、「スピン・シティ」(1998)、「SEX AND THE CITY」(1999)などのテレビ番組に、自分役でカメオ出演をしてきた。そういう下地があってこそ、彼がホストとプロデューサーを務めるリアリティ番組「The Apprentice」(2004)につながり、それが支持者の獲得と、大統領当選へとつながったのである。大統領に立候補して以来、メディアとエンタメ業界はこぞってトランプを叩いてきたが、悲しいことに、彼がそこまで台頭し、一般人から人気を勝ち取るのを許したのは、メディアとエンタメ業界だったのだ。

 今、彼が出演した過去のそれらの作品を見直すと、時代はなんと変わったのか感じさせられる。いや、そんな単純な気持ちだけでなく、我々はなんと無知だったのかと恐ろしくなる。その教訓、また社会と文化の歴史という意味では、これらのシーンは存在し続けてもいいのかもしれない。

 もちろん、ソーシャルメディアには、もっとはっきり反対を唱える声もある。「歴史を書き換えたいの?」「今まで何度もこの映画を見たなら、3秒くらいトランプが出てくるのはなんとも思わないはず」「時代が変わって、嫌われるようになった人をいちいち完成作から外すというのか。狂っている」などという意見だ。一方で、国際映画舞台被雇用者同盟(IASTE)は、「ドナルド・トランプを『ホーム・アローン2』から削除すべきかどうかについて、私たちに公式な意見はありません。その質問はやめてください」とツイートした。この団体以外からも、「もっと重要なことがたくさんある」という発言は見受けられる。

 それらはすべて、もっともな意見だ。この数秒のシーンがあるかないかは、今の世の中において、決して重要な事柄ではない。それでも、そこに不快感を覚える人がいるのは事実である。それに、先週の事件についての捜査が進み、来週のバイデン就任式に向けてさらに緊張が高まる中、愛されてきた映画にあのシーンが存在することの意味は、人々の心の中で、また変わってくるかもしれない。いずれにしても、単なるエゴから生まれた無意味であるはずのシーンがこれほど意味をなすようになるとは、なんとも皮肉ではないか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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