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白人だけが出る映画は、二度とオスカーを取れなくなるのか?

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「1917 命をかけた伝令」は、監督もキャストも白人男性(写真:ロイター/アフロ)

 ここ数年、「白すぎ」解消への努力を続けてきた米映画アカデミーが、またひとつ大胆な対策を取った。西海岸時間8日に発表されたルールのもと、2024年以降、アカデミーが定める多様化への基準を満たさない映画には、オスカー作品賞の資格が与えられないことになったのだ。

 彼らが定めた基準には、「基準A」「基準B」「基準C」「基準D」の、4本の柱がある。作品賞の資格がほしいなら、そのうち最低2つの柱をクリアしていなければならない。

「基準A」は、映画に出る人たちについて。ここでは3つの選択肢があり、最低ひとつを満たしている必要がある。ひとつめは、主役、またはとても重要な脇役のひとりが、アジア系、黒人、ネイティブアメリカン、中近東または北アフリカ系、ネイティブハワイアンなど少数派の人種であること。ふたつめは、主要キャストのうち最低3割が女性、LGBTQ、少数派、障がいをもつ人であること。3つめは、ストーリーそのものが、女性、少数派の人種、LGBTQについてのものであることだ。

「基準B」は作り手についてのもので、ここでも3つの選択肢がある。ひとつは、監督、プロデューサー、撮影監督、脚本家、衣装デザイナー、音響ディレクター、芸術監督、ヘア、メイク、キャスティング・ディレクターなど主要な部門のトップのうち最低ふたりが、女性、LGBTQ、少数派の人種、障がいをもつ人であること。これに加え、最低でもひとりが、アジア系、黒人、ネイティブアメリカン、ネイティブハワイアン、中近東または北アフリカ系でなければならない。ふたつめは、助監督、スクリプト・スーパーバイザーを含むクルーのうち最低6人が少数派の人種であること。3つめは、クルー全員のうち3割以上が、女性、LGBTQ、少数派の人種、障がいをもつ人で占められていることだ。

「1917〜」のような映画も絶滅はしない

 この最初の項目だけで人はショックを受けたのか、ネットには、たちまち「つまり『ブレイブハート』にはオスカーの資格がないわけか?」「『シンドラーのリスト』みたいな映画はもう作られないということ?」というようなコメントが飛び交った。たしかに、この条件を見れば、今年のオスカーで健闘した「1917 命をかけた伝令」のような映画は、もはや過去のものになるのかと思いがちである。そういった映画が作られないとなったら、たしかに映画界の損失である。

 だが、その心配は無用だ。アカデミーは決して、今年の「パラサイト 半地下の家族」のように、今後もずっとマイノリティキャストの映画に賞を取らせようとしているわけではない。このルールのもとでも、「ブレイブハート」も、「シンドラーのリスト」も、「1917〜」も、同じキャストのままで、これからも作ることができる。そのために「基準C」と「基準D」があるのである。

「基準C」は、スタジオ、配給会社、出資会社などが行う有給のインターンシップ制度や職業訓練に、マイノリティを多く招待するというもの。これらの人たちがこの業界の入り口へたどりつけるようにすることが目的だ。「基準D」は、スタジオや配給会社の社内マーケティング部あるいは宣伝部のシニア・エグゼクティブに、女性、少数派の人種、LGBTQなどの人を複数置くというものである。

 先に述べたように、オスカー作品部門の資格をもらうには、「基準A」「基準B」「基準C」「基準D」のうち、ふたつが揃っていればよい。つまり、「1917〜」のような映画でも、スタジオ内のマーケティングやパブリシティ部の偉い部署に女性や有色人種の人が複数いるようにし、有給インターンシップを行う時には意識的に黒人やアジア系、女性を選べばいいのだ。これは決して難しいことではない。それどころか、もうこの部分は満たしているところが多いともいえる。筆者自身の経験からもいえるが、スタジオのパブリシティ部には、もともと女性やLGBTQの人がとても多い。インターンシップで実力を認められ、メジャーなスタジオに職を得て、後に昇格していった女性も、実際に知っている。今後もこれまでとなんら変わりなくやっていけるところは多く、それだけに、「基準C」と「基準D」は抜け穴だという声も聞かれる。

実際にあまり変わらないにしても、意味はある

 もしもそのとおり抜け穴が用意されたことで、結局は何も変わらないのならば、このルール変更には意味があるのか。筆者は、大いにあると思う。アカデミーが、映画にかかわる人たち全員に向けて「こうするべきだ」と呼びかけることで、嫌でも意識が変わると思うからだ。オスカーを狙うつもりなどまったくない、たとえば娯楽アクションやコメディを作るにしても、これからは、現場をぐるっと見渡すと全員が白人だった、ということになれば、居心地の悪さを感じるだろう。そこから自然に、まだ決まっていなかったポジションにはマイノリティを優先しようということになるのではないかと期待されるのである。

 この新たなルールの実施が2024年と時間があるのも、きちんと考えられている。2024年のオスカーを狙う作品は、まだスタートしていないか、製作準備段階にあるはずで、調整する余裕は十分にあるからだ。中には、この新たな指針に後押しを受け、ゴーサインをもらえることになる、女性やマイノリティについての映画もあるかもしれない。その一方では、ヨーロッパの歴史物など、必然的に白人だらけの映画も、変わらず作られていくだろう。しかし、それらの映画でも、今後は、裏側に、以前ならばチャンスをもらえなかったマイノリティの人たちがいるはずなのである。その映画が評価されれば、現場で働いたそれらの人たちもまた喜ぶ。そんなふうに、このルール変更は、作品賞の資格をもらえるかどうかを超えた、もっと大きな影響力をもつものなのだ。批判も承知で決断に至った、アカデミーの勇気と行動力を、高く評価したい。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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