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”人種差別者”ジョン・ウェインの名前が空港から撤去されるべき理由

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「勇気ある追跡」のジョン・ウェイン(amazon.com)

「Black Lives Matter」運動で「風と共に去りぬ」への評価が変わる中、ジョン・ウェインのレガシーも見直されつつある。先週、南カリフォルニアのオレンジ郡では、地元の民主党員たちが、ジョン・ウェイン空港を元のオレンジ郡空港に改名するという決議案を郡の監督委員会に提出した。採択されるかどうかは、今後の委員会の話し合いに委ねられている。

  ウェインは、オレンジ郡のニューポート・ビーチに長く住み、墓もこの地にある。彼が亡くなった1979年、彼に敬意を評し、彼の家から最も近かったこの空港に、彼の名前が付けられることになった。1982年には、ターミナル内に彼の銅像が設置されている。

 しかし、人種差別への意識が高まり、南北戦争時の南部連合軍の英雄の銅像を撤廃しようという動きが高まってきた近年、この名前に疑問をもつ声も聞かれるようになっていた。昨年2月には、「L.A. Times」が、「今こそ、オレンジ郡の空港からジョン・ウェインの名を消すべきだ」というコラム記事を掲載。その根拠として挙げられた1971年の「Playboy」のインタビュー記事は、たちまちネットで拡散されている。そして今、抗議運動の盛り上がりにも後押しされて、ついに改名に向けての一歩が踏み出されたのだ。

 この動きを受け、先週、ウェインの息子イーサン・ウェインは、「父は人種差別者ではありません」との声明を出している。その中で、彼は、「ジョン・ウェインはすべての人に平等な機会が与えられるべきだと信じていました」「彼はみんながアメリカンドリームを追求できる社会にするべきだと思っていました」「ひとつのインタビューで彼を判断するのは間違っています」と主張。さらに、彼は、「今、ジョン・ウェインが生きていたら、あの警官たちをジョージ・フロイド氏から引き離していたでしょう」とまで言っている。

「私は白人至上主義を信じる」と断言

 それでも、問題のインタビューを読んでみれば、息子の言葉に説得力がないのは明白だ。この長いインタビューの中で、ウェインは、黒人だけでなくネイティブ・アメリカンの人々にも差別的発言をし、白人が土地を奪ったことを正当化しているのである。さらに、これらマイノリティの人々にも機会を与える“アファーマティブ・アクション”(歴史的経緯や社会環境を考慮し、社会で弱い立場にいる人たちが不利でなくなるよう是正するための措置)を否定するようなことも言っている。

 最初に出てくるのは、ゲイの人々への差別的発言。インタビューの最初のほうで、ウェインは、「最近はスタジオがくだらない映画ばかり作る」と、当時の映画に対して不満を述べている。彼が「2年か3年もしたら、アメリカ人は性的に倒錯したこれらの映画に完全にうんざりするだろう」と言ったのを受け、インタビュアーが「たとえばどの映画が性的に倒錯していると思うのですか?」と聞くと、ウェインは「イージー・ライダー」と「真夜中のカウボーイ」を挙げた。彼によると、「真夜中のカウボーイ」は、「ふたりのゲイの恋愛もの」。彼はまた「男と女のセックスならかまわない。それは神が与えてくれた特別なもので、映画に出すのは何の問題もない」とも語っている。

 その後、話題はリベラルへの批判に移った。その流れで、彼は、「黒人らが怒るのはわかる」と言い、「だからと言って私たちが突然膝をついて黒人にリーダーシップを受け渡すわけにはいかないんだよ。私は、白人至上主義を信じる。黒人が教育を受けて責任をもてるようになるまでは。責任をもてない人たちに権威とリーダーシップは渡さない」と言っている。その言葉についてインタビュアーが問いただすと、それは自分が勝手に言っていることではなく学問の世界ではみんながわかっていることだと主張。黒人がきちんとしたテストを受けずして大学に入ることが許されているとも、彼は批判した。それに対し、不利な立場にあるマイノリティの人たちになんらかの手を差し伸べなければ不平等が解決しないのでは、とインタビュアーが聞くと、「数が数えられない人に高度な数学を教えて意味があるのか?一定の基準を守らないと。5世代だか10世代だか前、この人たちが奴隷だったことに、私は罪悪感を覚えない。それを良しとしているのではなく、それが人生なんだよ。小児麻痺の子供がほかの子と一緒にフットボールをできないのと同じ。だが、これは言っておく。今日、アメリカでは、黒人が白人と競争しようとしたら、黒人が有利。ここアメリカ以上に黒人に優しい国はない」と答えている。

 当時勢いのあったブラックパンサー党についても、「暴力的で危険。冒険好きで、強い意見をもっていて、我々に軽蔑を投げかけてくる」「彼らは、自分たちが正しいと感じることを信じる。正しいと考えることではなくて。なぜなら、彼らは考えないから」と見下した。一方で、ネイティブ・アメリカンについては、「あの人たちからこのすばらしい国を奪ったことは間違っていない。サバイバルだったんだから。新しい土地を必要としている人がたくさんいたのに、自己中心的なインディアンは、自分たちで独り占めしようとしたんだ」と語っている。また、「100年も前にこの国で起こったことについて、今、自分たちが責められるいわれはない」とも言った。

多様な観光客を受け入れる玄関口に彼はふさわしいのか

 政治的に完全に間違っているこれらの発言をウェインが堂々とできたのは、もちろん、そういう時代だったからだ。今日でも同じように思っている白人はきっといるだろうが、彼らは、少なくとも公の場においては、できるだけその本音を隠そうとするはずである。それだけに、「50年も前のことを引っ張り出してくるのはフェアじゃない」という意見が出るのも、わからなくはない。しかし、それを言うなら、南北戦争は160年前に起こっているのだ。

 先週、ミシシッピ州は、州の旗から南部連合の旗を取り除くことを決議し、アメリカの州旗から南部連合のデザインは完全に消えた。時を同じくして、プリンストン大学は、人種隔離政策を支持したウッドロウ・ウィルソン元大統領の名を、公共政策と国際関係論の研究機関“ウッドロウ・ウィルソン・スクール”から外すことを決めている。

 ウィルソンが大統領だったのは、1913年から1921年にかけて。ウェインが俳優として活動したのは、それより遅い1926年から1976年だ。奴隷制度を肯定する視点から描かれているとして、ストリーミングサービスHBO Maxが一時配信を停止、解説を付けた上で再配信に至った「風と共に去りぬ」が作られたのは、1939年である。1971年になされた発言を理由に、オレンジ郡の空港からウェインの名前と銅像が撤去されるのは、理にかなっているだろう。

 それはまた、観光客をウェルカムする上でもふさわしいことだ。ディズニーランドに最も近いこの空港は、小さいながら、世界中から数多くの人々が訪れる。はるばるアジアや中東、南米からやってきた人たちが、彼の銅像を見て、「これは誰?」と聞き、「白人至上主義を支持した昔の俳優」と言われたら、どう感じるだろうか。

 かつて圧倒的に白人だったオレンジ郡も、今は人種が多様になってきた。その人たちにとっても、彼が玄関口にいるのは、心地いいことではない。ジョン・ウェインを据え続けるのは、時代に後ろを向く行為。2020年という激動の年、その勢いを受けて、この空港が新たなスタートを切ることを期待したい。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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