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ベガスの伝説“ジークフリード&ロイ”のロイ、コロナで死去

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ロイ・ホーン(右)とジークフリード・フィッシュバッカー(写真:ロイター/アフロ)

 ラスベガスのイリュージョニスト、“ジークフリード&ロイ”のロイことロイ・ホーンが、新型コロナで亡くなった。75歳。公演中に自分のトラに噛まれるという大事故を乗り切った彼も、この恐ろしいウィルスには勝てなかった。

 検査で陽性判定が出てから1週間後の死去。1957年からホーンとコンビを組んできたジークフリード・フィッシュバッカーは、「今日、世界は、最高の魔術師のひとりを失いました。ですが、私は親友を失いました。最初に出会った時から、私とロイは、自分たちは一緒に世界を変えるのだと思っていました。ロイなくしてジークフリードはありません。またジークフリードなくしてロイはありません」と、声明で語っている。

 ホーンとフィッシュバッカーは、ドイツ生まれ。13歳で学校に行くのをやめ、クルーズ船でウエイターとして働いていたホーンは、船でマジックのパフォーマンスをしていたフィッシュバッカーと出会い、彼のアシスタントになる。動物を使った出し物を提案したのは、子供の頃から動物好きだったホーンだった。

 60年代は、ドイツやスイスの小さなナイトクラブをドサ回り。60年代後半に、モンテカルロで行ったショーが、ラスベガスデビューにつながる。最初の舞台は、トロピカーナホテル。その後、スターダストやフロンティアなどで数多くの公演をこなすうちに、白いトラや白いライオンを使った彼らの派手なショーは、伝説を築いていく。

 2001年には、ミラージュと巨額の永久契約を締結。しかし、2003年10月、公演中にホーンがマンテコアという名の白トラに首を噛まれるという事故が起きた。その大怪我でホーンは長期間に及ぶリハビリを強いられることになり、コンビのベガスでのキャリアは突然にして終わりを告げる。

 それでも、ホーンは、マンテコアを恨んだり、恐れたりはしていない。実際、病院に搬送される時ですら、彼は「マンテコアに危害を加えないで」と言ったそうだ。2004年には、「People」誌のインタビューで、マンテコアは、自分の命を救おうとしてくれたのだと語っている。高血圧の薬のせいでめまいを覚えることがよくあったという彼は、その日の舞台でもひどいめまいを感じ、倒れそうになった。そんな自分を見たマンテコアが、本能で反応したというのが、彼の主張だ。2009年には、チャリティ目的のイベントで、コンビは再びマンテコアと舞台に上がっている。この最後のショーは、テレビ放映もされた。

 ベガス名物である彼らは、チェビー・チェイス主演のコメディ「ベガス・バケーション」や、スティーブン・ソダーバーグ監督の「オーシャンズ11」など、ベガスを舞台にした映画にもカメオ出演している。2004年には、コンビが所有するライオンらの居住地シークレット・ガーデンにインスピレーションを受けて生まれたテレビアニメ「Father of the Pride」が放映された。クリエーターはドリームワークス・アニメーションのトップ、ジェフリー・カッツェンバーグ。ホーンとフィッシュバッカーは、プロデューサーに名を連ねている。

 最近では、彼ら自身がプロデュースをするジークフリード&ロイのドキュメンタリー映画が進行していたようだ。だが、表舞台からは、2010年4月に引退を発表している。その数年後には、マンテコアも亡くなった。17歳だったそうだ。たくさんの思い出を一緒に作っていったこの美しいトラは、きっと天国の入り口で、ホーンを待ち受けていることだろう。

 ご冥福をお祈りします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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