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オスカー候補俳優が語る、役のために太ること

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今年のオスカーに妻同伴で出席したクリスチャン・ベール(写真:Shutterstock/アフロ)

「バイス」と「グリーンブック」が、現在日本公開中だ。この2作品の共通点は、実話であることと、主演俳優が役のために20キロ前後太ったこと。その役でふたりともオスカーにノミネートされたのも、結局は「ボヘミアン・ラプソディ」のラミ・マレックに負けてしまったのも同じだ。

 そして、クリスチャン・ベール(『バイス』)も、ヴィゴ・モーテンセン(『グリーンブック』)も、今では体をすっかり元に戻している。本人と映画の中の姿の対比があまりに衝撃的なので、ジャーナリストたちも、ついつい取材でまずそこを聞いてしまうのだが、プロの役者である彼らにとって、肉体変革は、あくまで役作りの一部。ヘア、メイク、衣装のように、その人物に入っていく手段でしかない。

「グリーンブック」で実在の人物トニー・バレロンガになりきるため、彼の訛りや身の振る舞いをたっぷり研究したモーテンセンは、「太るのはむしろ一番楽な部分。だから、そこを苦労話にはしてしまいたくないんだよね」と語っている。とは言っても、実際には、言うほど簡単ではない。撮影が終わるまでは同じ体型をキープしなければいけないため、帰り際に「ホテルで寝る前に何か食べてください。撮影がハードなせいか、少し痩せてきているようなので」と言われたと、モーテンセン。映画の中でも食べるシーンが多く、それも、同じシーンを何テイクもやるのだから、想像するだけで苦痛だ。

「体重の増減はもうやらない」と決めたのだが

 モーテンセンに言わせると、「太り方自体は、誰にでもわかるはず」。それは、役のために太ったり痩せたりを繰り返してきたベールも、昔から何度も言ってきたことである。「アメリカン・ハッスル」の北米公開時にも、「どうやって太ったのですか」と聞くと、彼は、「ドーナツをたくさん食べればいい。時間はかかるけど、誰にでもできるさ」と言っていた。

 しかし、そのインタビューを受けてくれた時の彼は、すっかり元の体だったのだ。実際、ベールの肉体変換史は、相当にすごい。2004年の「マシニスト」では、83キロあった普段の体重を、54キロまで落とした。翌年の「バットマン ビギンズ」では筋肉をしっかりつけてスーパーヒーローの肉体を見せつけるが、2010年の「ザ・ファイター」では依存症の男性を演じるため、またもや不健康に痩せた体になる。この役でベールはオスカー助演男優賞を受賞。2013年の「アメリカン・ハッスル」では太り、これまたオスカー候補入りするが、その後エンゾ・フェラーリの伝記映画の主演をオファーされた時は太る必要があることを懸念して断った。なのに、2017年末、「Hostiles(日本未公開)」が北米公開される時に会うと、また太っていたのだ。「バイス」のディック・チェイニー役に備えてである。

2017年12月段階のクリスチャン・ベール(右)は、「バイス」のために太っていて、最初、見分けがつかなかった(筆者撮影)
2017年12月段階のクリスチャン・ベール(右)は、「バイス」のために太っていて、最初、見分けがつかなかった(筆者撮影)

 2016年春、「THE PROMISE/君への誓い」の北米公開時にインタビューした時、エンゾ・フェラーリ役を断ったことについて聞くと、彼は「今、体が反対していると感じるんだ。僕はいつも自分の体を演技のためのツールと考えてきたが、今は、それを何度もやるべきではないのではと思っている。限界があるのではと。僕も人間だし」と語っていた。だが、それからそんなに時間が経たないうちに、チェイニー役のため、彼は自らその正当な理屈を捻じ曲げたのだ。この役には、それほどの魅力を感じたということだろう。

トム・ハンクスは、もう懲りた

 ベールに言わせると、太ったり、痩せたりするのには時間がかかるため、「撮影現場入りする頃には、完全に、自分ではなくその人になっている」のも、演技の上で大きなプラスである。鏡を見て、そこにいるのが自分でなければ、すんなりとその人に入っていけるのだ。だから、醜いルックスになることも、気にならない。「自分の姿を見て、恥ずかしいと思うことは全然ないよ。むしろ、楽しい。かっこ悪い自分を楽しめるようになったら、心配ごとが減るというものさ。演技を仕事にしていると、屈辱的な思いは、必ずどこかでさせられるものだし」と、彼は言う。

「バイス」のクリスチャン・ベール。特殊メイクも大変で、毎朝4時間がかかったという(Annapurna Pictures)
「バイス」のクリスチャン・ベール。特殊メイクも大変で、毎朝4時間がかかったという(Annapurna Pictures)

 だが、痩せるのはやっぱり苦痛だ。アクション映画のために脂肪を落として筋肉をつけるのは良い。この場合は、栄養士が考えたヘルシーな食事を摂るために、ムードにもポジティブな影響がある。辛いのは、不健康に痩せこけた人物を演じる時。「マイティ・ソー」で肉体作りには慣れているクリス・ヘムズワースも、遭難する捕鯨船の乗組員を演じる「白鯨との闘い」に出た経験から、「痩せる役はもう二度とやりたくない」と言っている。

 ベールにとっても、キャリアで最も大変だったのは、「マシニスト」だった。あの映画の撮影中は、「1日にりんごを1個しか食べなかったから、山盛りのりんごを食べることを夢見ていた」ため、撮影後は、どか食いに走らず、ゆっくりと普通の食事に戻していくようにとアドバイスされていたのに、タガが外れて「アイスクリーム、ピザ、パスタ、なんでも大量に食べた。コントロールが効かない状態になった」そうだ。そのせいで体重はあっという間に戻ったが、気分は最悪だったとのことである。だが、後悔はない。撮影中ですら、「良い物を作っているとわかっていたから、現場に行くのが楽しかった」のだ。

「キャスト・アウェイ」のために25キロ減量し、糖尿病になったトム・ハンクスは、もう役のために極端な体重の増減はしないと宣言している。この役でハンクスはキャリア5度目のオスカー候補入りを果たしたが、それよりも健康のほうが大事だと判断したのだ。それは、まっとうな考え方。健康に害を与えなくてもできる良い役は、ほかにもたくさんあるだろう。ハンクスよりもっと頻繁にやってきたベールも、それはわかっているはずである。

 それでも、ベールは、まだやめないのではないかと思う。「バイス」が、「人生で自分が見た最高の映画」になったのだから、なおさらだ。彼にとって、その満足度は、天秤にかけた時に勝つほうなのである。天才はどこかかっ飛んでいるとは、よく言われること。この演技の天才も、時に、自分でも始末に負えないのかもしれない。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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