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メジャー系スリラー映画でアジア系が初の主役!その背景は?

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「search/サーチ」に主演するジョン・チョー(写真:Shutterstock/アフロ)

 舞台はカリフォルニア。高校生の娘が突然行方不明になり、シングルファザーの主人公は、必死になって彼女の居どころを探す。

 絶望、悲しみ、怒り、焦りなど、演技の見せどころ満点な上、最初から最後まで出ずっぱり。そういう役は白人俳優に行くのが当たり前だが、その映画「search/サーチ」に主演するのは、韓国生まれのアメリカ人ジョン・チョーだ。メジャースタジオが配給するスリラー映画で、アジア系が主役を演じるのは、映画史上、これが初めてである。

 この映画がさらにすばらしいのは、ストーリー上、主人公デビッドがアジア系である必然性はなく、言い訳もまったくしないところだ。舞台となるシリコンバレーはアジア系がたくさん住んでいるエリアで、デビッドがそうであっておかしい理由はない。だが、観客は、「なぜこの主人公を韓国系にしたのだろう?」と感じてしまうのが実情だろう。それだけ我々はハリウッドの固定観念に洗脳されてしまっているのだ。

 この画期的なキャスティングが実現したのには、いくつかの理由がある。まずは、これがインディーズ映画で始まっていること。「メジャースタジオ配給のスリラーで、アジア系が初めて主役になった」ことに間違いはないが、ソニー・ピクチャーズは、今作が完成した後に配給権を買っている(映画の中に登場するコンピュータがVaioでないのは、そのせいだ)。最初からスタジオが出資するとあれば、商業的視点から、もっと無難なキャスティングがなされていた可能性が高い。インディーズであっても、監督兼脚本家のアニーシュ・チャガンティとプロデューサー兼脚本家のセヴ・オハニアンは、プロダクション会社バゼレフスから何度も「どうしてデビッドはアジア人なのか」「そうでなくてもいいのでは」と言われているのである。

「search/サーチ」は、最初から最後までコンピュータや携帯の画面で展開する。だが、スリル満点で感情豊かなストーリーのおかげで、まったく退屈しない。
「search/サーチ」は、最初から最後までコンピュータや携帯の画面で展開する。だが、スリル満点で感情豊かなストーリーのおかげで、まったく退屈しない。

 それでも、ふたりは曲げなかった。彼らが意見を押し通せたのには、バゼレフスがこのふたりのアイデアを強く買っていたこともあると思われる。バゼレフスは、やはり全編PC画面で展開する「アンフレンデッド」を製作した会社で、また同じようなタイプの作品を作りたいと彼らに相談したのが、そもそもの始まりだったのだ。当初、バゼレフスは、短編を集めたオムニバスにするつもりだったのだが、ふたりが提案したストーリーがおもしろかったため、長編にしようと決めたのである。

 チャガンティとオハニアン自身が、やはりマイノリティで、20代の若者というのも大きいだろう。インド系のチャガンティとアルメニア系のオハニアンは、南カリフォルニア大学で一緒に映画を学んだ仲だ。チャガンティの父はシリコンバレーのエンジニアで、彼はあの地域の現実的な人種構成を見て育ってもいる。

アニーシュ・チャガンティ監督(左)は、インド系アメリカ人。今作で長編映画監督デビューを果たした。
アニーシュ・チャガンティ監督(左)は、インド系アメリカ人。今作で長編映画監督デビューを果たした。

 さらに、「#StarringJohnCho」キャンペーンがあった。

 白人偏重が指摘されるハリウッドで、アジア人は、黒人やヒスパニックよりも、さらにスクリーンに出る率が低い。「#OscarsSoWhite」キャンペーンが起こった時も、アジア系にはあまり焦点が当たらなかったが、同じ頃、ウィリアム・ユーというアジア系アメリカ人が、「#StarringJohnCho」のソーシャルメディア運動を起こしているのである。この運動は、本来アジア系である役を白人にやらせる、いわゆるホワイトウォッシングに抗議するもの。チョーの名前はあくまでアジア系を代表する意味で使われたのだが、チャガンティとオハニアンは、今作を作る上で、十分そのキャンペーンを意識していた。彼らは、デビッドを、「最初から韓国系と決めていた」のではなく、「最初からジョン・チョーにやってもらうと決めていた」のだ。そんなちょっとした遊び心も、若い彼ららしいと言える。

アジア系は、悪者にするにも物足りない

 そもそも、アジア系俳優は、どうしてこんなに無視されてきたのだろうか?チョーにインタビューする機会を得た時、筆者は、「アジア人はおとなしくて文句を言わないから、忘れられて放っておかれたのでしょうか」と振ってみた。「いや、もっと複雑だと思うんだよね」と、チョーは、思い当たることをいくつか挙げてみてくれている。ひとつは、アジア系には「悪者にするにも物足りない、退屈なイメージがあること」。もうひとつは、アジア系の親が「教育を重視すること」だ。

 子供に弁護士か医師、でなければ会計士になれと言うのは、アメリカにおけるアジア系のステレオタイプ。「マスター・オブ・ゼロ」の脚本家アラン・ヤンも、エミー賞の受賞スピーチで、「この国には1,700万人のアジア系がいます。イタリア系も、1,700万人います。彼らには『ゴッドファーザー』『ロッキー』『ザ・ソプラノズ〜哀愁のマフィア〜』がありました。僕らの道のりは長いです。子供をもつアジア系のみなさん、バイオリンの代わりにお子さんにカメラをあげてください」と述べている。

絶望、怒り、悲しみなど、演技の見せどころたっぷりのこの作品が、チョーの代表作のひとつになることは間違いない。
絶望、怒り、悲しみなど、演技の見せどころたっぷりのこの作品が、チョーの代表作のひとつになることは間違いない。

 御多分にもれず、チョー自身も、カリフォルニア大学バークレー校を卒業後は、教師というお堅い職業に就いた。演技を始めたのは学生時代で、社会人になってからは、かたわらで続けてきたのである。両親は、彼が俳優になることに反対だった。「その気持ちはわかるよ」と、チョー。「テレビにアジア系なんか出ていないんだから。自分の息子が、家賃も払えない、結婚もできない職業を選ぼうとしていたら、そりゃあ喜べないさ。でも、それは古い考え方。自分の親のことを悪く言うつもりはないが、今や、安定した職業なんて、ないんだ」。

 だが、これからは変わってくるだろうとチョーは考える。「かつて、役を得るには、キャスティング・ディレクター、プロデューサー、スタジオのエグゼクティブなど、多くの人をくぐり抜けないといけなかった。その人たちみんながイエスと言ってくれないとだめ。だから黒人やアジア人は難しかったんだ。だが、今は、人が勝手に映像を作ってネットに投稿できる。それをするのに、誰の許可もいらない。それで有名になったら、偉い人たちは、『この人はすごい人気があるようだ。映画に出そう』ということになるかもしれない。そうやって、これまでの関門をすっとばせる時代なんだよ」。

 新たな扉が開く音が、聞こえるような気がする。

「search/サーチ」は26日(金)より全国ロードショー。

写真提供:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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