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プリティ・ウーマンが50歳に。ジュリア・ロバーツ、これまでの道のり

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ハリウッドのトップ女優ジュリア・ロバーツも50歳に(写真:Shutterstock/アフロ)

“最も美しい人”は、歳を取ってもやはり美しい。「People」誌から5度、この栄誉ある肩書きをもらったジュリア・ロバーツは、今週末28日、50歳の誕生日を迎えた。

 筆者は、彼女が40歳の誕生日を迎えた直後に、彼女をインタビューしている。もちろん、その後も何度か取材をしているが、あの時からもう10年経ったのかと思うと、早いものだ。その10年前のインタビューは、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」について語ってもらうために行ったもの。40の大台を超えたことについて、ロバーツは、「すごく良い気分よ。ほっとした。若い頃はいろいろなことを気にするものだけれど、歳を取ると、少し解放される。歳を取るのは素敵なことだわ」と語っていた。誕生日は、家族で祝ったそうだ。当時2歳だった双子と、生後4ヶ月の赤ちゃんだった次男も、もうすっかり大きくなった。

 この頃から、母親業を優先する姿勢ははっきり示していたが、最近も、夫ダニー・モダーが撮影監督を務める「シークレット・アイズ」や、旧友ジョージ・クルーニーと共演する「マネーモンスター」に出演するなど、女優としての活動も続けている。来月には「ルーム」の名子役ジェイコブ・トレンブレイと共演する「Wonder」が北米公開される予定だ。このおめでたい機会に、30年近くにわたって世界を魅了してきた彼女の半生を、いくつかの角度から振り返ってみる。

最新作「Wonder」のロバーツ(写真/Lionsgate)
最新作「Wonder」のロバーツ(写真/Lionsgate)

複雑な家族関係:義父はDV男。兄はドラッグ中毒

 ロバーツは、複雑で貧しい家庭環境に育っている。両親は、彼女が4歳の時に離婚。母はまもなく再婚したが、新しい父はろくに働かず、しばしば暴力をふるった。義父への嫌悪を隠さない一方、母への愛も公言しており、「(子供心にも)うちにお金がないのはわかっていた。でも、母は、無理していることを私たちに見せないようにしたわ。自分自身が母になった今、彼女がどうやって生活を成り立たせ、私たちを育てていたのかと感心する」と、彼女は過去のインタビューで語っている。貧しかった時の癖は、今もまだ完全には抜けていないようで、スーパーで買い物をする時、カゴの中のものを「ここまででいくらか」とついつい計算してしまい、「またやってる」と夫に笑われるそうだ。

 ひと足先に俳優になった兄エリックとは、駆け出しの頃、ニューヨークで一緒に住んだこともある。だがエリックがドラッグ所持で逮捕され、彼と元恋人との間に娘エマの親権争いが起こった時、ロバーツはドラッグ中毒の兄ではなく、元恋人のほうが姪を育てるのにふさわしいと判断し、裁判にかかる費用を彼女に提供した。

 以後、疎遠だった兄妹が関係を修復したのは、2004年、ロバーツに双子が生まれた時だ。出産したばかりの彼女を兄が病院まで訪ねてきたことをきっかけに、ふたりは少しずつ会話を持つようになり、2015年の母の葬式に同席した時には、涙を流しながら抱き合ったそうである。

 母と義父の間には、半分血の繋がった妹ナンシー・モーツが生まれている。モーツは、2014年、37歳の若さで死亡した。当初はドラッグの過剰摂取と報道されたが、後に遺書が発見されている。死に至る数週間前、彼女はツイッターに、「こんなに残酷な人のファンでありたいと思う?彼女は演技だってそんなに上手くないじゃない」と、スーパースターの姉を非難するコメントを投稿していた。遺書の中でも、モーツはロバーツの冷たい態度を責めている。

結婚ドタキャン、離婚、そして略奪婚

 ハリウッドきっての美女にしては、ロバーツの男性関係はちょっと変わっている。最初の婚約相手は、「フラットライナーズ」の共演がきっかけで知り合ったキーファー・サザーランド。だが、挙式の3日前に、ロバーツが突然心変わりして、婚約は破局した。彼女が後に、結婚式のたびに逃げ出す女性を主人公にした「プリティ・ブライド」に出演したのは、なんとも皮肉である。

 そのどたきゃんから2年後に彼女が結婚したのは、カントリー歌手ライル・ラヴェット。売れっ子ではあるが、決してイケメンとは言えない上、10歳年上である彼との結婚は、当時、アメリカのコメディアンに、ずいぶんジョークのネタにされた。この結婚は2年で破局したが、ふたりはその後も友好な関係にあるようである。

 次には、当時決して有名とは言えなかった4歳年下の俳優ベンジャミン・ブラットと交際。「ザ・メキシカン」の撮影現場でアシスタントカメラマンのモダーに出会ったのは、公にはまだふたりがつきあっていることになっていた時だ。モダーは当時、メイクアップアーティストと結婚していた。モダーとの離婚に妻がなかなか同意しなかった頃、ロバーツは、「Low Vera(情けないヴェラ)」と、彼の妻を中傷するメッセージを書いたTシャツを着て外を歩いたりしている。モダーの家族は、彼がロバーツと結婚するために妻を捨てることに大反対で、ロバーツと彼の家族の関係は、今も複雑なようである。

 しかし、ロバーツとモダーの結婚は、今年で15年目を迎えた。 たまに不仲説などが出たりしているが、一方では、夫婦の絆を確認し合うための儀式を計画しているという報道もある。2年前に、筆者がL.A.でロバーツをインタビューした時も、モダーが着いてきていて、取材が終わるとロバーツが運転する車で一緒に帰宅していた。

「プリティ・ウーマン」のギャラは30万ドル。それからまもなくハリウッドで最も稼ぐ女優に

 彼女が最初に注目されたのは、1988年の「ミスティック・ピザ」。翌年の「マグノリアの花たち」では、キャリア初のオスカー候補入りを果たしたが、大ブレイクは言うまでもなく1990年の「プリティ・ウーマン」だ。

「ミスティック・ピザ」(写真/MGM)
「ミスティック・ピザ」(写真/MGM)

 ビバリーヒルズを舞台に、コールガール(ロバーツ)とウォール街の成功者(リチャード・ギア)のロマンスを描くこのロマンチックコメディは、全世界で4億6,000万ドルを稼ぐ大ヒットとなる。この役の候補には、シャロン・ストーン、メグ・ライアン、ミシェル・ファイファー、フィービー・ケイツ、テイタム・オニール、ダリル・ハンナ、エリザベス・シューなどが挙がっており、ロバーツには最後に回ってきたとのことだ。2年前、ちょうど「プリティ・ウーマン」公開から25周年だったことから、この映画について思い出を聞くと、彼女は「あの映画にゲイリー(・マーシャル監督)がどんな魔法をかけたのか、わからない。でも、それは人をとりこにしたの。今もまだ、人はあの映画について私に語ってきてくれるわ。あれは、私にとって、小さくて大事な宝物よ」と語った。

 この時のロバーツのギャラは、30万ドル(約3,400万円)。だがその後、彼女のギャラは急騰し、彼女をオスカーに導いた「エリン・ブロコビッチ」では、女優として史上初めて2,000万ドル(約22億7,000万ドル)のギャラを獲得した(男優で最初にこの金額を獲得したのは『ケーブルガイ』のジム・キャリー)。

 最近は大きなヒットに恵まれないものの、ランコムの広告出演などもあって、 高収入をキープしており、今年の「Forbes」の「最も稼ぐ女優」ランキングでは、8位に君臨している。しかし、本人に言わせれば、彼女自身は、「プリティ・ウーマン」の頃から変わっていない。

「昔のままの自分が成熟した感じね。こういうことがやれたら、と思うことがひとつずつかなって、才能のある人々と知り合うことができていった。そうやって、アーティストとしてのニーズが少しずつ満たされるにつれて、少しずつ成長したバージョンに変革していったの。でも、それは、前の形の成長であって、変化ではないわ。ああ、でも、『プリティ・ウーマン』の時みたいに、家賃が払えるかどうかの心配はしないという部分は、変化かしら」。

 次の10年、彼女はどんなふうに成長し、成熟していくのだろうか。 

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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