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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はマット・デイモンが監督するはずだった:裏にあるちょっと良い話

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
左からケイシー・アフレック、ケネス・ロナーガン、マット・デイモン(写真:Shutterstock/アフロ)

13日(土)に、いよいよ日本公開となる「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、心に大きな傷を抱えた男性リーが、死んだ兄の残した高校生の息子(リーの甥)とのぎこちない関係に悩まされる、暗く、重いドラマ。しかし、この映画が生まれた裏側は、温かい男の友情物語に満ちている。

ストーリーを思いついたのは、エミリー・ブラントの夫ジョン・クラシンスキー(『かけひきは、恋のはじまり』『恋するベーカリー』)。クラシンスキーは、妻が「アジャストメント」でマット・デイモンと共演したのがきっかけでデイモンと友達になった。デイモンとクラシンスキーは、偶然にも、ボストン周辺の、すぐ近くの街で生まれ育っている。ふたりは「プロミスド・ランド」(2012)の脚本を共同執筆し、一緒に出演もしたが、クラシンスキーが持ち込んだ、彼らの生まれ故郷を舞台にする 「マンチェスター〜」の構想があまりにも良かったため、デイモンは、これは自分が監督と主演を兼任すると決めた。

だが、脚本は、別の人が書く。デイモンが、やはり彼の友人であるケネス・ロナーガンに声をかけようと提案したせいだ。

デイモンは、ロナーガンと「Margaret(日本未公開)」で組んでいる。この映画は、2007年の北米公開が予定されていたのだが、尺の長さと編集をめぐってプロデューサーとロナーガンの間で訴訟沙汰が起き、4年もお蔵入りすることになった。デイモンは、その醜い争いですっかり落ち込んでいたロナーガンを訪れて、「マンチェスター〜」の脚本を書かないかと依頼したのである。ロナーガンが優秀な脚本家であるのはもちろん大きな理由だが、この仕事を通じて、彼をまた軌道に戻してあげたいという思いも、デイモンの中にはあったようだ。

長引く訴訟や、ロナーガンが関わっていた舞台関係の仕事などもあり、脚本の完成には、思ったより時間がかかった。ようやく出来上がった頃には、デイモンのスケジュールが忙しくなりすぎていて、監督をするのは不可能と判断する。主演だけなら監督ほどには時間を取られないため、主演にはとどまりつつ、デイモンは、ロナーガンに、君が監督も兼任したらと勧めた。そしてついに主演もあきらめざるを得なくなった時、デイモンは、幼ななじみで大親友のベン・アフレックの弟、ケイシー・アフレックに声をかけたのである。リーのような役は「俳優にとっては、めったにめぐってこない美味しい役」と言うデイモンは、「そんなのを譲ることになるならば、一緒に育った人、喜んであげられる人にしたかった」と、振り返っている。

ケイシー・アフレックは、この役で 、見事オスカー主演男優賞を獲得。ロナーガンも、監督、脚本の両方でノミネートされ、監督部門で受賞した。作品も候補入りしたため、デイモンの名前も作品部門で入っている。デイモンから友情オファーを受けた友人たちは、彼を裏切らない立派な仕事をすることで、友情恩返しをしたと言えるだろう。

それにしても、ベン・アフレックやジョージ・クルーニー、ドン・チードルら友人が次々監督として作品を送り出す中、自分も監督したいと言い続けて来たデイモンが今も果たせないでいるのは、もどかしいことだ。「プロミスド・ランド」も、本来ならば自分で監督するはずだったのを、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」のガス・ヴァン・サントに譲ったという経緯がある。昨年はクラシンスキーもコメディ映画「The Hollars(日本未公開)」で監督に初挑戦し、またもや先を越されてしまった。クラシンスキーは、妻ブラントと共演する次の監督兼主演作も決まっている。

デイモンの問題は、売れっ子すぎること。俳優として良いオファーがたくさん来すぎて、それらのスケジュールが微妙にずれまくるうちに、自分で進めてきていた監督作を入れる隙間が、なくなってしまうのである。それでも、彼にはまだ監督をしたいという情熱があるし、親友のベン・アフレックは、デイモンが素晴らしい監督になることを予測している。「と言うか、マットはすでに優れた監督なんだよ。僕は自分の監督作を作っている間、まめにマットに見せるんだが、彼はいつもすごく良い指摘やアドバイスをしてくれるんだよね。監督として彼の名前がついたものがまだ世の中に出ていないだけで、それが起こったら、それはすごく良いものになる。間違いない」と、アフレック。アフレック監督、デイモン主演で映画を作りたいともふたりはだいぶ前からコメントしてきているが、アフレックのキャリアが、監督だけでなく俳優としても復活した今、それもますますスケジュール的に難しくなっているらしく、最近はあまりそのことに触れなくなった。

そもそもこのふたりのキャリアは、ハリウッドに来たはいいが役がないことにフラストレーションを感じて書いた「グッド・ウィル・ハンティング〜」で、本格的に始まっている。この映画で、ふたりはともにオスカー脚本賞を受賞した。ふたりは出演もしているが、主人公ウィルを演じたのは、デイモン。デイモンのほうが年上ということで、アフレックが譲ったのだそうだ。そんな話は世の中にたくさんあると言われれば、そうかもしれない。でも、そういった当たり前な話がハリウッドでも時々聞かれるのは、ちょっと嬉しいことである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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