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ジャスティン・リン監督:「ポール・ウォーカーの死をまだ飲み込めていない」

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「スター・トレック BEYOND」ロンドンプレミアでのジャスティン・リン(写真:REX FEATURES/アフロ)

ハリウッド映画業界における人種の偏りが批判される今日、ジャスティン・リンは、超大作を任されては確実に成功に持ち込む、数少ないアジア系監督のひとりだ。

彼のキャリアのスタートは、クレジットカードを上限まで使い切り、25万ドルという超低予算で、実家を使って撮影した「Better Luck Tomorrow」(2002: 日本未公開)。アジア系アメリカ人の世界を描くこの犯罪映画は、サンダンス映画祭で絶賛され、インディペンデント・スピリット賞にもノミネートされた。そんな彼に注目したのが、「ワイルド・スピード」シリーズのプロデューサーたちだ。1作目はスマッシュヒットしたものの、2作目ですでに減速を見せていた「ワイスピ」は、3作目をDVDスルーにするかというアイデアも出ていた。シリーズのファンならご存知のとおり、3作目「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」(2006)は、ポール・ウォーカーが本人の意思に反して降板させられ、舞台も東京に移って、言ってみればスピンオフのような感じだった。だが、ヴィン・ディーゼルが最後にちらりとカメオ出演し、大きな興奮を呼んだことが、このシリーズの潜在性を示唆する。

筆者がリンを初めてインタビューしたのは、この時だった。「『ワイスピ』を次もまた手がけたいか」と聞くと、リンは、「ひとつのことばかりやるのはおもしろくないから、どうかな」と、かなり消極的な姿勢を見せ、「インディーズもまたやりたいし」と語っていた。

しかし彼は、その後も3作を監督し、1作ごとに、前よりも大きなヒットに持ち込んでは、このシリーズを、世界的に愛される大人気シリーズへと育てていったのだ。そして、6作目で、彼はついにこれが最後と決めた。7作目の監督に選ばれたのは、やはり超低予算のインディーズ「ソウ」でブレイクを果たしたアジア系監督ジェームズ・ワン。6作目のプレミアが行われたロンドンで取材した時、リンは、「来週以降、僕にはいろいろな選択肢がある。10年前なら考えられなかったことだ。その中には小さなインディーズもあるし、大作もある。どれを選ぶかはわからない。自分は幸運だと感じているし、同時に、これは自分の力で得たものだという満足感もある。僕はそれをエンジョイしたい」と希望に満ちた表情で語っていた。

リンに絶大な信頼を寄せるようになっていたウォーカーは、リンの新たな門出を祝いながらも、「ジャスティンがやらないなら、僕も戻るべきじゃないかもしれないと思った」と、後に告白している。そのウォーカーは、思いもかけない形で、7作目を撮影中の2013年11月30日、この世を去ることになった。

筆者が「スター・トレック BEYOND」のためにまたリンに会った時には、ウォーカーの死から3年半が経過していた。それでも、彼の思い出について聞くと、リンは、目をうるませ、言葉を震わせている。さらに、このインタビューからまもなく、リンは、「スター・トレック」で監督したアントン・イェルチンを、これまた予測もしない事故で失うという悲劇に直面した。筆者は、その事故の3週間ほど後にも、再びリンをインタビューしたのだが、さすがにこの時は、パラマウントから、「イェルチンに関することを聞くのはいっさいNG」とのお達しが出た。ここでは、イェルチンの悲劇の少し前に筆者がL.A.にて行った単独インタビューの内容を紹介する。

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あなたは「ワイスピ」シリーズを3作目から引き継ぎ、毎回どんどん良いものにしていきましたよね。「スタトレ」でも同じことをやってくれるのでしょうか?

僕はすごく幸運だったんだよ。J・J・エイブラムスが僕に電話をくれた時、彼は、「君のやりたいようにやって。自分の映画を作ってくれ」と言ってくれたんだ。そして、この豪華キャストを僕に引き渡してくれたのさ。そんな理想的な状況はないよ。さらに、脚本家は、「スタトレ」を心から愛してきたサイモン・ペグとダグ・ユングだ。このチームのもと、僕らは、すごく短い期間に、たくさんのことをやってみせることができたんだ。それは誇りに思っている。

あなたも昔から「スタトレ」のファンだったのですよね?

ああ、僕は、「スタトレ」を見て育ったよ。「スタトレ」は僕の家族の一部みたいだった。でも、サイモンみたいには詳しくない。サイモンは、すべてのエピソードを知り尽くしている。そこが、今回のコラボレーションのすばらしいところだった。僕ら3人は、お互いをチェックし合いつつ進めたんだよ。「スタトレ」は、今年50周年を迎える。その間に、素敵なことがたくさん起こった。そのことに敬意を表したい。僕らは、どのキャラクターに関しても、それぞれの過去を意識して、今作を作ったつもりだ。

この映画の撮影が始まる前、「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」でサイモンをインタビューしたのですが、その時、彼は、今作の準備中で、スケジュールが信じられないほどきついと言っていました。

そのとおり。これは記録だと思うよ。冗談で言っているんじゃないよ。この規模の映画を、これ以上のスピードで作るのは、不可能だと思う。アイデアが出来上がってから撮影まで3ヶ月半しかなかったんだ。そんなの聞いたことがない。

あなたが監督に決まった時、脚本はどこまでできていたのですか?

ゼロだ。(2015年)1月末にロンドンでサイモンとダグに合い、その後は電話で話し合いを進めた。彼らが脚本を書いている間に、僕は撮影用のセットを作り、6月には撮影をしていたのさ。こういうことは今までになかったし、あるべきじゃないね。

「スタトレ」は熱烈なファンが大勢いて、当然注目が集まるわけですが、良い作品にしてみせる自信はありましたか?

あったよ。だって僕はやらなくてもよかったんだから。実際、別の映画の脚本を書いて、その準備をしているところだったんだ。低予算の映画だよ。人生で何かを選択をする時、それは正しい理由にもとづいていなければいけない。そして僕は、僕の頭の中にずっとあったそのプロジェクトを中断して「スタトレ」をやったんだ。L.A.暴動を描くプロジェクトを、僕は、何年もやりたいと思っていた。それをあきらめたんだよ。それが「スタトレ」をやる代償だった。だから、僕は自信があった。「僕は自分が何をできるかわかっている。誰と仕事をするのかもわかっている。さあ、やろうぜ」という感じだった。

リン(中央)と「スター・トレック」のキャスト
リン(中央)と「スター・トレック」のキャスト

あなたは、何もないところからキャリアを初めています。こんなふうにハリウッドで引っ張りだこになったことを、今、どう思いますか?

それを狙っていたわけじゃないんだよね。僕が目標としているのは、朝起きた時に、今日の自分は昨日の自分より良いと思えるようにすること。新しいことに挑戦し、成長していきたいんだ。その結果、今のところまできた。だから7月22日((注:『スター・トレック BEYOND』の北米公開日。このインタビューはそれより前に行われている)が来た時、その後に自分が何をするかわかっていないんだ。プロジェクトはいろいろあるけれど、その時、自分がどう感じるのかを見たいと思っている。そういう立場にいられるのは素敵なことだ。選択肢がなかった12年前のことを、僕はしっかり覚えている。業界に知り合いなんて誰もいなかった。でも、これからもずっと以前と同じアプローチを続けていきたいと思っている。

ジェームズ・ワンはあなたから「ワイスピ」を受け継ぎ、予想もしなかった試練を乗り越えて、7作目をすばらしいものにしてみせました。そのことについてどう感じますか?

僕が「ワイスピ」を始めた時、そこにはあまりたくさんのものがなかった。だから、僕はそこから自分で築いていかなければならなかった。人間関係を築いていったのさ。あのシリーズを8年手がけていくうちに、出演者たちとも映画のファミリーを築けたし、世界のファンとも絆を作っていくことができた。あのシリーズにはこれからもがんばってほしい。彼らは一生僕のファミリーだ。でも、そこから離れるのは、僕自身が行った選択。僕は、長い時間をかけてポールやヴィンと、思うところを話し合った。一緒に4つ映画を作って、このままこれを続けられるとはわかっていたけれども、もしそうしてしまったら、自分は満足しないと僕にはわかっていたんだ。自分が成長できないと。ビジネスにもとづく決断ではなく、個人的な決断だったんだよ。そうしなければ、みんなに嘘をついていることになるとも思った。あの成功は誇りに思っている。僕はあのシリーズの伝説に貢献したんだ。ヴィン、ミシェル(・ロドリゲス)、ジョーダナ(・ブリュースター)、みんなの今後の活躍を、僕は望んでいる。

ポールはいつも、あなたのことが大好きと言っていました。あなたがやめる時、自分もシリーズをやめようかと思ったとまで語っています。あの悲劇をあなたはどう乗り越えたのですか?

(やや声をつまらせ、目をうるませながら)、乗り越えられたのかどうか、まだわからないんだよね。ポールは特別な人だった。すごく親しい友達だった。彼には彼の家族があったし、いつも必ず一緒というわけじゃなかったが、仕事をしている時、僕らの間には、とても強い信頼があった。撮影が終わって、8ヶ月くらい彼を見ないこともあったよ。でも、また次の撮影会ったら、まるで昨日も会っていたみたいだったんだ。僕の頭は、まだその状態にある。だから、彼はもうここにいないんだと自分に思い出させないといけなかったりする。それだけポールは僕にとって特別な人だったんだ。彼はいつもここにいる。正直言って、まだ飲み込めていないんだよ。彼は僕の人生における重要な人だった。「ワイスピ」で、ポールとヴィンのバランスはすばらしかった。それを失ったのを受け止めるのは難しいんだ。もう彼はいないんだと、みんなわかっている。なのに、あの悲劇が起こったのだということを、自分に思い出させないといけないことが、よくある。彼のことがとても恋しいよ。

多様性の欠如は、今、ハリウッドで最も問題視されている事柄です。さまざまな人種が登場し、女性も活躍する「ワイスピ」は、ハリウッドの現状に反するにも関わらず、いや、それが魅力でもあるからこそ、大人気を得て、興行成績をたっぷり稼いできました。なのに今もハリウッドは「ワイスピ」に追従することなく、あいかわらず白人男性に良い役を与えることにこだわっています。

映画を作るのは、ひとりの画家が絵を描くのとは違って、大勢の人が関わるし、たくさんのお金がかかる。だから保守的になりがちなんだと思う。無難でありたいんだ。大胆であろうとする作品ですら、保守的になる。でもフィルムメーカーとして、僕は、自分が真実だと感じることをやりたいと思っている。「違う人種には共感できないよ」と言われたこともある。僕は「それは違う。僕は子供の時にシルベスタ・スタローンに共感できたんだ。彼はアジア人ではない。ならば、僕がアジア人の話を書いたとして、どうしてほかの人が共感できないとわかるんだ?同じ人間じゃないか」と言ったものだ。今、みんなが多様化について話している。これが一過性のものでなく、みんなが本気でとらえてくれることを願っているよ。そして、みんながチャンスを与えてもらえることを。でも、俳優であれ、監督であれ、その人たちは、チャンスをもらったら、成果を見せなきゃいけない。チャンスをもらって、良い仕事をやってみせたら、またチャンスをもらえる。でも、ひどい仕事をしてみせたら、次にまだまだ多くがそこを狙って順番待ちをしているんだよ。

「スター・トレックBEYOND」は21日(金)全国公開。

ジャスティン・リン Justin Lin1971年台湾生まれ。南カリフォルニアに育ち、UCLAを卒業。在学中に「Shooting for Fangs」(1997: 日本未公開)を共同監督する。「Better Luck Tomorrow」(2002) で単身監督デビュー。「Annapolis」( 2006;日本未公開) を経て、「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」(2003) を監督。以後、シリーズ6作目まで合計4本を手がけた。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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