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ダコタ・ファニング、道をはずさなかったのは「親のしつけが悪いと言われたくなかったから」

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今週、トロント映画祭に出席したダコタ・ファニング(写真:ロイター/アフロ)

ダコタ・ファニングに、久しぶりに会った。

初めてダコタをインタビューしたのは、「コール」でシャーリーズ・セロンと共演した2002年。当時、彼女は8歳だった。大人を目の前にして、人見知りもせず、はきはきと答える姿を見て、ずいぶん感心したのを覚えている。その後、「アップタウン・ガールズ」(2003:共演した故ブリタニー・マーフィーと親しくなり、当時、ブリトニー・スピアーズのファンだったダコタは、『私が好きなのはブリタニーとブリトニーなの』と言っていた) や、「マイ・ボディガード」(2004:公開から何年もたってからも、デンゼル・ワシントンはダコタのことを振り返っては褒めている)などでも会ったが、最後にインタビューしたのは、「ランナウェイズ」(2010)だ。その時は電話インタビューだったので、対面で話すのは「ニュームーン/トワイライト・サーガ」(2010) 以来かもしれない。

ニューヨーク大学に通う22歳のダコタは、今週、「Brimstone」と「American Pastoral」2作品を引っさげて、トロント映画祭にやってきた。前回この映画祭で彼女に会ったのは、「夢駆ける馬ドリーマー」(2005)の時。取材前、たまたま彼女と同じエレベーターに乗り込んだら、筆者も、彼女も、そばにいたスタッフも、みんな当時流行だったトゥルー・レリジョンのジーンズをはいていた。それに気づいた彼女が、「これって、すごくフィットが良いものね」と言い、12歳でジーンズのフィットについて語れるとはと、これまた感心したものだ。

それでも、当時は、やはりまだ子供なので、受け答えの感じはとても良いのだが、話に広がりや奥行きはなかった。それが大きく変わったと感じたのが、高校生になった「ランナウェイズ」の時だ。そして、今、目の前にいる彼女は、完全なる大人の女性である。

「Brimstone」/Courtesy of TIFF
「Brimstone」/Courtesy of TIFF

それはまた、役柄にも現れている。今回映画祭で上映された「Brimstone」で、ダコタはなんと、母親を演じるのだ。「ついに、あなたが母を演じる日が来ましたか。以前だったらあの娘役のほうでしたよね」と感慨深く言うと、彼女は、「そうよね。クレイジーだわ」と笑った。自分でも子役を経験しているだけに、子役の扱いは心得ているのではと聞くと、そうでもないという。

「私が子役だった頃、大人の共演者はみんな、私を対等に扱ってくれた。子供扱いされたことはなかったわ。それは、私にとって、すごく有益なことだったのよ。おかげで、私は、プロフェッショナルなふるまいを学ぶことができたの。子供は、人間として成長しようとしている。会話をしているふりをするのではなく、本当に会話をしてあげるべき。あの女の子もすごくかわいい子で、私たちは、楽しい時を過ごしたわ。」

この映画で彼女が与える衝撃は、それだけではない。日本公開が決まっていないとはいえ、ネタバレは避けつつ書くが、彼女は娼婦宿に売られたり、性暴力を受けたり、残酷で、まったくもって不当な扱いを受けるのだ。DV、レイプなど、女性に対する暴力にあらためて焦点が当たっている今日、ウエスタンの時代を舞台にしたこの映画は、多くの人に見てほしい1本である。

「自分にも、観客にも、チャレンジを与える役を演じられるのは、刺激的なこと。この映画は、とても大胆。私はこれをウエスタンというジャンルとは思っていないけれど、その時代を女性の視点から描くというのも、興味深いと思った。そういう映画は、あまり見ないわよね?」

女性のための良い役が少ない、女性を正しく描く作品が少ないと批判される映画界で、「Brimstone」は、すばらしいお手本のひとつでもある。現在、大学で、映画の中の女性について学んでいるダコタは、言われるまでもなく、それを認識しているだろう。

「映画の中で女性はどんなふうに描かれてきたのか、そしてなぜ今も正しい女性像が描かれないのかを学んでいるの。『じゃじゃ馬ならし』で、シェイクスピアは、所有、結婚という概念に触れている。そんな昔に語られていたことを、私たちはあいかわらず語っているのよ。なのに、なぜ解決されないのか。解決される日は来るのか。そういうことを、私は、日々考えているの。」

「Brimstone」/Courtesy of TIFF
「Brimstone」/Courtesy of TIFF

学業と仕事の両立は、苦にならない。子役時代はホームスクールだったが、「普通の高校生活も体験したい」と、14歳くらいからは、ほかの生徒たちと同じく高校に通った。「歳をとった時、人はよく、高校時代の思い出を語るでしょう?私も、そういう体験が欲しかったの」と、当時、ダコタは語っている。

「学校との両立はずっとやってきたことだから、もう慣れている。これが終わってしまったら、時間ができすぎちゃって、どうしよう、って思うかもね(笑)。大学では、普通の一生徒でいられるわよ。一般的にいって、ニューヨークで目立たないでいるのは、簡単。忙しい街で、みんな自分のことで手一杯だから。私の友達の多くも同じ時にニューヨークに引っ越したので、まだよく同じ仲間で集まっているわ。」

「I am Sam アイ・アム・サム」で、映画俳優組合賞(SAG)史上最年少の候補者となって以来、ダコタは、世界中の注目を浴びながら成長していった。「夢駆ける馬ドリーマー」で共演したカート・ラッセルからは馬を、「宇宙戦争」(2005)の共演者トム・クルーズからはiPodをプレゼントされ、スティーブン・スピルバーグからは、「宇宙戦争」の後も、ずっと優しいアドバイスをもらい続けている。業界の大ベテランにかわいがられて育った彼女は、彼らをがっかりさせることなく、女優としても、生徒としても、優等生を通してきた。ほかの多くの若手セレブのように、夜遊びやドラッグに誘惑されないままこられたのはなぜかと聞くと、「わからないな」とちょっと首をかしげた後、こう続けた。

「私には、すばらしい家族がいる。だから、そういうことをするのは、ありえなかったんだと思う。他人がどう思うかじゃなくて、ママにどう思われるかと思ったら、できなかったのよ。それに、責任も感じたわ。私が何か問題を起こしたら、世間は、『親の育て方が悪かった』と言うでしょう?ママとパパをそんな目に遭わせることは、絶対に嫌だったの。」

ゴシップとは無関係で、彼女について語られる時はたいていポジティブなことだが、それでも、世間の言うことに振り回されないということは、意識している。

「公に出る立場にいると、いろんな意見を受けるものよ。知らない人は、何かひとつの写真を見て、前後の脈略もわからないまま、勝手に判断したりする。私は、個人的に自分を良く知ってくれている人たちの意見だけを尊重するようにしているわ。」

彼女の精神年齢は、たぶん、ずっと前から22歳だったのだろう。そこに今、肉体が追いついたのだ。それも、とても美しい形で。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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