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「不屈の男 アンブロークン」は、その“後”がおもしろい

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
主演のジャック・オコンネル(左)と監督のアンジェリーナ・ジョリー(写真:ロイター/アフロ)

アンジェリーナ・ジョリーが監督する「不屈の男 アンブロークン」が、北米公開から1年以上を経て、ついに日本でも公開になった。

陸上選手としてベルリンオリンピックに出場したルイ・ザンペリーニが、第二次大戦に従軍中、飛行機が太平洋に不時着し、47日もイカダで漂流したあげく、日本軍の捕虜となり、2年以上にわたって過酷な扱いを受けつつも強く生き抜くという実話だ。映画は、戦争終了で終わって、その後起こったことについては、クレジットの前に短い映像と文章で説明されるにとどまっている。もちろん、そこまででも十分映画にするに価する人生なのだが、戦後の彼の人生もまた、非常に興味深いのだ。

戦後、ザンペリーニは、イカダで漂流した47日間について、1日あたり7ドル60セントの手当が出ると教えられた。しかし、軍の上層部が拒否し、その手当を受けられなかった。1946年に結婚するが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされる。「毎晩のように、ザ・バード(映画の中でMIYAVIが演じる渡辺伍長)が私の喉を締めている悪夢を見た」と、後にザンペリーニは語っている。

そのせいで彼はアルコール依存症に陥り、結婚生活は危機にさらされた。そんな中、妻は福音伝道師ビリー・グラハムの伝道集会に参加し、再びキリスト教徒として目覚める。妻に説得され、乗り気になれないままグラハムの伝道集会に連れて行かれたザンペリーニは、その日を機に、熱心なキリスト教信者として、新しい人生を歩み始めることに。1956年に出版された自伝本「Devil at My Heels」で、ザンペリーニは、「私は、ひざまずき、生まれて初めて、神の前で謙虚な気持ちになった。言い訳は何もなかった。それを正当化しようとも思わなかった。それを責めようとは思わなかった」と、その瞬間を振り返っている。

その目覚めは、自分に苦しみを与えた看守たちを許すという決意を与えた。そのとたんに、もう悪夢は見なくなったと、ザンペリーニは告白している。彼は、日本に戻り、看守たちを訪れ、ひとりひとりに、「あなたを許します」と告げることをしたが、渡辺だけは、最後まで会うことを拒否したという。

その後のザンペリーニは、商業不動産のビジネスを手がけつつ、若者や高齢者に向けた教会の活動や、問題児の子供たちのためのキャンプの指導などに貢献をする。生まれながらに体を動かすことが好きな彼は、81歳になるまでスケートボードを続け、スキーは、その後も10年続けた。L.A.郊外のトーランスに育ち、南カリフォルニア大学に通ったザンペリーニは、地元のヒーロー的存在で、2015年のローズ・パレードのグランドマーシャルに任命されている。ローズ・パレードは、毎年1月1日に行われる、L.A.の一大イベントだ。しかし、2014年7月2日、ザンペリーニは、97歳で死去。映画の北米公開は同年12月で、プレミアには参加できなかったが、ジョリーは完成作を彼に見せている。

この映画化までの過程もまた、なかなかおもしろい。ユニバーサル・ピクチャーズは、ザンペリーニの自伝が出版された直後に、映画化権を購入し、トニー・カーティス主演で製作準備を進めた。しかし、カーティスが「スパルタカス」(1960)に出ることを決めたため、降り出しに戻る。その後50年間、ニコラス・ケイジやアシュトン・カッチャーなどが主演の候補に挙がり、アントワン・フークアなどが監督に興味を示したりしたが、先に進まないままだったところ、2010年、ローラ・ヒレンブランドによる伝記本「不屈の男 アンブロークン」が出版され、ザンペリーニの人生に強く共感したジョリーが、ぜひ自分に監督させてほしいとユニバーサルに申し出て、企画は再び息吹を得る。トップ中のトップのスターであるとはいえ、当時、監督作は、低予算のインディーズ映画「最愛の大地」しかなかったジョリーは、スタジオを説得するのに相当の努力を費やしたらしい。

それまで本人たちは知らなかったのだが、偶然にも、ジョリーとザンペリーニの家は、目と鼻の先にあった。「こんなすぐそばで、彼は、50年も、『自分の映画は果たして誰がいつ作るのだろうか』と思っていたのかしらと思った」とも、ジョリーは語っている。ザンペリーニに強い尊敬の念をもつジョリーは、映画をできるだけリアルにするため、細かいこともとことん本人に質問をした。映画は、最後まで見せないでとっておくつもりだったが、彼が入院したと聞いた時、ジョリーはコンピュータを持って訪れ、病室で彼に全編を見せる。「彼は、自分の人生をそこで見ていたの。今、人生を終えようとしている、97歳の人が、自分が走り、オリンピックに出て、母がニョッキを作ってくれる様子を見ていたのよ。自分が何を達成したのか、何を乗り越えてきたのかを。彼は信心深い人なので、心の準備はできていたと思う。死ぬ準備、(天国で)また母に会う準備が。あの時のことを説明するのは難しいわ」と、ジョリーは、その時の状況を語っている。

それからまもなく、彼はこの世を去った。彼の死後も、ローズ・パレードは、彼を2015年のグランドマーシャルに据え置いている。映画は、アメリカで1億ドルを超えるヒットとなり、ヒレンブランドの本は、まだ売れ続けている。そして今、彼の物語は、日本でも語られることになった。ザンペリーニは、死ぬ直前まで、いや、死んだ後も、人並外れ、そしてまさに、不屈であり続けるのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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