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小山田氏問題。どこまで「いじめ」の内容を報じているか。国内と海外メディア、二つの断絶とは。

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
2004年 アテネパラリンピック開会式。立ち行進するトルクメニスタン選手(写真:ロイター/アフロ)

小山田圭吾氏(コーネリアス)の過去の「いじめ」が大問題になっている。

ネット上のソーシャルメディアでは、大大大炎上、大問題となっているのに、政治家や一般社会の動きは鈍いように見える。一部のテレビ番組で扱っている程度だ。

まるでネット空間(特にツイッター)だけで大騒ぎをしているみたいだ。これほど重要な、国の体面に関わる問題なのに。なぜだろうか。

私はその原因は「報道が、どこまで小山田氏が過去に行ったいじめの内容を、詳細に報道しているか否か」が大きいと思う。

「未成年の頃(障がい者を)いじめた」という情報しか知らない人が、「数十年も昔のことなんでしょう?」と関心をもたないのは、起こりうることである。

この現象が起きるのは、二つの断絶に原因があると思う。

一つ目は、国内の断絶。

二つ目は、日本と海外のメディアの断絶である。

これを書いているのは、月曜日未明なので、月曜日からは状況は変わるかもしれないが、現段階で観察したところを書いてみたい。

国内の断絶:ソーシャルメディアによる断絶

これを読んでいる方はご存知だと思うが、「過去のいじめ」の内容の大元は、以前彼が自分で話した2つのインタビューである。

最初は『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号だ。彼の半生を語るロングインタビューの中で、いじめを語ったのは1ページほどだった(ロッキング・オン社発行)。小山田氏は当時24歳。

次は、この記事を見て氏にインタビューを申し込んだという『クイック・ジャパン』1995年第3号。「いじめ紀行 第1回」として、22ページもの長さだったという(太田出版発行)。1年以上、間があいている。こちらの内容のほうが、よりショッキングである。

ネット上には、それはそれは沢山の情報が流出している。今回一番参考になったのは、雑誌のインタビューページの写真がネット上に流れているものだった。動かぬ証拠だからだ。

でも、これらを見ていない人は、国内全体を見渡せば、大変多いと思う。

国内の断絶とは、世代の断絶でもある。

ソーシャルメディアを頻繁に使う層(若者から中高年が多い)と、使わない層(中高年から高齢者が多い)の断絶だ。政治家のほとんどは、後者にはいるだろう。そして政治家が動かなければ、何も変わらないのだ。

日本の新聞はどのように報道したか

それでは、新聞はどのように報道したのだろうか。

何と言っても、新聞の影響力はまだまだ大きい。理由は二つあると思う。

一つには、中高年から高齢者は紙の新聞を読んでいる率が高いこと。

もう一つは、長年の間につちかわれてきた、紙の大新聞への信頼と権威である。

これは逆の言い方をすれば「ネットだのソーシャルメディアだので言われていることなんて、しょせんただの噂にすぎない」といった信頼のなさである。

日本では、権力をもっている政治家や経済人は圧倒的に高齢者が多く「誰が発信したかもわからないソーシャルメディアの内容なんて、いちいち相手にできない」と思っている人が多いのではないか。実際、忙しい人は見ている時間もないだろうし、そもそも使う習慣もないだろう。

政治家ではなくても、やはり紙で権威をもっている大新聞が何かを述べたのと述べないのでは大違いになることがある。

それでは、国内の新聞は、今までどのように報道したのだろうか。

小山田氏の問題を、(ネットではなく)紙面に掲載したのは、以下の新聞である。

<全国紙>

朝日新聞

読売新聞

毎日新聞

産経新聞

<全国ニュース網>

北海道新聞

河北新報

神戸新聞

<地方紙>

佐賀新聞

秋田魁新報

東奥日報

信濃毎日新聞

静岡新聞

徳岡新聞

愛媛新聞

佐賀新聞

沖縄タイムス

宮崎日日新聞

四国新聞

<スポーツ紙>

日刊スポーツ(最も多い4件)

スポーツ報知

デイリースポーツ

(G−Search調べ。7月19日7時前調べ。この巨大データベースに登録していない新聞社は結果に現れません)。

地方新聞、全国ニュース網はすべて、共同通信(あるいは時事通信)の記事が元のようだ。一部字数の都合で編集している所は見られるものの、内容や表現がほぼまったく同じである。地方紙では、ごく普通のことだ。産経新聞も同様だった。

出てくる表現は、主に以下の2つだ。

◎小山田さんは謝罪文でクラスメートや近隣学校の障害のある生徒へのいじめなどを認め「深い後悔と責任を感じております」とし・・・

◎同級生を箱に閉じ込めたり、障害のある生徒をからかったことを反省せず語っていた。

ごく簡潔な記述のみである。

私が調べた時点で独自の記事を書いているのは、毎日・朝日・読売の3社だった。

毎日新聞は16日東京と大阪の朝刊で以下のように書いた。

◎小山田さんが通っていた私立小学校から高校で、障害者とみられる同級生2人をいじめていたと明かしたとされていた。

◎クイック・ジャパンの記事には「この場を借りて謝ります(笑)」との記述もあるが、笑いながら語ったと描写されている。

状況は比較的詳しく書かれているが、いじめの内容はほぼ無いに等しい。

朝日新聞の17日朝刊

◎小山田さんは1995年8月に出版された書籍で、「いじめ紀行」と題した企画に登場。同級生をマットレスで巻いたり段ボールに閉じ込めたりしていじめたことや、障害者の特徴をあげつらって面白がっていた経験などを語っていた。

いじめの具体的な描写が載っている。しかし、人々に最も大きなショックを与えたと思われる内容は書かれていない。

読売新聞の17日夕刊

◎「学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為」をしたことは事実であるとし・・・

具体的によくわからない。

ちなみに、毎日新聞は、今回の報道では特に頑張っている。ネット版の情報も早かったし、G-Searchに登録されている「テレビ番組放送データ」(NHKは別)によれば、11件中TBSが3件、毎日放送が3件と、毎日系が過半数の6件を占めている(その他、読売系3件、朝日系2件)。

なぜ事実を書かないのか

このように、新聞に載っているのは、非常に婉曲的な表現だけである。

これしか知らない人は「まあ・・・何十年も昔の未成年の頃のことだし、謝っているんだし・・・」と思っても、無理はないのではないだろうか。

実際に小山田氏がインタビューで語ったことは、もっと凄惨な内容である。

なぜ、新聞は事実を書かないのだろうか。

一番に挙げられるのは、そういうものだと思われているからだ。極端な内容や表現はできるだけ避ける。社会や個々人に与える影響やショックを考えてのことだ。新聞は社会の公器だからである。

それから、どのような記事でも、裏取り(事実確認)は必要不可欠であるが、ひどい内容だと一層慎重になる。「こんなひどい内容、発表して、もし本当ではなかったらどうしよう」と怖くなる、というほうが近いかもしれない。

といって、雑誌じゃないので、情報は速く出さなくてはならない。裏をとる時間は今はない。となると、婉曲的に書いておけば、リスクは減る。

さらに率直に言うと、書くのが辛いというのもあるだろう。

汚い言葉やショックな内容は、書くのが嫌である。今回、あまりのひどい虐待に、読むのが苦痛だった人は多かったと思うが、書く方はもっと苦痛かもしれない。仕事の使命感がないと、もたない。

私はこの前、「翻訳は難しい。。。デンベレ選手の発言の日本語訳は、どう変だったか:サッカー界の差別問題」という記事を書いた。

デンベレ選手の発言の翻訳で「くそ、この言語め」と書いたが、「くそ」程度ですら書くのに抵抗があった。こんな下品な言葉を書いてもいいのだろうか、普段自分はそんな言葉遣いをしないのに、ましてや書くなんて・・・と思ったものだ。

このように、色々とまっとうな理由があるのだ。

しかし、それでも「これでいいのか」という疑問がわく。

今回の事件については、もうすでにネット上に、インタビュー記事ページの写真がでまわっていた。これは裏取りには十分な証拠ではないだろうか。もちろん、実物の雑誌を入手して確認するのが一番いいのだが・・・。

なによりも、多くの人が既に見て議論を戦わせているのに、新聞は相変わらず眠いような内容しか発表していないという状況は、どうなのだろうか。

「ネットに速さで勝てるわけがない。新聞では、多少遅れても正確、かつ、より詳細で分析的な記事を載せるものだ」と言われるだろうか。

さらに、差別がテーマの内容なのに、差別の内容を明確に書かないでどうするという思いがある。「天下の公器だから、うかつに書けない」というのはわかるが、子供も青少年も、もう何倍もひどい内容をネットで見てしまっている。中には間違いやフェイクも混ざっている。

ネットの正しい情報の見分け方を教えられていないので、信じてしまう人が大勢いる。

今の時代に、ネットがなかった時代の「天下の公器」という意識で良いのだろうか。

ただでさえ難しい内容な上に、五輪スポンサーに名を連ねた新聞社。本当に大丈夫なのか。今後を見守りたい。

海外の報道はどうなっているか

ここで海外の報道を見てみたい。

私の中には「理解しているつもりだが、もしかしたら日本が単に隠蔽体質なだけなのではないか」という問いがある。

これを考えるために、海外の報道を一つひとつ検証していきたい。初めに断っておきたいのは、どの記事も小山田氏が心から謝罪しているという声明は紹介している。

1)最も早く報道した媒体の一つは、イギリスの「The Telegraph」で、五輪特派員が書いたと思われる記事だ。

タイトルから既に「障がいのある同級生を虐待」「性行為を強要」と書いてある。

内容は以下のとおり。

◎精神的に病気のクラスメートたちを虐待し、他の生徒の前で性行為を強要したというインタビューが再登場している。

◎学校で、仲間に恐ろしい虐待を加えたと語られている。

◎障がいのある同級生を箱に閉じ込めたり、ダンボールを頭に巻きつけてチョークを中に流し込んだり、マットレスに包んで蹴ったり、自分の排泄物を食べさせたり、他の生徒の前で無理やり自慰行為をさせたりしたことを述べている。

実にはっきり書いている。これならば、なぜたくさんの日本人が「昔のことだし、反省しているし」と言わずに、猛反発しているか理解できる。なぜ五輪の作曲家として問題視しているかも伝わる。

ただ、二点、事実とは異なるのではと思った。

一つ目は、「自分自身の」排泄物とはインタビューで言っていない。『ロッキング・オン・ジャパン』には以下のように書いてある。

うん、もう人の道に反していることを。だってもう本当に全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ。(原文ママ。内容上、引用が必要な部分です。ご了承ください)。

二つ目は、自慰行為の部分。『クイック・ジャパン』では、強制したのは別のクラスメートで、本人は気持ちとしては引いてしまったと描写していたので、事実とは異なっている。

ただ、『ロッキング・オン・ジャパン』では前述のように書かれているので、これだけしか読んでいないと、小山田氏本人が進んで行ったように受け止められるだろう。

複雑な状況だ。「こういう間違いをするのは、いかがなものか(しかもタイトルにまで使っている)」という思いと、「それでも大方は正しいのであり、何も書かないよりは問題の本質を伝えている」という思いが、複雑に交錯してしまう。

この記者は、どの程度日本語ができるのか、あるいは日本語の良いアシスタントがいるのだろうか。もし同国のイギリス人が同じことをしても、はっきり書くのだろうか。この新聞は私はあまり馴染みがないので、よけいにわからない・・・と迷うが、でも自分の今までの観察を信じるなら、「イギリスの新聞だ、書くに違いない」と思う。

2)ほぼ同時くらいに、フランスの通信社AFPも記事を流し、それがフランス語圏等の複数の媒体に取り上げられた。

◎タイトルは「開会式の作曲家の一人が、障がい者への嫌がらせを謝罪」。

◎(再登場した)今回のインタビューでは、生徒だったときに、障がい者の生徒に嫌がらせをしていたことを、なんの反省もなく認めていた。

日本と同じで、やはり婉曲的な表現を使っている。虐待の内容がよくわからない。

3)アメリカのAP通信も、記事を流していた。この内容はアメリカやインドなどの複数の媒体に取り上げられていた。

◎小山田圭吾氏が、子供のころに同級生をいじめていたことを謝罪した。

◎障がいのある子供一人を虐待していたという報道

いじめの内容はやはりわからないが、「虐待」という言葉は使っている。

この記事は東京発で、日本人に見える名前の人が書いている。

4)イギリスの「The Guardien /The Observer」は、タイトルに「東京2020の作曲家が、障がい者の同級生に対する過去のいじめを謝罪」とある。

◎知的障がい者を含む学校の同級生たちをいじめていたという報道ののち、謝罪した。

◎英語と日本語のネット上のアカウントによると、小山田氏(52歳)は、ある少年に自分の排泄物を食べさせたり、他の生徒の前で自慰行為をさせたりしたという。

この記事は「AFPの報道により追加しました」と最後に書いてある。

のちの別の記事では、以下のように書いてあった。

◎小山田圭吾氏が、1990年代半ばに雑誌のインタビュー(複数)で、二人の障がい者の同級生をいじめて、笑い話として事件を片付けていたことを認めて謝罪した。

「二人」と正しく書いてある記事である。APの記事は一人だったし、他の記事はただの複数形だった。

5)またアメリカでの放映権をもつNBC放送は、独自記事を発表した。タイトルは、やはり「東京2020の作曲家が障がい者の同級生たちをいじめていたことを謝罪」

◎(リード)「コーネリアス」という芸名で活動している小山田圭吾は、かつて自分の虐待の様子を生々しく語っていた。現在は「ごめんなさい」と話している。

◎小山田圭吾は、1990年代に日本の雑誌に生徒を苦しめたことを自慢していた。その自慢話が、金曜日の試合開始まで1週間を切ったところで、再び彼を悩ませることになった。

◎現在52歳の小山田は、スター性が上昇中だった1990年代に、日本の音楽雑誌のインタビューで、とりわけ、知的障がいのある少年に自分の排泄物を食べさせたり、他の学生の前で自慰行為をさせたりしたことなどを振り返った。

◎これらの回顧は、後悔ではなくて、子供時代のおかしな(funny)出来事として振り返られていた」と、人気ブログ「ARAMA! JAPAN」は書いている。「彼はこれらの内容を自慢げに語っていた」。

「ARAMA! JAPAN」というのは初めて知った。英語の情報で、今回の記事は RONALDという人が書いている。内容はかなり詳細だが、やはり同じところが間違っている。

こんな誰が書いているかもわからないブログを引用するとは、いかがなものか。おそらく、他の媒体が書いていることも見た上で、大丈夫だと判断したのだろうが・・・。

NBCだけではなく「The Guardien /The Observer」では、出典が書いてある。このこと自体は大変的確で、必要な良いことだ(たとえ筆者が明確にわからないブログであっても、明記する姿勢は良い)。でも、内容の一部が事実と異なっているとなると・・・。

海外の報道をまとめるとーー

ほとんどどの記事も、最も衝撃的な内容を引用している。排泄物を食べさせたことと、自慰のくだりである。

「排泄物」は、日本語原文では、人間の物なのか、犬の物なのかもわからない。自分の排泄物を食べさせるのだと、何か特別な嗜好がある人なのではと想像させてしまいかねない(「問題は、排泄物を食べさせたことであり、そこは細かいことだ」と言われればそうなのだが・・・)。

「自慰行為」の部分は、ネットに出まわっていた雑誌のページ写真は『ロッキング・オン・ジャパン』のほうが遥かに多かったことも関係あるだろう。そのため、これだけを見た人が多かったのではないか。

『ロッキング・オン・ジャパン』のほうが、元々『クイック・ジャパン』よりも遥かに部数が多いのだから、当然こうなったのだろう。さらに、前者は小山田氏の半生を語るロングインタビューだったのに対し、後者はいじめ問題だけをテーマにしていた。半生語りのほうが、何十年経ってもファンが保存していた率が高かったのかもしれない(追記:後者はのちに復刻版が出たという未確認情報があります)。

間違いは、ほぼ最初に報道された「The Telegraph」の記事のインパクトが強かったのではと想像する。信頼のおける媒体だし、ここでの間違いが拡散したのではないか。ネット上に一般の日本人が英語を書いたが、英語を間違え、それが拡散した可能性もある。

こうなると、慎重だったAFP通信の記事の態度は、ジャーナリズムとしては正しかったと思えてくる。おそらく日本語の確認がとれなかったから、慎重になったのだと思う。

AFP通信が、フランスの媒体が、政治的に正しい表現を使うことはあっても、日本人のように加減を見たり忖度したりするとは、まったく思えない。

虐待だから、虐待とはっきり書く。それには、社会全体にこれは虐待であるという意識と、それを決して許してはいけないという意識が浸透していなくてはならないのだ。

その意識が浸透するには、人権のために動く人々がおり、組織があり、運動がある。だからこそ、人権を重んじる政治家が出てきて、人権を尊ぶ社会と教育がうまれるのだ。

日本にそのような社会はあるだろうか。ないなら、自分でつくらなければならない。

日本人が加減をみた結果は

現状として、凄惨ないじめの内容が、間違いのために一層凄惨になって、世界に広まっている。

今の日本に自浄作用は期待できないので、外圧の力を借りるのは良い。世界の人々で連帯するしかない。

でも、間違いがあっていいのか。ちょっとひどい間違いだと思う。

これを正す力は、日本のジャーナリズムにはないのか。

大変申し訳ないが、AP通信の記事、大変優秀な方が書いているのだろうに、婉曲的にぼかさずに、ちゃんといじめの内容の正確な情報を書いてくれていれば、天下のAPなのだから、このような間違いはここまで広がらず、正す力があったのではないかと思ってしまう。

同じ事は、日本の英字新聞にも言える。

3日前のこと、16日いち早く出した毎日新聞の英語版では、以下のことが報じられていた。

◎同級生たちを長年にわたっていじめていた。

◎「いじめ自慢」というハッシュタグで彼の就任を疑問視するツイートが上位にランクイン。

◎私立小学校から高校まで、明らかに障がいのある同級生二人をいじめたと告白した。

17日の夕方には朝日新聞の英語版が出ている。

◎同級生たちをいじめたり、障がい者の人たちをからかったりしたことについて、謝罪した。

◎(1995年8月発刊の雑誌インタビューの中で)同級生をマットレスで巻き込んだり、別の同級生を段ボール箱に閉じ込めたりしたと語っている。また、障がい者の長距離走をバカにしたとも語っている。

これらは、日本語記事をもとにした翻訳と言えるだろう。

新聞の役割とは

ここで、一つの結論が導き出されると思う。

日本人が、様々に理由をつけて、いくらぼやかして書いても、重要な内容であれば欧米のメディアははっきりと書く。

英語の情報については、「もっと裏をとって正しく書け」「匿名のブログなんて引用するな」とは思うが、それでも「大問題が生じている」「なぜなのか」という内容は伝わった。

これでは、せっかく日本の新聞社がお金と労力を使って英語で報道しても、意味がないではないか。彼らはおそらく今回、日本の英字新聞は参考程度にしか読んでいない。読んでも最も大事なこと、核心は書いていないからだ。彼らはネット上で、独自に情報収集したようだ。

「新聞は天下の公器」の意識だとしても、結局は間違った情報がでまわる状態を正せる機能も果たさないのでは、意味がないではないか。

日本の新聞の英語版は、日本語版がもとになっているのだから、日本語記事が明確に書いていなければ、どうしようもない。

外国の情報だけではない。日本語のネットにも、日本語のワイドショーにも、間違いがでまわっている。それを正せるのは「新聞の権威」しかないのではないか。新聞こそが、表現には気をつけながらも、真実を率直に書くべきだった。

このネット時代に、日本だけ相変わらずガラパゴスで、ぼやかした中にいる訳にはいかないだろう。

今回に関しては、インタビューのページ写真がでまわっているのに、何をそれほど躊躇する必要があったのだろうか。慎重さのためだったのか、「書けないのを察してください」なのか、大会スポンサーだからなのか。

慎重さのためだったというのなら、これからの報道には期待したいと思う。

どのみち、急激な国際化+ネット化+間違いやフェイク、この3つが合わせて進む今の時代に、どう対応するかーーという問題は、今後も向き合い続ける必要があるだろう。生き残りのためにも。

社会の越えてはならない一線

一応、私の考えを最後に書いておきたい。興味のある方だけお読みください。

私の意見は、『ビジネスジャーナル』というサイトに掲載されていた、以下の関東地方の障害者スポーツ協会の幹部の発言と、だいたい同じである。

人間誰しも、完璧で清廉潔白な人生を送っているわけではありません。若いころには過ちもあるでしょう。いじめた経験がある人間が、五輪の開会式に携わるのが問題だということではありません。

 社会的に影響力が高いミュージシャンが、不特定多数が目にする雑誌に、ご自身が正しいと思ってそのような主張をしていたということ。そして、それ以降、このインタビューに関する新たな発信をされたのでしょうか。それがないのが大きな問題なのだと思います。今も同じ考えであるのならオリンピアンにはそぐわないのではないでしょうか。

 『昔のことだから』『そういう時代だったから』で済むことと、済まないことはあります。少なくとも今回の問題は、公の立場の人の、公の場での発言をめぐる騒動です。ネット上でもインタビュー記事を読みましたが、いじめた相手に対して反省の気持ちはもちろん、『悪いことをした』という思いもないように見えました。今は、そこから成長されたのでしょうか。

今回の件は、明らかに「済まないこと」だと思う。

私はミュージシャンである彼のことは知っていたが、過去のことは今回初めて知ってショックを受けた。

今まで何度か、炎上したことがあるという。それならなぜ今まで、謝罪や、贖罪に思える言動をしてこなかったのか。当時彼は未成年だったのだから、そういう行動が今までにあったのなら、人々の反応は今回違ってきたと思う。

もし、そういう行動をしたというのならば、今すぐに茂木健一郎氏のいうように、会見を開いて釈明をするべきだと思う。ぐずぐずしている時間はない。

それができないのなら、今すぐに辞退するべきである。もう世界でニュースになっている以上、このような人物が五輪、特にパラリンピックの音楽を手がけたとあっては、一大事である。日本の汚点が、世界のオリンピック史に永遠に残ってしまう。

私は今年の五輪開催には反対で延期をするべきだと思っているが、それでも開かれる以上、世界に見せる日本国の顔の一人として五輪に出るのに、彼はふさわしくないと思う。

それと、「そういう時代だった」論には、意義を唱えたい。

全体的に今よりも緩かったのは確かではある。

私の記憶(首都圏)によれば、90年代中頃に『ロッキング・オン・ジャパン』は、中型書店に行けばどこでも売っていて、音楽好きならみんな名前を知っているような雑誌だった。

内容的に一層問題が大きい『クイック・ジャパン』のほうはと言えば、私は「そんな雑誌、あったの?」と思った。だから「当時は、こういうのを堂々と書ける時代で」と言われても、ピンと来ない。

彼らは「鬼畜系」と呼ばれるという。今回初めて知った。調べてみると、90年代の文化だったようだ。その中に大騒ぎになった『完全自殺マニュアル』が出てきていた。これは知っているし、読んだことがある。発行元は太田出版で、『クイック・ジャパン』の発行元でもある。これで、世の中における同誌の位置付けもわかるだろう。

そもそも95年以降は、渋谷もどこもかしこも、安室奈美恵一色だったと思う。「鬼畜系」は相当マイナーな文化だったのではないか。それを世の中の標準基準のように話されても困る。

大変長くなったが、最後にもう一つだけ。

彼が才能のあるミュージシャンなのは知っている。芸術家が破天荒だったり異端児だったりすることはある。それでも、社会には限界が、超えてはならない一線があると思う。

かつて、カラヴァッジオという画家がいた。16世紀の後半から17世紀の初めにかけて、ルネサンス期の後にイタリアで活躍した画家だ。

彼は天才だった。多くのパトロンが彼に絵を依頼した。しかし彼といえば、喧嘩っぱやくて放埓で不品行で、問題を起こしてばかりいた。それでも、有力者のパトロンたちは、カラヴァッジオの才能を愛するがゆえに、彼をかばった。

しかしある時、彼は若者を一人殺してしまった。故意ではなかったらしいが、この事件でパトロン達は全員、彼に背を向けてしまった。彼は「社会の決して越えてはならない一線」を越えてしまったのだ。

殺人犯となったカラヴァッジオは、ローマを逃げ出した。ローマの司法権が及ばないナポリやマルタ島へと逃がれたが、結局ローマ追放から4年後に亡くなった。

インタビュー2本を読んだ。ネット上では「鬼畜」と憎まれているが、「人生で必要なことは、すべて荒れ気味の公立中学で学んだ」と思っている私には、被害者と小山田氏の間には、何かもっと複雑な感情があったように見えた。

それを描くのは文学の仕事である。映像では難しく、ましてや音楽では不可能だ。しかしこれは、社会の掟とはまったく別の問題だ。

小山田氏は「社会の越えてはならない一線」を越えてしまったのだと思う。才能は免罪符にはならない。

もし過去の贖罪が説明できるのなら、今すぐするべきである。もしできないのなら、オリンピックの仕事も、公共放送NHKの仕事もするべきではない。もし日本の公共機関が、何事も無かったように彼と仕事をし続けるのなら、日本は腐っている。

コーネリアスにとってのナポリやマルタ島を探すのが良いのだろうと思う。世界中に報道されてしまったが、それでもどこかにあるかもしれない。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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