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コロナ禍で「集中治療室のベッド数が多すぎるのでは」というフランスの悩み

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
集中治療室(写真:ロイター/アフロ)

フランスで「コロナ禍で、集中治療室のベッドが多すぎるのでは」という議論が起きている。

初めてタイトルを目にしたときは「えっ!」と思ったが、彼らの悩みはこういうことだ。

フランス政府は、集中治療室が飽和状態に近づいたときを一つの基準として、ロックダウンや外出制限などの措置を取る。

日本も同じで、どのくらい医療が限界に近づいているかが、政府が宣言を出す基準となっている。

ということは、集中治療室のベッド数がもっと少なければ、もっと早く政治が介入して、もっと入院数と死亡者数を減らせたのだろうか。

コロナ禍によるフランスの10万5000人以上の公式死亡者数は、もっと少なくて済んでいたのだろうか、もっと多くの命を救えたのだろうかーーと、このように考えて悩み、議論をしているのだ。なんという素晴らしい悩みだろうか。。。

どのような意見があるのか

感心していないで、「ル・モンド」が報じた議論の中身を紹介しよう。様々な角度から意見が出ている。

疫学者の間では、この問題は理論的なものとして受け止められ、意見が分かれているという。

例えば、モンペリエ大学の疫学者ミルセア・ソフォニアと同僚は、ある試算を出した。

2020年5月に行われた、最初のロックダウンについてのものだ。

詳細には、4月7日の流行のピーク時に、集中治療室にいた患者数は7148人だった。もし1週間早くロックダウンが実施されていたら、大きく下回る1500床で十分であり、死亡者数も1万3300人少なくなっていた。逆にもし、1週間遅れて決定していたら、3万2000床が必要となり、2020年春の死者数よりも5万3千人多くなっていただろうという試算である。

パスカル・クレピー氏(レンヌ公衆衛生高等研究院)は、「これは矛盾していて、直感に反することのように思えるかもしれませんが、現実なのです」と語る。

「これは、ロックダウンなどの強力なパンデミック抑制策が発動するしきい値を下げることを意味します」。

サミュエル・アリゾン氏(フランス国立科学研究センター、モンペリエ)は、「同じ戦略をとっていたと仮定しなければなりません。戦略とは、短期的に患者を選別することを何としても避けるということです」と振り返る。「選別とは、誰が生き残る可能性があるかを決めることです」という。

「もし本当に少ないベッド数であったとしても、理由はおそらく同じだったでしょう。つまり、残された選択ーーロックダウンを行うには、最後の瞬間まで待つということです」。

しかし、アントワヌ・フラオウ氏(グローバル・ヘルス研究所・スイス・ジュネーブ大学

)は、「この仮説が、観察によって検証されることは難しい」と考えている。

「フランスよりも集中治療室のベッド数(と人口)が多いドイツでは、死亡率の面でより良い結果が出ていますが、ベッド数がさらに多い米国では、悪い結果が出ています」と指摘する。

ルノー・ピアル氏(公的扶助・パリ病院)は別の例を挙げる。「集中治療室の数が減ったからといって、それが保護になるわけではありません。ブラジルはフランスに比べて設備が整っておらず、集中治療室が満杯になると、患者さんが亡くなる可能性が高くなる。そして、致死率が高まります」。インドでも同様である。

ソルボンヌ大学のピエール=イヴ・ボエル氏は、伝染病管理のもう一つの微妙な側面を強調する。

「時間の経過とともに、ロックダウンの効果が減少します。侵食して、無限にはできないことが示されています」という。

「ロックダウンを早期に開始すると、より迅速な効果が得られますが、より頻繁に行わなければなりません・・・」。

結局このことは、政治の問題につながるのである。

有効なベッド数より死者数のほうが大事か

前述のパスカル・クレピーは「最終的には、措置をとるためのしきい値が問題となります」と指摘する。

多くの国が採用しているように、医療システムが疫病に圧倒されないようにするという基準を設けるのは、正しいことなのか。

死亡率を最小限に抑えるようにする、という基準を設ける方法もあるに違いない。たとえ医療システムがひっ迫しなくても、死亡率を抑えるために、ロックダウンや緊急事態宣言を出すことは、政治的には可能なのだから。そこで、フランス人は悩んでいるわけだ。

このようなジレンマに直面して、フランス政府の教義(ドクトリン)が正確に述べられたことはないようだという。

もちろん、死者数や患者数だけではなく、経済的、教育的、社会的といった他の側面が判断に重要な役割を果たしていることは、誰もがわかっている。この決定は、行政が総合的に判断しているのだ。

例えばフランスでは、科学審議会が3月11日の意見書で、「予防的強化」という別の選択肢を、政府に対して提示した。

「12月以降、高い占有率で推移している病院を救済し、医療従事者の負担を軽減し、ウイルスの循環に伴う罹患率や死亡率を低減する」ことを目的としていた。要するに、病院は緊急にひっ迫しているほどではないが、予防的にロックダウンを行うべきだという趣旨である。

20日後、やっとマクロン大統領は譲歩して、3度目のロックダウンを行うことにしたのだという。

ジャーナリストの使命として

日本人の私の目からみて、フランス政府は本当によくやっていると思う。

ほぼ毎週、木曜日か水曜日に、首相や保険大臣が、現況や今後の政府の方針やプログラムを、具体的な数字や、わかりやすいグラフなどをまじえて説明する。これは複数のチャンネルで生中継される。大変わかりやすく、説得力がある。

異論や反対はあるものの、フランス国民がみんな、政府の指示に一応納得して、従っている様子がうかがえる。このような事態は初めてのことで、正解は誰にもわからないのも、承知なのだ。

それでもフランス人ジャーナリストたちは、ジレンマを承知の上で、彼らの使命として政府を批評・批判する。

「政府は『ゼロ・コロナ』の筋道について考慮することも言及することない。10月に設定された1日あたり5000件の感染という目標(検査して、追跡して、隔離するという方法の有効性を条件にして)は説明なしに放棄された。今ではワクチン接種が唯一の救いであるようであることを、覚えておく必要がある」

「マクロン大統領は、『ウイルスと共存する』という戦略を『想定している』と述べていいるが、死亡率の増加という観点から、その結果を説明することはしていない」

ーーなどのように。

そこまでの説明を大統領や行政に求めるのか・・・と、驚きもし、感心もする。

毎日毎日「患者数が増えました」「医療がひっ迫しています」とお題目のように報告するばかりの日本のメディアや、内容が無くて聞いても聞かなくても同じである答弁を国会で繰り返す政治家たちと、なんという違いだろうか。

いち日本人からの投稿

私はいま、この「ル・モンド」の記事の投稿欄に、以下のような内容を投稿しようか迷っている。

「日本は欧州よりも死者数が少ないですが、たまたまそうなのであって、日本の政治や医療が他よりも優れているからではありません。

経済開発協力機構(OECD)のデータによると、日本は人口あたりで一番多いベッド数を誇っています。それなのにコロナ患者の受け入れ態勢が大変劣っているのは、日本では中小の病院が多く、日本医師会が賛成しないからだということです。彼らはまず、患者が少なくなったりした場合などの経営危機に備えて、コロナ禍による自分たちへの補償を求めているのだそうです。

参考記事(現代ビジネス):日本医師会が「新型コロナ対策」の足を引っ張っている…あきれた実態

ただ、なぜ中小の病院が多いかというと、大病院で働くと過労死するほど大変だから、若いうちしか働けないのだという意見を聞きました。このように大病院の医療従事者の労働環境は、最悪なのです(医療だけじゃないですが)。普段でさえそうなのに、コロナ禍で追い討ちがかかっています。

そのため、日本では患者数が欧米に比べて圧倒的に少ないにも関わらず、ベッドが足りないと毎日メディアが大騒ぎしています。コロナウイルスに感染して、入院を希望しているのに入院できず、自宅で亡くなる若者が次から次へと出てきています。京都でそのようなことが起きたばかりです。

参考記事(京都新聞):コロナで基礎疾患ない20代男性、自宅で死亡 1人暮らし、入院できず

おまけに、まん延防止等重点措置が出ているのに、政権党である自民党の政治家はカネ集めのパーティーを開くのに忙しいです。しかも、そこに日本医師会の会長と、常勤役員全員の14人が参加していたと非難され、謝ったばかりです。

参考記事(東京新聞):日本医師会の中川会長「慎重に判断すべきだった」辞任は否定 「まん延防止」期間中に100人で政治パーティー

個々の日本人は、本当に一生懸命働いています。個々では優れた医者も学者も大勢います。それなのに、日本は全体となると、先進国にあるまじきレベルの低さになるのです。なぜこうなってしまうのでしょうか。ああ、テーマが巨大すぎて、ここでは書けません。

結局、医療の受け入れ態勢レベルが低い国は、他の態勢レベルも低いのです。それだけのことです。あなた方は、そんなふうに「もっと方法があったのではないか。一つでも多くの命を救えたのではないか」と、苦悩しなくてもいいのですよ。

ただ、たとえ医療がひっ迫していなくても、ロックダウンや緊急事態宣言をもっと早く発令して死亡率を下げることは、社会として有効だろうかーーという議論は可能だし、必要なものだと思います。有意義な視点に気づかせてくれて、ありがとうございました。メルシーボクー」

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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