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教師暗殺に怒るイスラム教徒たち:フランス・テロ事件で

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
19日、中学校を追悼に訪れたイスラム教コミュニティの長たち。France2より

フランスで、教師殺害事件による波紋が広がっている。

今回は、イスラム教徒側の反応を書きたいと思う。

参考記事:18歳が教師の首を切断するテロ。フランスで何が起きたのか:イスラム教徒との共生社会のために

19日、パリの大モスクの長であるシェムス・エッディーン・ハフィズ氏が、テロ事件後のショックを語った。

「私の宗教のせいで、一人の男性が、一人の父親が、首が切り落とされました。受け入れられません。この事件のために、4日間寝ていません。今私がやっていることが演技だと想像するのであれば、全く違います」

「イスラム教徒が共和国の価値観を守る人々であり、社会の価値観を共有していると見せることは重要なのです。だから私は戦っています。命を奪われるリスクをおかしているのです」

「イスラム教徒の代表者たちは、究極のところ、ちょっと喜んでいるなどと言って、汚名を着せないでください。私は非常に心を揺さぶられ、呆然としているのです」

この言葉は19日、エリゼ宮で、マクロン大統領とダルマナン内務大臣らが、イスラム教フランス評議会の代表者たちを招いて行われた集会の会談で発せられた。教師殺害事件のあと、短期・中期の政治の応答をみつけるための会議だったという。会談の場は大きな感動につつまれていたという。

この発言は大変大事である。その後もハフィズ氏は、メディアのインタビューに積極的に答えている。

イスラム教徒からこのような力強い発言を聞けて、一般のフランス人も安心できる思う。一般のイスラム教徒を怖がったり警戒したり、変な偏見をもったりしなくてもすむのだ。

それは一般のイスラム教徒も同じだろう。彼らも怖がっている。自分たちまでとばっちりを受けて、住みにくくなるのではないかと。

ツイッターでは「怖い、怖い。私は国を愛している人なのに。私は黒人です。怖い」という女性のツイートが目をひいた。

移民を守る側の衝撃

筆者は、仕事や活動で移民の人たちと会って話す機会があるのだが、常駐スタッフから1通のメールを受け取った。

このメールから、移民のために働く人たちが、ものすごく深刻な精神的ショックを受けていることがうかがい知れた。

彼らは、宗教も習慣も常識も違う人たちを、時には言葉も通じない人たちを、フランスに受け入れようと働いている人たちだ。フランスにうまく統合して、民主主義の価値観を守って、幸せに暮らしてほしいと願っている人たちだ。誰も宗教をやめろなどと言っていない。信仰の自由は保障されている。ただ、宗教の実践には、フランスの法律とルール、価値観を守ってくださいというだけだ。

それなのに、イスラム教徒の気に入らないことを言ったり行ったりしたら、実名をネットにさらされてしまうのか、首を切断されて殺されてしまうのか。もちろん、あれは過激主義者であり、普通のイスラム教徒たちは違うことは、体験から十分知っている。でも何が地雷になるのか、恐ろしい。

あの「首切り殺人」は、このような理屈を超えた恐怖を人々に与えてしまったのだ。

フランス人は日本人よりも、ずっと「情緒」より「理性と意志」が勝つ人たちだ。

日本人が「人様に迷惑をかけてはいけません」「自分を出すより周りに合わせなさい」というのが教育なら、フランス人なら「自分で考えて、自分の意志をもって、自分を支えなさい」「頭をあげて生きなさい」となると思う(「欧米」と言えるかもしれない)。文化の違いである。だからこそ、フランス人は「私は教師だ」「言論の自由を守れ」というデモ活動をすぐに展開した。

とはいっても、やはり人間だ。自分の意志を強くもとうとしても、怖いものは怖い。現在、教師と生徒と保護者の間にも、ぎくしゃくが生じてしまっている。

常駐スタッフのメールは「どのような小さなことでも、気になることがあったら報告してください」「何かあったらいつでも相談にのります」と結ばれていた。

イスラム教主要コミュニティの行動

事件が起きた中学校には、たくさんの花束が手向けられた。

19日(月)には、十数人のイスラム教の指導者が現地に赴いて、イスラム教コミュニティからの哀悼の意を捧げた。FRANCE 2テレビ(NHKに相当)が伝えた。

フランス・イマーム会議の長であるハッサン・シャグウミ氏は、悲痛な声でメディアのマイクに語った(イマームとは、イスラム教共同体の統率者のこと)。

「私たちは、あなたがたに赦しを請います。私たちの宗教の名で、彼は斬首されてしまったのですから。私は彼の家族、そしてすべての人に赦しを請います。恐れません。恐れてはいけないのです。恐れに屈してはいけません」

悲しみにあふれる表情のハッサン・シャグウミ氏。France 2のニュースより
悲しみにあふれる表情のハッサン・シャグウミ氏。France 2のニュースより

またパリ20区のイマームであるケムドゥ・ガサマ氏は、「教育を与えている人の命を奪ってはいけません。これがイスラム教というのなら、私はイスラム教徒ではありません」と述べた。

ゆっくりと、噛みしめるように語るケムドゥ・ガサマ氏(同上)
ゆっくりと、噛みしめるように語るケムドゥ・ガサマ氏(同上)

マクロン大統領は、イスラム教主要団体の代表者たちに、過激化防止とイマームの訓練に取り組むよう要請した。

彼らも同意し「私たちはイスラム教が共和国と共存できることを示して、同時に過激な思想と闘わなければならない」との発言があった。そして、政教分離の憲章を設置することに、好意的だったという。

政教分離の大事さ

政教分離ーーそれは、フランス人が、フランス革命から100年以上も戦って、勝ち取ったものである。フランス革命によって編まれた人権宣言に「思想の自由」が書かれた。

このフランスの人権宣言は、戦後1948年に「世界人権宣言」となって、国連で採択された。

人権宣言には、冒頭に「人間は、生まれながらにして自由で平等である」と刻まれている。フランス革命は、特権階級の統治を終わらせるもので、特権階級とは、王侯貴族と教会権力(宗教権力)の二つを意味していた。

政治的に民主主義が安定するのには、90年近くかかった。長い戦いだった。フランスの周りは王国だったので、革命をぶっつぶそうとする戦争が起きたのだ。皇帝ナポレオンが登場したり、王党派の巻き返しがあったり、混乱を極めた。やっと民主主義が安定したのは、1870年に始まった第3共和制の時からだと言える。

しかし、宗教から国の政治を独立させるのには、さらに時間がかかった。宗教は人々の心に根ざしていたからだ。激論の末、1905年に政教分離を定めた法律がようやく制定された。

従来フランスでは、教会が教育をほどこしていた(日本でも子屋があったように、昔は宗教施設と教育は関わりが深かった)。まずこれを排除した。理由は様々だが、科学の発展という時代の変化は大きい。キリスト教にとって(多くの宗教がそうだが)、生物や世界は神がつくりたもうたものだ。種が進化するなどというのは受け入れられない話だった。

1905年以降は、国の税金から教会にお金を払い、聖職者に給料を出すのを廃止した。それまでは教会は国のお金を受け取り、政治に影響力をもっていたのだ。ここに至るまでフランス革命が起きてから120年近く。革命の前、17世紀の後半から王政や宗教の批判が始まっていたので(啓蒙思想の時代)、200−300年近くかかった。

それでも人々の心が宗教から完全に離れていったのは、さらに後のことである。戦後すぐの頃はまだ、家庭や世代によっては、食事をする前に、今日の糧を主に感謝するお祈りを捧げているのは、さほど珍しくはなかった。日本も似ているだろう。現代に至るまで、フランス革命から200年近くが経っている。

日本では「相手の宗教に敬意を払うべき」という意見が目立つ。筆者もそう思う。正確に言うのなら「それが通用するのなら、どんなにいいだろう」と思っている。

自分の宗教が絶対の人には「お互い尊重」などというヤワなことは通用しない。自分の宗教が絶対で、他を排除しようとする人たちを、今日では宗教を問わず「過激主義者」と呼ぶと思う。

そして、世界には宗教を憎んでいる人が大勢いる。日本人にはわかりにくいが、宗教のために抑圧された人、宗教戦争のために犠牲になった人は沢山いる。発展途上国では信心深い人が多いというイメージがあるが、同じように宗教を嫌がっている人も多いことに、日本人は鈍感である。

筆者がソルボンヌ大学院で出会った仲間に、トルコに住むアルメニア出身者がいた。祖父はコーカサス出身だが、宗教によるいがみ合いや紛争が心の底から嫌になり、批判する自由もなく、それが理由で共産主義者になったという。祖父は「宗教さえなければ、人々はもっと平和に仲良く暮らせる」と、宗教を嫌悪していたそうだ。

(フランスは歴史上でアルメニア難民を受け入れている。そして、1ヶ月程前からアルメニアとアゼルバイジャンは戦争をしている。現代でも火種が消えていない)。

つい数年前の2018年まで、サウジアラビアでは女性が車の運転をすることが禁じられていた。車の運転は男がするものであり、女性は男性についていけばいいという考えだ。散々「コーランのどこに女性が運転をしてはいけないと書かれているのか」と批判されたが、この法律は宗教によって正当化されていた。

また、芸術の存在も大きい。芸術家は国家や宗教の統制を嫌う。芸術には自由が不可欠なのだ。フランスは芸術の国である。

「宗教を尊重するとは何事か。私の宗教を批判する権利を侵害するのか」という主張に、どう答えるのか。

だから「シャルリ・エブド」に対して、「描くのをやめろ」とは言わない。あの週刊紙がイラストで風刺するのは、イスラム教徒や預言者モハメットだけではない。キリストに対しても同じだし、日本人も対象になる。

ただ、個人的に残念なのは、風刺画にしても、もっとうならせるエスプリがあるものだったら・・・インテリジェンスが光るものだったら・・・と思う。

元々この週刊紙は、売店でも探さないとみつからない程度のものだ。つまり、売れていない。一連の事件で超有名になり、その前でも過激さから知っている人はいたというが、どのみちメジャーな週刊紙ではない。あの下品なイラストを見ると、「こんなもののために、社会が大きな痛みを持たなければならないのか」と、嫌になる。

彼らは、編集部員をほぼ皆殺しに虐殺されてもなお、イスラム教の風刺画をやめないという筋金入りだ。エスプリにもインテリジェンスにも欠けるかもしれないが、その根性はすごい。当時殺された40代の風刺画家は「自分は妻も子供もいないから迷惑はかけない」と言っていたという。

つくづくフランス、特にパリというのは、世界の思想の集合所だと思う。実際、イスラム教徒とユダヤ教徒のコミュニティは、欧州で一番大きい。徹底した政教分離と共和国の精神が制度となって、どのような考えをもつ人であっても、受け入れて包んでいる。だから、どんな苦難を受けても、それでも人々はフランスに居るのをやめないのだ。

参考記事:「敵に1分の猶予も与えない」フランス政府が最大51の過激派に近い団体の解散を決意:教師殺害事件で

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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