男女平等度121位の日本がうんだ岡村隆史氏発言。社会の問題を、個人の人格のせい+無いことにする違和感

見渡す限り男、男、男の衆議院。日本人の半分は女性のはずだが。(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

岡村隆史氏の発言が問題となっている。

・この原稿では、個々の事象ではなくて、大原則に立ち返って考えたい。

・岡村隆史氏の発言が厳しく批判されるのは、人々の意識が健全な証拠である。

・彼の発言は、男女平等度が世界で121位という、後進国日本の社会がうんだものである。

・社会の問題を無視して、彼個人の人格の問題だけに落とし込んで幕引きを図るのはおかしい。

・性風俗当たり前の環境で仕事があり、個人をいじって視聴率をとっておいて、個人の人格のせいだけにするのは、卑怯な感じがするし、いくらなんでも岡村氏が気の毒である。

・現在の日本は、性産業という女性の「苦界」の入り口を<広く明るくする>という狂った現象に、公共放送までもが加担する、腐った社会である。

・女性が幸せではない社会は、男性も幸せではない。男性も女性も、一つの社会を共に生きる仲間である。

・男尊女卑の社会を変えるには、政治家を男女半々にすることだ。日本の女性議員比率は世界で161位である。一気に変える方法は、フランスが既に実施している。

まともな国なら一発でアウト

ああ、また女性蔑視発言・・・。

これがもし男女平等が進んでいる国での発言だったら、その人の社会生命は絶たれるだろう。もう一発アウトである。芸人だろうと政治家だろうと。

政治家は完全に政治生命が絶たれ、どのような職業の人であっても、二度とメディアに出られないだろう。そして法によって罰せられるために、裁判になるだろう。

例えば、筆者が住むフランスでは「男女が平等である原則に反する発言」は、法律で禁止されている。ユダヤ人に対する差別発言を禁じるのと同ステージの禁止である。

「女性は家にいて子育てしてればいいんだ」という発言でさえ、法律違反になるとして、問題視されるだろう。

以前、テレビで24時間ニュース局をつけっぱなしにしていたら、女には何かの仕事はできやしない、みたいな発言をした男性がいた。何かの専門家だったように記憶している。すかさず司会者の男性が「それはどういう意味か」と厳しく突っ込んだら、あわてふためいて弁解していた。自分の社会生命の危機を感じたのだろう。

岡村氏に限らず、政治家でも実業家でも、日本は差別発言が言いたい放題の、たいへんレベルの低い国である。この日本社会が、岡村氏の発言をうんだ。以下に示す世界の統計を見れば明らかだ。

男女平等度121位の悲惨

世界における日本のレベルの低さをご存知だろうか。

ダボス・フォーラムの主催者で有名な「世界経済フォーラム」は、「世界各国の男女平等の度合い」(ジェンダー・ギャップ指数)を発表している。

2019年、調査対象153カ国のうち、日本は121位だった。最低クラスである。

106位の中国より低いのだ。意外かもしれないが、旧東側の国は、共産主義の「平等」思想のため、男女の平等は結構進んでいる国がある。

経済大国でG7に属する国なのに、ありえないほどの男尊女卑社会である。

筆者は日本に帰るたびに、一番強く感じるのが「男、男、男で気持ち悪い」である。

もはや疑問に感じるとか怒るとかいうレベルではなく、心身が気持ち悪いと感じるレベルなのだ。「これが世界121位の光景だ」と強く思う。

どう説明すれば、わかってもらえるだろうか。

昭和の復興期のころは、中年男が「パンパン」と呼ばれる女性の体をなでまわしながら、昼間でも平気で天下の公道を歩いていることがあった。これが現代にあったら、批判以前に「うわ、ありえない、おぞましい・・・」と思うだろう。それと同じ感覚、と言えば伝わるだろうか。

日本の会社の飛行機に乗って帰ってくる。フライトアテンダントは、若い女、女、女・・・。西欧のエアーなら男女半々くらい(やや女性が多いくらい)だし、年齢の幅がある。これは旅行でご存知の人も多いのではないか。

テレビを見て、ニュースで政治の場面、経済の場面が映る。男、男、男。日本人の半分は女性なのに。たまに映っている女性は、秘書か通訳。西欧ではもう失われてきている、珍しい光景だ。

有名大企業や有名大団体の受付に行く。必ず若い女性が、制服を着て数人座っている。男を見たことがない。しかも全部若い女性である。日本に帰ってこれを見ると、体が反応してギョッとする(知っているはずなのに)。

確かに受付業務は、西欧でも今でも女性が多い職業ではある。でも、三人もいれば必ず一人くらいは男性だし、年齢ももっと幅がある。

以前東京で、超有名な場所の受付で働いている女性(26歳)に言われたことがある。「最近、恐怖を感じています。『お前はもう年だから、そろそろ辞めろ』っていう圧力を感じるんです。私は働き続けたいのに。お願いです、私は言えないから、年齢差別を訴えていただけませんか」と。

なぜ女性が、年齢だの容姿だの、こんな基準に縛られて、さらされなければならないのか。女性はモノではない。

女性が幸せではないのなら、男性も幸せなわけがない。こうして両方にとって不幸なのが、現代である。特に若者はかわいそうだと思う。

繰り返すが、これは異常である。世界で121位という、後進国の光景である。

日常レベルの侮辱

岡村氏の発言に、我ながら細かい批判をするのなら。

「コロナが明けたら、なかなかの可愛い人が、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります」「3カ月位でパッと辞めます」と言った。

「可愛い人」「美人さん」って何だろうか。日頃から風俗で働いているような女は、かわいくもないし美人でもないと言いたげである。散々風俗を利用しておいて、この侮辱は何だ。二重の女性蔑視が隠されている、と思わずにはいられない。

でも、この程度の侮辱は、日本では日常で起こっている。まじめな顔で平気で差別発言をする政治家から、「お笑い」という免罪符をつければ何を言ってもいいと思っているバラエティまで。日本は公の場で堂々と言われている。メディアで問題なく流されている。腐っている。これらが職場で、大量のセクハラ上司を生む。

日本人の一部の男性は(女性も)「そんなの、男なら誰でも思っていることだ」と言うかもしれない。違う。社会が変われば、人は考えることが根本から変わる。これは、超後進国の日本の「常識」である。海外が長い筆者が断言する。日本の常識は、世界の非常識である。

インドで、ヒンズー教の活動家数十人が、新型ウイルスから身を守るために「牛の尿を飲むパーティー」を開いた

ヒンズー教では、牛は神聖な動物。彼らは心から「牛の尿は万能薬」と信じている。「これが体に良いのは常識だろう。なぜ批判するんだ」と言うだろう。彼らの常識は、世界の常識だろうか。

胸なんてシリコン入れて大きくする必要ない。目をぱっちりと整形する必要は全くない。女性はみんな一人ひとり違い、みんなそれぞれに美しい。男性が、収入や地位に関係なく、みんなそれぞれの良さがあるのと同じように。

個人の問題?

ナインティナインの相方である矢部浩之氏の説教も、全部聞いた。

危惧しているのは、「この発言は、岡村さん個人の問題」にして、収束してしまうことだ。

世の中には大変頭の良い人達がいるので、彼個人の人格問題に落とし込んで、自分に火の粉がかからないように、自分の会社や業界に類が及ばないように、上手に巧妙にシナリオを描いているのではないかと疑っている。

ニッポン放送の問題発言の回で、あの発言をした岡村氏の後ろで、大笑いで笑っているスタッフがいた。ツイッターでも多くの人から「不快だ」「同類」とやり玉にあがっていた。芸能界では、新人が入ったとか打ち上げだとか言って、風俗に繰り出す風習が普通に行われているのは有名な話だ。

そういう環境で仕事をさせておいて、問題が起きたら、すべて岡村氏個人の人格のせいなのか。

確かに彼の発言は、芸能界の中でも一線を越えてしまったのだろう。「バブルのネタだ。コロナで使ってはいけない。バブル時代は50万円でケツを触って怒られて、バブルがはじけたら1万円で云々」だの、「公の場でそういうこと言っちゃいけない」だの、みなさん批判しながらも仲良くかばっていらっしゃるようですが。

一人のせいにしておけば、みんな安心できる。責めを負うのも、彼一人。だから「このへんでやめておいてやれ」という力も働く。やりすぎると、真っ黒の人も潔白の人も、自分に波及してくると困るから(完全に麻痺している人、何が問題かすらわからない人も、大勢いることだろう)。会社や業界にまで非難が及ぶと、どこまでも真っ黒だから。業界側からのネット工作があると言われているが、あっても全然驚かない。

これは一般社会でも同じだ。さすがに東京地方では(特に大企業では)、そういう風習はほぼ消滅している。しかし「接待」は別問題、地方と東京地方の格差、業界や職種による格差もある。

こういう古い男たちが跋扈して、セクハラが蔓延している社会だから岡村発言はうまれたのに、「あいつは黙っていればいいものを、口に出して言うからダメなんだ」とばかりに、個人の人格問題で幕引きをはかろうとするメディア界。

まるで子供に「悪いことをしてはいけません」ではなくて、「周りに怒られるからいけません」「あの人達がうるさいから気をつけなさい」と教える親のような、圧倒的なおかしさを覚える。

このまま終わっていいのだろうか。

NHK

個人的な意見を言うのなら、「チコちゃん」にはもう出るべきではない。あるいは、残念だけど番組そのものを一旦終わらせる。

チコちゃんは子供が見ている番組である。そしてNHKだ。

もう個人の問題ではない。NHKは公共放送なので、「日本を代表するメディア」「日本人の考え」「日本人の良識レベル」と外国は見る。

もし彼が「チコちゃん」に出続けるのなら、NHKは彼の発言を許容した、公共放送NHKを支えている組織も政治家も総務省も、「女性の風俗接待が当たり前の人たち、当たり前の組織だから、甘いのだろう」と、判断されてしかるべきだろう。男女平等度がもっと高い国(日本は121位だから、120カ国ある)の人なら、誰もがそう思うだろう。

「犯罪ではない」というかもしれないが、それは日本の中の話。例えば前述したように、フランスならヘイトスピーチと同様に法律違反。「法律違反の差別発言をしても許容されて、公共放送に登場できる国、それが日本」と思うだろう。

それから、このことを英語かフランス語でニュースにするのなら、風俗は「性行為産業」や「売春産業」、そういう所で働くキャバ嬢は「売春婦」以外、今や適当な訳が見当たらないことは言っておく(「違いなんてありはしない、同じである」という考えに基づいていると思われる。政治的に正しい表現なら「性行為産業の労働者」だろうか。)。

さらに言うのなら、岡村氏に「嫁」を探して、「ムーリー!」と両手で大きくバツを作らせるあのコーナー、あれも笑えない。あれはNHKで行うギャグなのか。民放の夜遅くにやるような内容ではないのか。

NHKでは外注が増えすぎて、コントロールがちゃんとなされていないのではないか。外注の中には大変優れた方々がいて、役所体質のNHKに新しい息吹を吹き込んだ。でも、外注の中には害毒も混ざっているのではないか。

なんせ「いいね!光源氏くん」というドラマ(面白い)では、女性主人公の妹は、「ごく普通の大学生でキャバ嬢(=英語で「売春婦」)」という設定なのだ。原作がそうだとしても、キャバ嬢の部分は削るのがNHKではないのか。麻痺している。これがNHKのすることか。

(その後、読者の指摘で、NHKの公式ホームページに以下のように書かれていると知った・・・これを小中高生が見ると思うとゾッとする。おぞましい。親が「NHKならまあ大丈夫でしょ」と思える時代は、とっくに終わっているのだろう。これじゃあ「NHKをぶっこわす」が出現するのも無理はない・・・)

NHK公式ホームページより
NHK公式ホームページより

いじめ?

岡村氏が「結婚できない」といじって笑いをとる背景には、結婚したくてもできない男性が日本社会に大勢いることが背景にあるのではないか。

男性の未婚率は、収入や雇用の形態(非正規雇用)と、見事にリンクしていることは、省庁の調査で明らかになっている

あまりにも悲しい現実である。女性は賃金が低く、仕事も家事も育児もやらされるから、高収入の男性を望むのは無理もないのだが・・・(日本は男女の賃金格差は、OECDの37加盟国の中で3番目に最悪である)。

女性が不幸だと男性も不幸という、見本のような社会現象だ。若い人が特に気の毒である。

そんな中、岡村氏は「結婚できない俺」をさらして笑いをとることで、社会のカタルシス的役割を果たしていたのではないか。強い男だ。誰にでも出来ることではない。

周りは岡村氏の「結婚できない個人」を笑わせるコーナーをつくって視聴率をとっておいて、事件が起きたら起きたで、またしても彼の個人の人格のせいにする。いくらなんでも、岡村氏が気の毒である。まるでいじめである。おかしすぎる。

矢部氏の説教は別問題

誤解しないで頂きたいが、「個人の人格批判」をしたからといって、矢部浩之氏の説教が悪いと言っているのではない。

実際、岡村氏の人間分析という話になっていて、文学的な意味で大変興味深かった。こういうのがあってもいいと思う。

でも、それと、岡村氏の発言を社会的に糾弾するのは、まったくの別問題である。岡村氏は批判されなくてはいけないのだ。その根底にあるのは「道理・筋」であり、「道徳・倫理・モラル」である。

筆者はパリで、様々な国籍の人、大変裕福な人から難民認定の移民まで、いろいろな方に会う機会がある。価値観も様々、常識も様々だ。そういう中で生きていて、「同じ人間だからわかりあいたい」と思うと、「決してぶれない自分の芯」というものが必要になってくる。それが、「道理・筋」であり、「道徳・倫理・モラル」である。

これは、人生にも社会にも、人間として必要なものだ。これがないと、社会は腐るばかりで改革できない。

もちろん、岡村氏だけではない。女性の尊厳と人権を守らない人物は、容赦するべきではない。たとえ権力者であっても。

女性が風俗で働くのが当たり前のような発言は、法律で取り締まって禁止するべきである。風俗とは、本当に女性がたった一人で、誰にも管理されず、自分の意志のみで自由に営業している場合のみ、「職業の自由」として許可されるのなら理解できる。実際、西欧ではこのような方向に進んでいる。女衒(ぜげん)は必要ない。

女性にとって、このような性産業は、昔から「苦界」と言われきた。女衒を蔑む一方で、苦界に身を落とす女性には、優しい視線もあった。人としてだけではなく、社会制度的にもそうだった。

それなのに今では、「苦界」の入り口は明るく大っぴらに、NHKですら平気で放送して加担するようになっている。女性の人生を根本から変えてしまう、隠れた罠なのに。ああ腐っている。

今回は長くなるから書かないが、今から思うと、若い女性を食い物にして、性の相手にしたい汚い男たちが、大人の女性から成年ぎりぎりへ、そしてついに高校生まで触手を延ばした時代が確かにあったと思う。彼らは「女性たちは好きでやっているのだ」という自分たちに都合のよい話を、社会に納得させるのに成功した。

そして、負のスパイラルは今でも続いている。女性はからめとられ続けている。

日本人男が自分たちに都合よくつくった女性像のアダルトビデオ。氾濫しているので、それを日本人の女性が「そうしなければ、いけないものなのかしら」と思って、なぞってしまう。そして「女性が好きでやっているんだ」と世の中に思わせる、男尊女卑のメディア。そして若い男性も「女性は好きでやっている」と信じてしまう――負のスパイラルである。

これと同じ仕組みが、すべての領域で起こって女性蔑視社会を支えている。

社会をどうやって変えるか

どうすれば、こういう社会を変えることができるのか。どうすれば女性を商品化する風潮は無くなるのか。

答えは、極めて簡単だ。

政治家の半分を女性にするのだ。

企業の幹部や管理職もそうしなければならないが、政治を変えれば会社は変わる。

前述の「世界各国の男女平等の度合い」は、経済、政治、教育、健康の4分野で女性の地位を分析し、総合順位を決めている。

日本の順位が極めて低いのは、国会議員に占める女性の割合が日本は約10%と世界で最低水準となっているのが、大きな理由だ。

ここに、もう一つのデータがある。

世界各国の議会で構成する、「万国議会同盟」という組織がある。1889年にジュネーブで設立された。3月8日の国際女性デーを前に、女性の議会進出に関するレポートを公表する

最新の2019年(2月1日)版によると、日本は全193カ国中、164位だった。女性国会議員の比率(衆議院)は、たったの10.2%だ。

ああ、嘆かわしい。リストを下から探すと、すぐにみつかるのだから。

ちなみに1位はルワンダで61.3%、2位 キューバ(53.2%)、3位 ボリヴィア(53.1%)と続く。

G7の国では、17位 フランス(39.7%)、31位 イタリア(35.7%)、39位 イギリス(32.0%)、47位 ドイツ(30.9%)、61位 カナダ(26.9%)、76位 アメリカ合衆国(23.6%)となっている。日本が先進国とあがめるアメリカは、低い方である。

欧州の国々は、軒並み高い方である。これは、欧州連合(EU)の政策のおかげである。EUは、女性の地位向上と労働者の保護には、ものすごく熱心なのだ。もしEUがなかったら、欧州の女性の地位向上はここまで進まなかっただろうと言われている。「隣人の仲間の国と一緒に切磋琢磨」というのは、たいへん重要なのだ。

欧州では一番優秀なのが、5位 スウェーデン(47.3%)。続くのは12位 フィンランド(41.5%)、13位 スペイン(41.1%)、14位 ノルウェー(40.8%)と続く。北欧が強い。

男女半々にするには

「でも、日本はEU加盟国じゃないし、政治家を男女半々なんて無理」「日本じゃ、あと100年かかりそう」と思うかもしれない。

そんなことはない。政策一つで、一気に変わる。

例えば、フランスの県議会議員選挙では、2015年から必ず男女がペアで立候補する仕組みになった(各党が男女ペアで候補者を立てるということ)。

どの党が勝利しようと、男性一人女性一人が当選する。こうして一気に男女の比率は半々になった。

当時、男女が並んで映っている選挙ポスターがずらっと並ぶのを見て「なんて面白い方法なんだろう。誰が考えたんだろ。すごいアイディアだ・・・!!」と、感心しきりだったのを覚えている。

このことは、2000年に「候補者男女同数法」(パリテ法)ができたからである。日本でも、2018年に党派を越えた議員連盟が提案して、「候補者男女均等法」ができた。でも、フランスと異なり義務ではなく、努力を求めるだけである。

日本の政党がどれほど古臭いか、ご存知だろうか。以下は、各党の女性議員の割合である。

会派名と会派別の所属議員数

( )は女性議員内数と、割合

衆議院公式HP+筆者が割合を計算
衆議院公式HP+筆者が割合を計算

女性なんていないのと同じである。ここが諸悪の根源なのだ。社会を変えるには、ここを変えないといけない。

EU加盟国では、政治が女性議員を増やそうと努力する意識は、環境のためにゴミを減らそうとするのと同じくらい、当たり前になっている。理由は簡単だ。「人口は男女半々だから、政治も男女平等に担おう」である。

会社は自分一人の力では変えられなくても、上司は選べなくても、政治家は私たちが選ぶことができる。

岡村氏の発言は、氷山の一角である。一角も氷山そのものも、なくさなければならない。世界121位という極めて遅れた日本の現状を、正していかなくてはならないのだ。

繰り返すが、女性が幸せではない社会は、男性も幸せではない。女性と男性は敵同士ではない。共に一つの社会に生きる仲間である。

【追記】

岡村隆史さんに、一つメッセージを伝えてみたい。

世の中では、「チコちゃん降板」の署名運動はあっても、「麒麟がくる」降板を求める署名運動はない。

人々の良識は健全だ。バランス感覚を失っていない。同じNHKでも、ちゃんと番組の内容で分けて考えているのだ。

昔から、はぐれ者(アウトサイダー)や、ロクでもない人間(失礼!)が、素晴らしい俳優、素晴らしいアーティストや作家ということはあった。人々はそのことをよく知っているのだ。そして、そういう人たちを愛してきたのだ。

もちろん、大河ドラマのほうも「NHKだからダメ」という意見もあるだろう。でも、全体としては「俳優業のほうは、まあ・・・いいのではないか」という感じだと思う(筆者個人は賛成しないが)。

矢部さんは、岡村さんに「大物になって50歳近くて、誰も本人に言う人がいなくなってしまった」、つまり裸の王様になってしまった、というような内容を言っていた。

岡村さんは故・志村けんさんを慕って尊敬していたというから、志村さんを例に出して、メッセージを伝えてみたい。

志村さんは、舞台で鍛えられた人である。「8時だョ、全員集合!」は舞台のテレビ中継であった。眼の前には観客が居て、観客の反応が全部直に伝わってくる。

おそらく、岡村さんに今必要なのは、目の前の生身の聴衆ではないかと思うのだ。

自分の芸を、小さい漫才小屋か劇場で、お客さんを前にやるほうがいいと思う。そうすれば、自分のギャグがどこまで人々に受け入れられるか、何がドン引きされるか、わかると思う。一般とは切り離された特殊な芸能界という世界で裸の王様になるのではなく、人々の中へ、お客さんの中へ飛び込むのだ。

かなり前に気づいた例をあげてみたい。

「開運! なんでも鑑定団」という番組がある。この中に「出張鑑定団」というコーナーがあるのだ。ある司会者の芸人さんは、テレビで芸能人相手に話している調子で、一般人の出演者に突っ込んでいた。そうしたら、本人も会場も、文字通り「ドン引き」になり、笑いが凍って、「なんて失礼なんだ」という無言の雰囲気が生じたことがあった。

あれからもう何年も経つ。この芸人さんの出張鑑定団の受け答えは、ずいぶん上手になった。こちらも楽しく見ていられる。今ではすっかりレギュラーの一人だ。

人々がテレビ離れしてネットに没頭してるのは、面白くもなく、下劣ですらある内容なのに、わざとらしい録音の笑いを差し込んで平気になっているのも原因の一つだろう。そこには、一般視聴者は不在である。

岡村さんは原点に戻って、生身の聴衆を前にお笑いをしてみたらどうだろうか。人々からの厳しい批判と、ファンの温かさ、両方を肌身で感じることが重要なのではないかと思う。