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コロナで迫る「合意なき」EU離脱の危機。期限延長に3つの問題:イギリス・ブレグジット問題

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
ジョンソン首相の職務復帰後4月26日、官邸前の元気そうなラリー・ザ・キャット(写真:ロイター/アフロ)

イギリスのEU問題が、いよいよ切迫してきている。

新型コロナウイルス問題で忘れられているが、移行期間終了の12月末まで、あと8カ月しかない。

移行期間を延長したい場合には、7月1日までにイギリスと欧州連合(EU)双方の合意が必要と決まっている。「5月までには合意しないと間に合わない」と言われてきたが、最近では「6月中には」と言われ始めた。

4月9日発表のイギリスの世論調査では、67%の人々が「移行期間の延長に賛成」をしている。政府の立場を支持して、延長不要としている人は、19%しかいない。(WPI StrategyのためのJL Partnersによる調査)

それなのに、今のところ延長は実現する気配がない。このままでは「合意なき」離脱になってしまうかもしれない。

今の問題点は、主に3つあると思う。

その1 強硬派の思考回路

『フィナンシャル・タイムズ』に寄稿したティム・バール教授(メアリー女王大学/政治学)は、大変興味深い内容を発表している。

延期不要を支持する者は、「十分に交渉できる時間はある」と考えているというのだ。

新型コロナウイルス対策のために、対面するミーティングは不可能だが、ネットを使ったものは可能だという。彼らによれば、この交渉に関わる公務員などの交渉官は、コロナに対する戦いに巻き込まれていない(「感染していない」という意味だろう)。

さらに、彼らの間には、コロナのせいで気もそぞろになるというよりは、この危機のために、かえって双方が気持ちを集中することさえできるのだという、幅広い信念があるのだという。

どのみち、EUとの合意は最後の瞬間に決められるのだから、それを1年や2年延ばしたところで意味があるのか、と主張している。

おまけに、彼らの中の多くの人が、コロナ危機によってEUが混乱、分裂、弱体化していると確信しており、今こそがイギリスにとって有利な合意を確保できる、まさにその時だというのである。

逆に、EU側の考えていることは、もっと現実的である。

欧州議会のThe Parliament Magazineによると、ベルギーの元経済相で、現在欧州議会議員のクリス・ピーターズは、議会の問題に関するレポートを執筆した。

このレポートは、4月頭にブリュッセルで開催された内部市場委員会の特別会合で議論された。

彼は述べた。

「最近は交渉は全く不可能です。今年末までに合意が可能なのか、問わなければなりません」

「企業は既に、コロナウイルスのせいで非常に困難な状況にありますが、合意がない場合はさらに悪化します。したがって別の日付を求めなくてはならないでしょう。これはEUだけでなく、イギリスにとっても利益になるのです」

イギリスとEUとの最初のラウンドでは、200人以上の職員が11の作業グループに分かれ、商品の貿易から輸送、エネルギー、漁業まで、11の異なる政策分野について議論した。

新型コロナウイルス状況が悪化したため、両者は映像会議で、この交渉を再現できるかどうかを検討したが、双方とも不可能であると判断したという。そのため協議は中断された。

もしEU側の言うことが事実なら、イギリス側の交渉官も「遠隔交渉なんて無理だ」と思っているのに、イギリス政府は彼らの声に聞く耳をもっていなかったということになる。

その後、交渉はかろうじて再開した。

EU側のバルニエ交渉官もコロナウイルスにかかったが、回復は早かったようだ。

交渉再開の日、ツイッターで発信した。

4月20日の週は、40ほどの映像会議が開かれたという。しかし映像では、議論や交渉の質として、どうしても同じにはならないということだ。 

その2 首相の巨大権力と、力無き議員たち

4月21日、英外務省高官のサイモン・マクドナルドは、ジョンソン首相は期限を堅持する見通しだと述べた。ロイター通信が伝えた

マクドナルド氏は、議会の外交委員会で、移行期間の期限は現実的かと聞かれ、期限の延長は「明らかに一つの選択肢だ」とする一方、「この期限を堅持する政府の方針も同様に明らかだ」と述べた。

延長するかどうかについて政府は「今後数週間で」検討する必要があるという。

現在のシステムは、もっぱらジョンソン首相の胸一つになってしまっている。

総選挙で大勝したジョンソン首相は、EU離脱協定法に「イギリス政府が期間延長を承認することを禁止する条項」を入れてしまっている。この法案は、1月23日に女王の裁可を得て成立した。

これは、総選挙の「ブレグジットをやりとげる(Get Brexit Done)」という公約を、ジョンソン首相が守る覚悟を形にしたと言えるだろう。

そんなジョンソン首相のほうから「ぜひ延期したい」と申し出るなど、200%ありそうにない。

それでは周りはどうか。周囲は7割弱のイギリス市民の「延長に賛成」という声に応えられるのか。

イギリス下院議会は、もはや総選挙前のような力をもっていない。

やはりEU離脱協定法によって、交渉の各段階(交渉目的の設定、交渉権限の付託、交渉の進捗報告、交渉結果の承認)で議会の承認を必要とする規定を削除してしまったからだ。

ジョンソン首相のおかげで大勝した保守党議員たちは、自分で自分の権限を奪うEU離脱協定法案を可決した。

確かに、危機にあって行政府(内閣)に権力を集中させるのは、一つの有効な解決方法ではある。立法府(議会)は、議論が割れて空転し、決定に時間がかかるか、決定そのものが出来なくなってしまっていたからだ。

こうして議会の多数派は、ボリスのイエスマン&ウーマンになってしまっている。

そしてジョンソン首相は、EUとの将来に関しては、議院内閣制の許す範囲で最強レベルの権力を手に入れている。

果たして、このような議員たちに「延長を望む過半数の市民の声」を実現する力はあるだろうか。そして歴史的大敗を喫した労働党にも、その力はあるだろうか。

その3 EU側がどの程度強く出るか

となると、EU側はどうだろうか。

もしイギリス市民の延長を望む声が高まって、EUが「どうしても延長を」とお願いする形になれば、イギリス政府は面子が保たれて、延長を受け入れる可能性はあるのだろうか。

EU側は、延期に対しては大変前向きではある。

というより、まともなFTA交渉を行うとしたら、今年12月末までに交渉を終わらせるなど、まったく不可能なのだ。

よく例に出されるカナダとEUの経済協定は、開始から署名まで7年5カ月だった。日本とEUは7年2カ月、EUの交渉で最も短いとされる韓国でも、3年5カ月かかった。

だから、本当にFTAを結ぶ意志があり、誠実に建設的にFTA交渉をしたいのなら、移行期間を延長するというのがまともな人間の考えることである。

「私は、イデオロギーよりも常識と実質が優先することを望みます。延長が唯一責任のある措置です」と、交渉担当者であるクリストフ・ハンセン欧州議員(ルクセンブルク選出)は言った。

しかし、お願いや懇願をしてまで延長を求めるかというと、わからない。

ハンセン氏を始め、関係者の中には「合意なき」離脱を強く警戒する声がある。現在、EUと英国の間に結ばれている離脱協定とアイルランド議定書に関わるすべての公約を、イギリス政府が守るという保証が必要だというのだ。この取り決めをひっくり返して、再度交渉なんてとんでもない、と言っている。相当な不信感が芽生えているようだ。

今まで、EU側は「イギリス政府から要請があれば、延長を受け入れる」という決まりは変えてこなかった。その前の話し合いで「イギリス政府が要請してくれさえすれば、EU側は受け入れる用意はできていますよ」とお膳立てはしていたが。

もし助け舟を出すとしたら、欧州議会側かもしれない。実際、議会から延長申請を要請するべきだという意見もある。欧州議会の権限の「正当な」拡張と役割という意味もあるだろうが、むしろ彼らの頭の中には、「今まで共に働いてきた、親EUのイギリス欧州議員が議会を去った、最後の日」が焼き付いているのかもしれない。

離脱協定法が欧州議会で可決した日、つまりEU離脱が決定した日、誰からともなく「蛍の光」が歌われだして大合唱となった。この曲はスコットランド民謡で、もとは別れの歌ではない。「古き友は忘れ去られるものなのだろうか、古き昔もそうなのだろうか。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか」という歌詞である。歌いだしたのは、親EUが多数を占めるスコットランドの議員たちだったのかもしれない。

こういうことでは、やはり中道左派の人たちが主導することになるものだろう。人々の「連帯」にとりわけ共感を示す人たちだ。

しかし、欧州議会ではもう現実に英国人議員が消え去ってしまっているのだ。去る者はどこまで日々疎くなっているだろうか。それに、強く延期を「お願い」したところで、英国政府側に受け入れる気持ちがなかったら、まったく無意味なのだ。

結局は・・・病み上がりのボリス次第

理性的に考えるのなら、コロナ問題が起きる前から、交渉期間が足りないことはわかっていた。

それなのに、ジョンソン首相も含めてイギリスの強硬派たちは「この日程で問題なく合意できる」と言ってきた。

このような事を発言する政治家は、政治家失格なほど無知か、「首相がそう言っているから私は従います」と自分の脳を停止させているか(これが大半に違いない)、出来ないとわかっていてウソを言っているのだろう。

彼らの本音が「合意なき」離脱ではないと、断言できるだろうか。実際、解散前の保守党議員は、「恣意的投票」で160人近くが「合意なき離脱」を選択していたのだ。

それもこれも、結局はジョンソン首相と内閣が決めるということになるのだろう。

問題は、彼の健康状態だ。ボリス・ジョンソンの健康状態は、北朝鮮の金正恩のように注目の対象となるのではないか。

今のところ、すっかり元通りになったようには見えない彼に、強引に乗り切る力があるだろうか。そしてイギリス人自身にも。

コロナウイルスで人々は疲れ、国も疲弊している。今、イギリス人に、47年間も続いた制度を放棄して、あらゆる方面で新しい制度をつくりあげようとするパワーはあるだろうか。

ダヌータ・ハナー元欧州貿易委員(ポーランド選出)は、大変興味深いことを言っている。

「私の頭の後ろに、別のシナリオが浮かぶんです。もしかしたら英首相は、EUが新規加盟国に対して行うような段階的な導入というやり方で、EUが将来のパートナーシップ協定を年末に受け入れると仮定して、交渉を続けるつもりなのではないかというシナリオです」

そういう隠れた意図があったとしても、結局ジョンソン首相は、今まで行ってきた「瀬戸際外交」を続けなければならないのには変わりない。

先のことはわからないが、大嘘をついて国民を騙してまでブレグジットを強行した、ボリスのあの勢いは絶たれ、コロナのせいで流れが完全に変わってしまったと感じるのは、筆者だけだろうか。

6月末までに予定されている残りの交渉は、5月11日および6月1日から始まる1週間の2回のみだという

他の欧州の国々は、ロックダウン解除の方向に徐々に進んでいるのに、イギリスは違う。誰も予想もしなかった疫病という大きな厄災が襲っているのに、現状維持すら選択しないで、国をさらに追い込むような真似をして、この先イギリスを待っているものは何なのだろうか。

<この頃のボリスには、ウソをごまかし通そうとするパワーはあった>

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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