後進国化する日本

バブル崩壊以降、日本経済は失われた10年と言われ、それが失われた20年となって、もうすぐ30年が経とうとしている。OECD諸国の1人あたり国内総生産の順位で、日本は2000年時点の2位から、直近データの2015年には20位へと急落してきた(表参照)。この間、他国が成長する中で、日本だけが長期にわたってほぼ停滞した。ここまで長く停滞が続くと、企業や国民の頑張りが足りないなどといった理由ではなく、日本経済の統治メカニズムが根本的に時代にあっていないということを想定せざるを得ないであろう。日本は成功した先進国の一員であるというおごりを捨て、何らかの面で世界から「後れてきた」と認識して、近代化の頃と同じように謙虚に他国から学ぶ姿勢が求められよう。

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「国」と「産業」を重視する通念を疑う

さて、日本経済の長期停滞の理由については様々な論考が出されているが、ここでは「地域」という単位に注目することを提案したい。日本では、殖産興業の歴史以来、経済は「産業」すなわち生産面を拡大していけばうまく回っていくという通念と、「国」が主導して社会の仕組みを整えていくべきだという通念、つまりは強い「国」と強い「産業」こそが豊かな社会を作るという考え方が支配的であった。これに対して、「地域」という視点は、生活の面から豊かさをとらえ、コミュニティのつながりに活力の源泉を見る。「国」と「産業」を基本とする統治構造を見直し、「地域」を単位とする社会経済のガバナンスへと根本的に発想を変える方向性を提起したい。

世界の中では「地域」が成長を牽引

いま一度上掲の表を眺めてみると、世界の中では、都市国家や人口規模の小さな国が健闘していることを知ることができる。首位のルクセンブルクやスイス、ノルウェーなどは、1人当たりGDPで日本の2倍以上の付加価値を生み出すほどだが、人口わずか数十万から数百万人程度の小国に過ぎない。このリストはOECDに限定されるので入っていないが、2015年の1人当たりGDPでシンガポールは53,629ドル、香港は42,326ドルに達し、すでに日本を上回っている。先進国や新興国の中でも、実は特定の地域が成長を牽引している。それも中心都市圏だけが成長しているわけではなく、アメリカのシリコンバレー、インドのバンガロール、フィンランドのオウルなどのように、国の中枢から遠く離れた地方都市が成長モデルとなって知識経済の発展を牽引してきた。日本では、こうした地方都市の独自の活力は見られないし、一極集中の東京都でさえこの10年間で(2005〜14年)1人当たり都民総生産は実質マイナス6%と、すっかり停滞してしまっている。日本では、世界と比べて地域という単位の発展が乏しいのである。

世界中から利用される「地域の機能」

日本人の一般的な通念として、人口が少ないと市場規模が小さくなるので経済は成長しないと思われている。しかし、閉鎖体系ではなく開放体系を前提にすると、この原則は当てはまらない。グローバル経済下で成長している地域は、世界中のアクターがその地域の機能を利用するゆえに成長しているのである。

例えば、ルクセンブルク市は人口わずか9万人、都市圏人口10万人超の中規模都市にすぎないが、ミューチュアル・ファンドという投資信託の一種に特化して、欧州各国諸制度にいち早く適用する金融センターを作り上げ、この拠点性を国内企業・欧州企業のみならず世界中の経済アクターが利用している。こうした都市の成長の源泉は何かと問えば、金融機関の立地だけでなく、関連するビジネスサービスとの分業関係、柔軟で専門的な規制機関と規制制度、専門的で多国籍に通じた人材のプール、組織を超えてつながる専門家同士のコミュニティ、彼らの間でやり取りされる最先端の情報ネットワーク、専門人材の満足しうる都市生活の質などの、いわゆる地域的なクラスターによる集積効果にあり、経済的な要素だけでなく社会的・政治的・環境的領域をも横断する総体としての都市の力だと言える。

国内の「地方」ではなく世界の中の「地域」

翻って日本では、安倍政権が「地方創生」を推し進めている。この政策の力点は、地方の人口保持力の回復とローカル産業による経済機会の拡大にあるが、国民経済の枠組みを変えずに地方に産業と雇用の機会を創出しようとするだけでは、上記のような地域のグローバルな発展拠点は生まれないであろう。

日本では、「地域」と「地方」という言葉はあまり区別されずに使われている。「地方創生」の「地方」という言葉には、中央に対置される周辺部という意識がある。都会に対する田舎というニュアンスを含む。これは「国」という閉じた体系を前提にした表現であるが、グローバルな地理から見ると、実はどこが周辺ということはない。OECDが2010年に公刊したRegional Development Policies in OECD Countriesでは、国境横断地域(Cross-border regions)がグローバル市場において存在感を増していると注目されている。かつては国内の周辺だった国境地域が、異なる資源や制度を組み合わせることでダイナミックな発展を遂げるパターンがある。代表的なクロスボーダー地域として、スウェーデンとデンマークを架橋したオーレスン地域や、ドイツ・フランス・スイスに渡るライン川上流地域(TriRhena)、インドネシア・マレーシア・シンガポールをつなぐSiJoRiトライアングルなどがある。いまやいかなる地域であろうと、国内「地方」ポジションにとどまらずに、グローバルな市場における何らかの「中心」になる可能性がある。

共同条件を重視する地域アプローチ

「地域」というとらえ方は、産業の立地する単なる空間概念ではない。同じ場所を共有して暮らしているという社会的な観念である。専門的な産業集積や労働市場、人々のネットワークやコミュニティ、環境・文化的条件、協働して問題解決できる自治力などの「共同条件」の束が、「地域」の暮らしの豊かさを形作る。経済学で言うと「外部性」であるが、個々の企業・施設の機能や市場での取引にとどまらない、非経済的な関係性を含む集合的で相互作用的な場所の力こそが「地域の機能」である。

地域アプローチに転換するということは、個々の企業の成長力を重視する産業アプローチとは、根本的に異なる。何より重要なのは地域における集団的な相互作用であり問題解決能力である。組織を超えた人々の連帯や環境・文化などの共同条件が、貨幣換算しにくい豊かさや力を生み出す。地域政策は、縦割り行政を排し、複合した目的を同時達成するような相乗効果を企図すべきである。地域の特定テーマに対して領域横断的に有志のメンバーが集まり、実験的な制度や公民連携の事業を通じて、問題解決を試みる場が必要とされる。中央にエリートと権力を集めるシステムから、各地の現場で人々が協力して課題解決にあたることを支援するシステムに代わらねばならない。地域の人々はローカルな問題だけを考えるのではなく、グローバルな社会の中で自分たちのポジションを戦略的に切り拓いていくことを求められる。

学習と協働に基づく自治力のキャッチアップ

これらはつまるところ、直面する諸問題を解決し日本経済を再生するには、地域の自治力、すなわち学習と協働の能力を向上させることに尽きるという話である。明治維新以来、日本は国民の教育に力を入れて工業力の面ではキャッチアップしたが、もう一段の社会の成熟が求められている。1人1人が地域社会の主役として、成熟した市民社会を構成するように、学習と協働に基づく地域自治の国民的運動を息長く20〜30年のスパンで続けることが、長期的な日本の発展にとって不可欠ではなかろうか。