右折事故を防いできた「一方通行」の知恵

混乱を招く道は困る。今、話題の岡山市内「用水路」上の公園で10年以上前に筆者撮影

 滋賀県大津市で保育園児の列に乗用車が突っ込み、園児ら16人が死傷するという痛ましい事故が起きた。この事故をきっかけに、改めて注目されているのが「右折時の事故」の多さ。調べてみると、信号のある交差点での右折事故が特に多いということも分かった。

 少々古いデータなのだが、公益法人交通事故総合分析センターが2012年に公表した調査結果によると、右折事故のうち44%が信号のある交差点で発生。信号のない交差点での右折事故発生率の37%より多くなっていた。信号がある交差点のほうが右折事故は多く、大津市での事故も信号のある交差点で起きてしまった。

 もうひとつ、交通事故の原因として大きいとされるのは「だろう運転」。「車はこないだろう」「大丈夫だろう」と勝手に思い込んでしまうことが事故の原因になりやすいとされる。

 以上のことから、住宅地内の道路事情について、思い出したことがある。

 それは、信号機を設けなくても、交通事故の少ない街づくりが行われているケースがあることだ。

大正末期につくられた住宅地に多い「一方通行」

 信号機を設けずに、安全な街づくりを行う……そのような街が最初につくられたのはかなり昔のこと、平成でも昭和でもなく、大正末期の話だ。

 首都圏の住宅地において、この「大正末期」は重要なキーワードとなる。というのも、大正12年に起きた関東大震災を契機に、首都圏全域で地震に強い街づくりが始まったのが大正末期。渋谷区の松濤(しょうとう)も、世田谷の成城学園前も、JR中央線の国立も、西武池袋線の大泉学園も大正末期から住宅地としての開発が始まった。

 いずれも高台で地盤が固く、フラットな地。地震に強いだけでなく、事故の心配なく歩きやすいなど、あらゆる面での「安全」に配慮した街づくりが行われた場所だ。

 この歴史ある住宅地は、現在「一方通行の道が多い」ことを短所として指摘されることがある。確かに、道が狭く、一方通行の道が多いのは、大正末期から昭和初期にかけて開発された住宅地の特徴。ところが、そのおかげで信号が少なく、それでも安全に歩行できる、という「一方通行の利点」があることはあまり知られていない。

 大正末期に生まれた住宅地は、一方通行で交通事故の少ない街を実現していた。その理由を説明したい。

「だろう運転」をさせない効用も

 一方通行の道は、逆走する車がない限り、対向車とぶつかる事故は起きない。そして、道路が交差する場所での事故も少ない。それは、信号のない交差点で「だろう運転」をする人が少ないことが理由だと考えられる。

 信号がない分、運転する人は交差点でスピードを落とす。「他の車は来ないだろう」ではなく、「他の車が来る可能性がある」と注意し、一時停車して左右の安全を確認してから交差点を通過する。

 その結果、一方通行の道は、信号なしでも安全な交通事情が生まれやすいわけだ。そして、信号がないため、歩行者もいちいち赤信号で止められることがなく、ストレスなく歩きやすい。

 大正時代末期につくられた住宅地には、現代でも通用する安全確保の工夫が採用されていたわけだ。それは、信号機に頼らず、それでいてしっかり成果を出す、賢い安全対策でもあった。

 そもそも、「一方通行が多くて困る」というのは、居住者以外が思うこと。居住者はどの道がどの方向への一方通行かを熟知しているので、上手に使い分ける。一方通行が多いおかげで、抜け道利用が少なくなれば、そのほうが好都合でもある。

現在でも、あえて一方通行にするケースがある

 一方通行の道には交通事故を減らす効用がある、とはいっても、公道をすべて一方通行にすることはできない。狭く、一方通行の道は拡幅され、相互通行の道につくりかえられるのが世の流れだ。が、大阪のように、一方通行の道を多くしている場所もある。

 大阪では、1970年の大阪万博の前、中心エリアの交通渋滞緩和の目的で多くの道路を一方通行とした。その結果、御堂筋では交通事故が3分の2に減ったというから、交通量の多い道でも一方通行の効用は確実にあるようだ。

 東京でも、一部の道は拡幅してもあえて一方通行とし、広がった分を歩道にするケースがある。

一方通行の道を遺し、歩道を広くした道の一例。筆者撮影
一方通行の道を遺し、歩道を広くした道の一例。筆者撮影

 上の写真は、都内江東区の東陽町にある一方通行の道。車道は狭く、歩道は広い。ガードレールではなく、頑丈なポールでガードされているため、歩行者はどこでも道を横断できる。このように歩行者にとって安全で使いやすい道が全国に増えてほしい、と切に願う。