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「年越しそば」の由来は月末に食べる習慣から 知られざる雑学、いくつ知ってる?

坂崎仁紀大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト
年越しそばの定番「天ぷらそば」(筆者撮影)

 コロナ禍で揺れた今年も残りわずか。大みそかには「年越しそば」で厄を振り払い、健やかな新年を迎えたいものだ。ところでこの「年越しそば」とはどういうものか。調べてみると、食べる時間帯も材料も温・冷も、地域や家庭、お店によって実にさまざま。日本人はどんな「年越しそば」で一年を締めくくっているのか、各地からの“証言”とともに紹介したい。

「年越しそば」の由来は縁起担ぎ

 「年越しそば」の由来には諸説ある。江戸時代中期、江戸の商家で毎月のみそかにそばを食べる習慣があって、それが大みそかだけ残って「年越しそば」になったというのが一般的だ。一年の厄災を断ち切り、細く長く長寿を祈って、といった縁起担ぎの側面があり、大みそかの恒例行事となった。

「年越しそば」の具は意外とシンプル

 「年越しそば」の姿は日本各地でさまざま。郷土の味に寄り添ったものが多く、基本的にあまり奇をてらわない普通のそばが食べられている。お節料理の具材を使うことも多い。紅白のかまぼこ、野菜のかき揚げ、エビ天などが定番である。また、人参、ゴボウ、鶏肉などを炊いたものを「かけそば」にかけることも多い。

 名古屋ではブラックタイガーのような巨大エビの天ぷらをのせた豪華な「年越しそば」や「味噌煮込みうどん」などを食べているように想像するが、実はシンプル。薄口醤油を使いかつお出汁がじんわり利いたつゆにかまぼこや天ぷらをちょこっとのせて、青物を添えた粋な「年越しそば」を食べることが多いようだ。広島あたりも同様にシンプルな「年越しそば」が一般的とみられる。

 京都では江戸時代からの北前船の名残りから、今でも「にしんそば」を「年越しそば」として食べることが多いという。

年越しそばの定番は「天ぷらそば」(「人形町はたり」で筆者撮影)
年越しそばの定番は「天ぷらそば」(「人形町はたり」で筆者撮影)

京都では「にしんそば」が定番のようだ
京都では「にしんそば」が定番のようだ写真:Jphoto/イメージマート

「年越しそば」は何時ごろ食べる?

 「年越しそば」はいつ食べるか意外と悩むことが多い。有名老舗そば店に行く人は昼間に食べることが多い。夕方には売り切れてしまうからだ。一方、家庭で「年越しそば」を食べる場合は、夕食として食べる派と、夕食後の夜食に紅白歌合戦をみながら食べる派といるようだ。一部の地域では、お節料理を大みそかから食べ始めるため、その〆に「年越しそば」を食べるというケースもあり、全国で統一感が全くないのが面白い。

「年越しそば」は「もりそば系」or「かけそば系」?

「年越しそば」は「もりそば系」が多いのか「かけそば系」が多いのか。どうも地域によって違うようだ。またそば店のおすすめを食べるというのが多く、「せいろそば」が人気の店なら冷たい「もりそば系」になる。ただ、厳冬の時期ということもあり、意外と温かい「かけそば系」が多く食べられているというのが実態のようだ。

 また、街そば屋の店頭で売られる「年越しそば」でも、生麺タイプなら「もりそば系」、茹で麺タイプなら「かけそば系」に使われることが多い。

 新潟県の妻有(つまり)地方では「へぎそば」が「年越しそば」として食べられている。海藻のふのりをつなぎに使った、やや緑色がかった硬めのそばで、ひらがなの「つ」の字のように一口程度に小分けされていて「手振りそば」ともいわれている。山形の「板そば」も「もりそば系」として人気である。東京では「もりそば系」が人気のように思うがいかがだろうか。

沖縄の「年越しそば」は「沖縄そば」

 沖縄では年越しには日本そばではなく圧倒的に「沖縄そば」を食べる。小麦粉で作った中華麺を使い、つゆは豚の清湯スープとかつお出汁を合わせたりする。豚の三枚肉や青ねぎ、かまぼこなどがのる。

 関東でも昭和時代の後半頃から「年越しそば」にラーメンという風潮が高まったことがある。マンガ「巨人の星第63話」で明子と星一徹が「年越しそば」をすするシーンが印象に残っているのだが、その丼には中華系の模様があり「年越しラーメン」だったのかと驚いた記憶がある。その真偽はいまだ謎だ。

うどん派が多い地域は「年越しうどん」

 「年越しうどん」を好む人もいる。香川県(さぬきうどん)、兵庫県(ぼっかけうどん)、埼玉県(武蔵野うどんや加須うどん)、群馬県(水沢うどんやおきりこみ)、秋田県(稲庭うどん)あたりはうどん派が多い。運を呼ぶう(ん)どんを食べて太く長く幸運に恵まれますようにというわけである。しかし、香川県でも大みそかだけはそばにするという家庭も多いらしい。中には、うどんに少しだけ縁起物のそばを入れて食べるところもあるという。

家庭の「年越しそば」はどんな味?

 今回、「年越しそば」の調査をデータベースや古い書籍をみながら進めていったのだが、各地の家庭の「年越しそば」の姿がよく見えてこなかった。そこで、筆者の交友関係のあるそば屋店主・著名人・友人などにヒアリングしてみたところ、なかなか面白いエピソードが入手できたので紹介しよう。

●道東出身で東京・平和島でラーメン店を営む内野孝さんの話

 実家では乾麺のそばを茹で、小さく切ったかしわを入れて温めた麺つゆに長ネギをパラリとのせたそばだった。北海道は全国からの開拓団や第二次大戦で疎開した人達などの集まりなので、出身地によって具材や味付けは変わるようだ。

●札幌の立ち食いそば「ながら」店長の話

 北海道では大みそかにお節料理を食べるところも多く、紅白が終わり、ゆく年くる年が始まる頃おもむろに雑煮用に作ったつゆで「かけそば」や「もりそば」を食べることが多かった。ゴーンと除夜の鐘が聞こえて慌ててそばを用意することもあった。

●青森出身で外資系製薬会社に勤める太田さんの話

 青森は温かいそばだった。つなぎが弱く、箸ですくえないような「津軽そば」に、具材は家庭によってさまざまだが、実家では干した山菜やシイタケ、鶏肉を入れて煮たつゆをかけ、エビ天、ネギなどのせるそばだった。

●福島・会津出身で東京・神楽坂「蕎楽亭」の長谷川健二さんの話

 ずばり「けんちんそば」をよく食べていた。祖母が打ってくれたそばにアツアツのけんちん汁をかけたり、「つけそば」にしたり。出汁は何でもありで、鶏系の出汁を使うこともあった。

◇「蕎楽亭」12月31日は十割そばのみ販売

会津の年越しそばが忘れられないという「蕎楽亭」店主の長谷川健二さん(筆者撮影)
会津の年越しそばが忘れられないという「蕎楽亭」店主の長谷川健二さん(筆者撮影)

「蕎楽亭」で人気の「むぎめおと」(筆者撮影)
「蕎楽亭」で人気の「むぎめおと」(筆者撮影)

●山形の鈴木製麺所代表取締役の鈴木文明さんの話

 山形の「年越しそば」という特殊なものはないが、あえていえば県民の方は皆冷たいそばが好きだと思う。「もりそば」「ざるそば」あたりが主流。もちろん「肉そば」や「板そば」も食べることもある。

●栃木のなかざわ製麺社長の中澤健太さんの話

 実家では「もりそば」か、冷たいそばを温かい汁で食べる「つけそば」が多かった。近所では周辺では温かい「天ぷらそば」が多かったと思う。「年越しそば」として特別な具材はないと思う。今でも自宅でそばを打つ家庭が多い。

◇「東京なまめん なかざわ製麺」東京都豊島区南大塚2-41-7/10~20時まで(12月31日まで営業)◇「栃木本社直売所」栃木市平柳町1-34-13/11~18時まで(12月31日は17時で閉店)

●東京・神田須田町にある「六文そば」の女将さんの話

 大みそかに従業員が集まって、好みの天ぷらを揚げて冷たい「もりそば」を食べることが多い。東京では真冬でも「もりそば系」を好む傾向があると思う。

●静岡出身のライター佐野さんの話

 自宅でそば粉、小麦粉、卵、自然薯などで打った本格的なそばを、鶏ガラ、人参、しいたけ、セリなどを入れて炊いたつゆに入れたアツアツの「年越しそば」を食べていた。もちろん正月のお節に使う具ものせていた。旬の時期が異なるのでサクラエビの天ぷらは食べていない。静岡県民の一般的な「年越しそば」とは違うかもしれない。

●京都出身の友人小牧さんの話

 学生時代は刻んだ油揚げと九条ねぎと炊いてのせた「きざみねぎそば」をよく食べていた。大人たちは大抵「にしんそば」を食べていた。底冷えする京都では「かけそば系」が主流だった。最近では、同級生が経営する北白川の「手打蕎麦 藤芳」に行って「にしんそば」や「せいろそば」などを食べることが多い。

◇「手打蕎麦 藤芳」京都市左京区北白川東平井町27-3/11:30~21:30(21:00LO)(12月31日は麺売り切れまで営業)

京都北白川の「藤芳」で定番人気の「せいろそば」(藤井博之さん撮影)
京都北白川の「藤芳」で定番人気の「せいろそば」(藤井博之さん撮影)

●岡山・倉敷出身の作家、平松洋子さんの話

 子供の頃は紅白をみるのが国民行事だったので、テレビをみながら、かまぼこ、茹でたほうれん草、お揚げがのった温かいそばが「年越しそば」だった。つゆはかつお出汁。倉敷あたりでも温かいそばが主流だったと思う。

●徳島出身のイラストレータhoshiromiさんの話

 実家では徳島市の有名そば店「総本家橋本」でそばを買っていた。あとは「祖谷そば」のお店のそばで年越しもあった。通常は「かけそば」で、具にはエビ天、なると(かまぼこ)などをのせていた。

hoshiromiさんが数年前に食べた年越しそば(hoshiromiさん撮影)
hoshiromiさんが数年前に食べた年越しそば(hoshiromiさん撮影)

●博多出身で東京・神田三崎町「とんがらし」店主の樋口さんの話

 九州の博多で「年越しそば」はこれという食べ方は決まっていないと思う。実家では牛肉を使った「肉そば」を食べていた。博多っ子はそれぞれ好きな食べ方で食べていると思う。

●鹿児島出身で東京・世田谷で理髪店を営む前野さんの話

 薩摩半島の指宿の近くの出身。一般的にさつま揚げをのせたそば「まる天そば」が多かった。漁師町なのでブツ切りにした伊勢エビをそばつゆで炊いた「伊勢エビそば」を食べた記憶がある。

東京の「年越しそば」といえばきりっと冷たい「もりそば系」

 さて、最後に、東京にいて「年越しそば」を食べたい店といえば、大衆そばの頂点ともいうべき明治17年創業の「神田まつや」である。きりっとした辛つゆの「もりそば」は店を代表する味である。毎年12月30日の閉店後にそば打ち職人総出で約8000食のそばを徹夜で打つ。6代目店主の小高孝之さんに話を聞いた。

「コロナ禍で売り上げ減を覚悟していましたが、お持ち帰りのそばが多く出まして、例年並みになりました。本当にいいお客さんに恵まれました。コロナになってお客さんが嬉しそうにそばを食べられている姿をみて、本当に良かったと改めて思います。お酒も出せない時にも来てくださって『おいしいそばをありがとう』と言われて本当に涙が出ました。感謝の気持ちで一杯です。そば屋の背後にはたくさんの生産者や関連会社が続いています。そのことをいつも忘れずにそばを作っていこうと思います。コロナがなくなるかまだわかりません。昔と違う時代がやってくるのかもしれません。しかし、そばを愛する気持ちはますます強くなっています」

今年の大みそかもきっと大混雑が予想される「神田まつや」(筆者撮影)
今年の大みそかもきっと大混雑が予想される「神田まつや」(筆者撮影)

「神田まつや」の顔とも言うべき「もりそば」(筆者撮影)
「神田まつや」の顔とも言うべき「もりそば」(筆者撮影)

◇「神田まつや」東京都千代田区神田須田町1-13/営業時間:月~金11:00~20:30(LO20:00)、土・祝11:00~19:30(LO19:00)/定休日:日曜日(祝日は営業)(12月31日は売り切れまで営業)

「年越しそば」はこれからも日本人とともに歩んでいく

 豪華絢爛ではない「年越しそば」の姿や味には、質素の中にも美徳を見出す日本人の庶民の本質が見え隠れしていると思う。そばや食文化などに詳しい風俗評論家の植原路郎氏は著作「そば物語」(井上書房、昭和34年)で「そばという植物は一晩風雨にさらされても翌朝は立派に立ちあがり、花盛りのころなら、雪か霜のような美しい景色をみせる。七転八起という言葉はまさにそばの性質をいいあらわしているようなもの。これにあやかって来年こそはと年越しそばを食べるのだ」と述べている。コロナという厄災を乗り越え、来年こそは穏やかな世になってほしいものだ。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト

1959年生。東京理科大学薬学部卒。中学の頃から立ち食いそばに目覚める。広告代理店時代や独立後も各地の大衆そばを実食。その誕生の歴史に興味を持ち調べるようになる。すると蕎麦製法の伝来や産業としての麺文化の発達、明治以降の対国家戦略の中で翻弄される蕎麦粉や小麦粉の動向など、大衆に寄り添う麺文化を知ることになる。現在は立ち食いそばを含む広義の大衆そばの記憶や文化を追う。また派生した麺文化についても鋭意研究中。著作「ちょっとそばでも」(廣済堂出版、2013)、「うまい!大衆そばの本」(スタンダーズ出版、2018)。「文春オンライン」連載中。心に残る大衆そばの味を記していきたい。

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