「大怪獣のあとしまつ」ツイート数10万件で考える、つまらない映画の楽しさ
公開日ツイート数10万件、「シン・ゴジラ」級
2月4日、「大怪獣のあとしまつ」が公開された。タイトル通り、巨大な怪獣の死体をどうするかというユニークな視点の物語を、山田涼介主演など豪華キャストで製作された映画。松竹と東映が初めてタッグを組み、おそらく大変な意気込みで臨んだ大作だ。公開週の土日の興行収入ランキングで3位とまずまずのスタートのようだった。
Twitterを眺めていると、この映画について盛り上がっている。だがよく見ると、単純に良かったと評価するツイートばかりでもない。というより、今までにないほどネガティブなツイートを多く見かけた。面白かった、良かった、という肯定的なツイートもある一方で、つまらなかった、ギャグがすべっていた、途中で出る人もいた、などなど手厳しいツイートも多い。さらには、そこがいいのだ、三木聡なのだから、など一周回って褒めるというか擁護するツイートも見かけた。どうやら単純に良し悪しを語りにくい映画のようだ。
映画についてのTwitterの反応としてはレアなタイプに思える。そこで、エンタメを様々な角度で分析する角川アスキー総研にお願いし、同社のTwitter解析システムで日別のツイート数の推移を分析してもらった。
そのグラフがこれだ。公開前のキャンペーン期間に特報が公開されたりすると数千ツイートとかなり盛り上がっていた。公開日に一気に盛り上がるのはある規模の映画なら当然なのだが、そのツイート数が異常だ。10万ツイートを超えている!なかなか出ない数字ではないか。
他の映画と比較して見るために、直近の話題作「劇場版呪術廻戦0」「99.9刑事専門弁護士THE MOVIE」と比べたグラフも出してくれた。公開日を合わせて比べやすくしたグラフだ。
年末に公開され現在も爆走中のメガヒット作「呪術廻戦」が公開日のツイート数11万を超えているのはさすがだが、「大怪獣のあとしまつ」はそれに迫るツイート数だったことになる。同じく年末に公開されこちらもヒットした松本潤主演作「99.9」は5万4千件で「大怪獣」よりずっと少ない。
そもそも10万ツイートという数はどう捉えればいいのか。そこでさらに、角川アスキー総研の解析システムで過去の映画のデータも分析してもらった。
公開日もしくは数日後に10万ツイートに達したのはこれらの映画だ。
「天気の子」16万2933件
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:ll」12万3100件
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 11万9006件
「シン・ゴジラ」11万9072件
ここ数年の錚々たるメガヒット作が並んでいる。人々の口コミ数で見ると、「大怪獣のあとしまつ」はそれらと並ぶ作品なのだ。
ところが興行収入は登場時には3位だったものの、翌週は7位にダウン、その翌週にはベスト10圏外に去ってしまった。ツイート数は興行収入と必ずしも比例するわけではないが、10万件という数値に至ったのに興行が振るわなかったのは珍しい。
「つまらなさ」を楽しむ映画?
10万件のツイートの中にネガティブなものはどれくらいだったのだろう。これも角川アスキー総研に過去作とともに分析してもらった。
「大怪獣のあとしまつ」は他の作品と比べるとネガ率12.6%と抜きん出て高い。10万件の盛り上がりはやはり「酷評」が核だったのだろうか。ところがポジ率でも24.4%と意外に高い。賛否両論で盛り上がったのだ。
また本作は観賞後のツイートだけでなく、ネガティブな批評を見ての反応も多いようだ。角川アスキー総研ではこの映画についてのツイートでRT数が多かったものも抽出している。もっとも多いのがこのツイートだった。
調査をした2月17日時点では1.8万RTだったのが、今見るとさらに1.9万に増えている。オフィシャルサイト上にある著名人のコメントからいくつか抜き出したものだ。ツイート主の玲里さんはRT数の多さに驚いて「謎の義務感」が生まれ、自分でも映画を見たそうだ。映画との接点がこんな流れでできることもあるのが面白い。
次にRTが多かったのがこのツイート。
友人が酷評しているのだが、その言い方が面白くて逆に興味が湧いた、ということだろう。そう、どうやら10万件のツイートには誰かの批評に対して「何か言いたくなってツイートする」という要素も多分にあるのだと思う。見る前から何かを言わずにいられなくなる映画。見たら見たで何かを言いたくなる映画。それも映画の楽しみ方の一つなのかもしれない。
かく言う私も、様々なツイートを見ているうちに「そんなにダメな映画なら見てみたい」と思って映画館に行ってしまい、あらかじめの想定を超えたつまらなさに呆然とした。SNSにその気持ちを書き込んだのは言うまでもない。そしてそれを楽しんでいる自分もいた。
「令和のデビルマン」は言い過ぎ問題
この映画についてのパワーワードになっていたのが「令和のデビルマン」だ。2004年の実写版「デビルマン」のことで、映画を見ていなくても使いたくなる不思議な魅力がある言葉だ。
これがまた論争を呼んだ。デビルマンを見たことがある人からすると、そんなレベルじゃない、と言うのだ。デビルマンを見てもないのにデビルマンに例えるとは!とわかりにくい憤りを言う人もいた。その辺りは、以下のTogetterを読んでもらうとわかる。
「普通にイマイチ程度の映画」を「世紀の駄作」だの「令和のデビルマン」だの誇張されたパワーワードで殴るのはどうなの問題
この議論で発言する人たちには、映画への愛の深さのようなものを感じる。私は2004年当時、あまりの酷評ぶりに「デビルマン」を見ないで済ませていたのだが、それは良くなかったとなぜか反省して配信サービスで見た。とてもじゃないが耐えきれず途中でやめてしまった。なるほど、「大怪獣のあとしまつ」を令和のデビルマンと呼ぶのはどちらに対してかはわからないが失礼だ。映画として語れる水準に達していない。役者がひどいが特撮もひどい。幼少の頃、心躍らせて見たテレビアニメ版の素晴らしさがかけらもない。
「デビルマン」についてもまた語りたくなってしまうのだが、それも含めて映画について語ることの幅の広さ、奥の深さを今回私は学んだ気がする。
良い映画に感動して、その良さを語るのが映画の楽しみ方なのは当然だ。だがダメな映画に出合った時、そのダメさも実は魅力であり、腹を立てながらどこがダメかを語ることもやはり楽しい行為なのだ。
だからこそ皆さんには、「大怪獣のあとしまつ」をぜひ見てもらいたい。がっかりしてSNSに書き込むのもいいし、言うほどダメではない、ここが良かったと主張するのもいいと思う。ゆとりがあれば、契約している配信サービスで「デビルマン」を見るのも一興だ。いや、こっちはさすがにやめておいた方がいいかもしれないが・・・。