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「ブラック・ウィドウ」を上映しない大手シネコンの2つの誤り

境治コピーライター/メディアコンサルタント
(写真:アフロ)

今週、筆者は映画「ブラック・ウィドウ」についてこんな記事を書いた。

「ブラック・ウィドウ」配信大ヒットの裏にある米国メディアの爆速ストリーミングシフト

昨年公開予定だったマーベル映画「ブラック・ウィドウ」がコロナ禍により延期に次ぐ延期の末、先週公開されたところ世界中で大ヒット。全世界の劇場興収は1億5880万ドルに達し、ほぼ同時にスタートした配信でも6000万ドルで、合計2億1000万ドルを稼ぎ出した。最初の週末だけで驚くべきヒット作になった。アメリカのメディア企業は元々進めていたストリーミングシフトをコロナ禍で加速させ、すごい勢いで構造改革を進めたその成果が本作で出た。そんな内容の記事だった。

世界でヒットしたのに大手シネコンで上映せず

そんな「ブラック・ウィドウ」を自分でも劇場に見に行って気づいたことがある。信じられないほど上映館が少ないのだ。Yahoo!映画で本日付けの東京都の上映館を調べると、こんなリストが出てくる。

Yahoo!映画より筆者がキャプチャー
Yahoo!映画より筆者がキャプチャー

渋谷、新宿、池袋というターミナル駅の上映館が一つずつしか出てこないし、やや規模の小さい映画館だけだ。例えば新宿にはTOHOシネマズ、ピカデリー、バルト9の国内映画配給会社系列の大手シネコンの映画館があるのにそれらがまったく出てこないのだ。

同じ週末に公開された「東京リベンジャーズ」の上映館を調べると、新宿では3大シネコンが当然のように揃って出てくる。

Yahoo!映画より筆者がキャプチャー
Yahoo!映画より筆者がキャプチャー

作品や配給会社との関係にもよるが、シネコン時代にヒットが見込める作品はこのように大手シネコンがどこも上映するのが当たり前になっている。ヒットが見込めるし、現に世界で記録的なヒットとなっている「ブラック・ウィドウ」がなぜ日本の大手シネコンで上映されないのか。

劇場側の怒りをスルーしたディズニー

その答えは、3月に書かれたこの記事を読むとよくわかった。

試写室日記 第115回 「ラーヤと龍の王国」。ディズニーと映画館の関係が激変!一体何が起こっているのか?【前編】

予備校講師であり映画評論活動もしている細野真宏氏のコラムで明かされているのは、ディズニーと日本の映画興行界の不幸な確執だ。詳しくは記事を読んでもらいたいが、コロナ禍でこじれた2者の関係がよくわかる。

昨年4月公開予定だった「ムーラン」がコロナ禍で公開延期の末、劇場公開を断念して「ディズニープラス」での配信のみに切り替えた。続いて「ソウルフルワールド」も劇場を諦めて配信のみになった。

劇場側としては、大打撃だ。公開予定日までにさんざん予告編を流したのが、配信の宣伝になったようなもの。グッズなども用意していたのにとんだ損害になってしまった。

ディズニーの「裏切り」を重くみた劇場側は業界団体・全興連(全国興行生活衛生同業組合連合会)とディズニーとで話し合いを重ねた。だが折り合いがつかなかったのだろう。細野氏の記事にはこんなことが書かれている。

全興連は、2021年1月21日付で、弁護士を通じ「これまで通りの形式で劇場公開をしない作品については上映しない」といった趣旨の文書をウォルト・ディズニー・ジャパンに送っています。

ところが、3月に公開された映画「ラーヤと龍の王国」で、ディズニーは劇場公開と同時に配信もスタートさせた。これには劇場側はおそらく激怒しただろう。話し合いがうまくいかず、言わば「劇場を甘く見るなよ」という文書を叩きつけたのに、それをスルーするかのようにディズニーは配信と同時に新作を劇場公開すると言い出した。

劇場公開を諦めて配信のみにするならまだしも、劇場公開はするが配信もやるというのだ。甘く見るなよと啖呵を切ったのに対し、「それがなにか?」とばかりの態度を取られたら、振り上げた拳を降ろす場がなくなる。

「ラーヤと龍の王国」は大手シネコンが上映しない事態に至った。全興連の決定は拘束力はなく、上映したければどうぞと言わざるを得ないので、中小の映画館や、イオンシネマなどでは上映された。映画会社系列のシネコンとしては、映画屋の意地として送りつけた文書通りにしないわけにはいかなかったのだろう。

大手シネコンの怒りはわかる。想像するにディズニー側が居丈高だったのではないかとも思う。またディズニー内部でも、本国と日本法人との間のやりとりがうまくいかなかった可能性もある。

だが、「ブラック・ウィドウ」でもディズニーは劇場と同時に配信も開始した(ディズニープラス加入者が約3000円の追加料金を払えば見られるプレミアムアクセス)。そこで大手シネコンは本作も上映しないことにしたのだ。

だがその判断は、3月と同様でよかったのだろうか?

誤りその1:オムニチャネル戦略が理解できていない

ディズニーが劇場公開と同時に配信スタートを決めたのは、日本の劇場への嫌がらせではないだろう。むしろ、ストリーミングを軸に事業構造を改革していく中で、劇場と配信のタイミングを合わせた方が相乗効果が大きいと判断したのではないか。

大手シネコンの人々の頭の中には、いまだに「ウィンドウ戦略」時代のコンテンツ流通があるのではないだろうか。2000年代までは当たり前だった「劇場→DVD→有料放送→無料放送」のように見せるウィンドウの順番を守ることで収益を最大化する考え方だ。ただここには「配信」の要素がなく、ともすると配信をDVDの代替にとらえがちだ。

だが配信サービスが人々に浸透するに従って、考え方は変わりつつある。コンテンツはどこにでも「偏在」するようになってきた。むしろ順番や序列を作らずに、見せることができるところでどんどん見せる、その方がコンテンツにとって得をする。その考え方をオムニチャネル戦略と呼ぶ人もいる。見たい時に、見たい形態で見せることができれば、場合によっては何度も見てくれる。またそれによって人々の口コミを通じてコンテンツに対する盛り上がりが生じる。

図は筆者作成
図は筆者作成

その典型が記憶に新しい「鬼滅の刃」だ。映画になる前のTVアニメ展開では、テレビで毎週放送しつつ、すぐさまあらゆる配信サービスでも公開した。テレビで途中から見た人も第一話から見ることができ、配信で発見した人はテレビで多くの視聴者と共有できる。どっちが先でも優位でもない。響き合うエコーのような相乗効果が出る。そうやってファンを地道に増やしてきた結果が映画の記録的なヒットにつながった。

劇場版を配信したわけではないので「ブラック・ウィドウ」とそのまま結びつけられない。だが、「ブラック・ウィドウ」がいま劇場と配信で同時に公開されることで、「鬼滅の刃」の放送時と似たことが起こっている可能性はある。ディズニーが配信を同時に開始したのはそんな狙いがあるのだろう。

既存のコンテンツ流通とデジタルでの流通はカニバる時はカニバる。新聞はその典型で、デジタルでのニュースに慣れた人が紙に戻ることは考えにくい。音楽も配信に馴染んだ世代はよほど好きなアーティストでなければCDを欲しいとは思わないだろう。

ところが映画の劇場鑑賞は配信で代替しにくい。「ブラック・ウィドウ」のようなスペクタクルな作品は特にそうだ。多少の大型テレビで配信で見ても、劇場のスクリーンと音響で見る醍醐味にはかなわない。またマーベル映画にはコアなファンが多い作品では劇場と配信同時公開がプラスに作用する。劇場で見て、配信で細かく見た末にまた劇場で見る。そんなコアファンの楽しみ方も容易に想像できる。

映画にとって配信は、劇場と対立しないどころか、価値を相乗的に拡大させる増幅装置なのだ。ただ、それも劇場あってこそ。

日本の大手シネコンは、ディズニーへの感情に振り回されて自らの利益を損なってしまったのではないか。数十億円規模の損害を自らもたらしてしまったと言えないだろうか。

誤りその2:お客さんの気持ちが見えていない

もうひとつ、上映しなかったことが大きな誤りと言いたい点がある。お客さんの気持ちをないがしろにしてしまったことだ。ディズニーにどれだけ腹が立ったとしても、お客さんを思えば上映すべきだったのではないか。

試しにツイッターで「ブラック・ウィドウ toho」など作品名とシネコン名で検索してみるといい。普段行っている映画館で「ブラック・ウィドウ」が見れないことを悲しむツイートが次々に出てくる。

日頃のお客さんを悲しませていいのか。そんな仕打ちは、長期的に見ていいはずがないだろう。

わざわざ普段行かない映画館に行くという人もいる。中には近くの映画館でやってないのでディズニープラスに加入したとつぶやく人もいた。喧嘩の相手に利するような結果を生んでどうするのか。実際、ディズニープラスのCMをいまドコモが盛んに打っている。これは昨年作られた同じものをまた流しているのだ。チャンスだとドコモが気づいたのだろう。

「ブラック・ウィドウ」がプレミアムアクセスで見られることに触れてないのは、多少映画業界に気を遣っているのかもしれない。

お客さんの気持ちに応えない業界に未来はない。ディズニーへの感情より大事なものがあることを、大手シネコンは認識すべきだ。

「ブラック・ウィドウ」はもう間に合わないかもしれないが、次のディズニー作品からは考え直してもらいたい。ディズニー側も話し合う姿勢を持ってもらいたい。

なぜならば、ディズニーのような映画ほど、大きなシネコンでリラックスして見たいからだ。映画にとっての幸福な環境は、映画館にこそある。映画ファンのそんな気持ちを両者とも汲み取ってもらいたいと思う。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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