ソーシャルディスタンスから感じたテレビと私たちの距離

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ようやく始まったテレビ番組のソーシャルディスタンシング

28日土曜日の朝、私はこんな記事を書いた。

ウイルスへの危機感が薄いのは若者よりメディアの方だ

先週水曜夜に、東京都民に在宅ワーク要請を都知事が出したのに、テレビのニュースや情報番組がいつも通り放送されていたことを指摘した記事だ。テレビを見ている側が、在宅でどう仕事したらいいだろうと悩んでいる時に、テレビ局が何の対処もせずいつも通りのスタイルを変えないことを嘆いたのだ。

最後に「土日の番組に注目したい」と、これはさすがに何か対応するはずだという期待を込めて書いたのに、ほとんどの番組がいつも通りだった。

私がチェックした限り唯一はっきり対応したのが日曜夜6時の日本テレビ「バンキシャ」だった。スタジオの出演者同士の距離を明らかにいつもより取って、感染対策であることを説明。途中登場した専門家もスタジオに呼ばずリモート出演だった。当然対処すべきことだが、いち早く取り組んだこの番組は評価したい。

前の記事でも書いたが、いつも通りのスタジオで「若者の危機感の薄さ」を語っても何の説得力もない。土日の番組でもそれが多く見られた。マスクをしてない人が「みんなマスクしなきゃダメだぞ」と言っても仕方ない。それと同じことを多くの番組がやっていたのだ。聞き入れられないだけでなく、逆に軽蔑されるだろう。土日に対応しなかった番組は今からでも反省すべきだ。

週が明けて月曜日になるといきなりほとんどの番組が対応していた。朝のワイドショーはどの局も出演者の距離をあけていた・・・と思ったらフジテレビ「とくダネ」だけいつも通りだった。日テレがいちばん早く対応し、フジがいちばん遅い。そこに2局の「差」が表れた気がする。

さすがに今日、火曜日になってようやく「とくダネ」も距離をあけていた。はっきり言って遅すぎてみっともない。

テレビは私たちとの距離を縮めねばならない

いくつかの番組でも説明していたが、欧米では「ソーシャルディスタンス」という概念が出てきている。番組出演者に限らず、お店の座席でも、屋外で並ぶ時も、感染しないように距離を取ることを言うそうだ。1.8mから2mはあけよう、というもの。欧米のテレビ番組ではもっと前から出演者同士で6フィート(約1.8m)間をあけ、ゲストはリモート出演してもらうのがもはや当たり前なのだと聞いた。日本のテレビ局は遅すぎだ。

海外との比較より、私がずっと違和感を感じたのは、テレビを見ている私たちとテレビの中の「距離」だ。東京に住む人ならほとんどが「どうしたら在宅で働けるだろうか」「今日の会議は自宅で可能だろうか」などと悩んだはずだ。慌ててZoomなどの使い方を学び、恐る恐るリモート会議をやってみたり、クラウドサービスなどを活用して同僚や上司とファイルをやりとりしてみたり。

都知事からの要請に従ったのは、欧米のような悲惨な状況にしないために、自分のため家族のため社会のために、個々人が対処すべきと判断したからだ。だから「自分にできること」にあたふた対応した。

テレビ局の人びと、テレビの出演者の面々は、何を考えていたのだろうか。はっきり言うが今回の新型コロナウイルスの問題を「自分ごと化」できていなかった。在宅要請にあたふた対応するのは「人びと」の方で、自分たちを「人びと」と同じ立場に置いていないから、対処できなかったのではないだろうか。「若者たちが危機感を持っていない」と訴えている自分たちが危機感を持って対処できていないことに気づかないのは、同じ立場で捉えてないからだとしか思えない。はたから見てどれだけ滑稽だったか、自分自身で今の気分で録画を見れば感じると思う。

新型コロナウイルスの影響は長引くことを多くの人が覚悟し始めている。テレビというメディアが今後どうなるかも考える時だ。これまでのポジションと同じであり続けるのはもう無理なのだ。ソーシャルディスタンスへの対処からもそれがわかるだろう。下手をするとこの先、ひな壇バラエティなんて成立しないかもしれない。ドラマ撮影は当分できない可能性もある。現にハリウッドは数多のヒットシリーズの撮影を休止している。

これまでと同じポジションではなくどうするか。考える材料が「距離」にある。私たち見ている側と同じ場所から番組を放送できるかどうか。危機感と生活感を共有できるか。それこそが今、テレビに対して問われているのだと思う。