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「日本死ね→書いたの誰だ?→ #保育園落ちたの私だ → 国会前スタンディング」絶望の不思議な連鎖

境治コピーライター/メディアコンサルタント

国会前での"穏やかな"アピール活動

前回3月3日の記事で、私は「保育園落ちた日本死ね」と題した匿名ブログが、マスメディアとソーシャルメディアの間で共鳴して、ついに国会にたどり着いたその過程を追った。

「保育園落ちた日本死ね」ネットとテレビで響きあい国会に届いた"絶望"

このブログについて安倍首相が「匿名なので起こっていることを確認しようがない」と述べたことや「誰が書いたんだよ」などの無神経な野次が飛んだことに対し、twitter上で憤懣が沸き起こった。匿名だから起こっているかわからないというのなら、保育園に落ちた者が自分だと声をあげようということで、「#保育園落ちたの私だ」というハッシュタグができた。3月2日のことだったようだ。

このハッシュタグをあとで発見して追っていた私は、「保育園落ちたの私だ」のプラカードを持って国会前で何らかのアピール活動が行われるらしいと気づいた。すでに4日(金)の18時30分に一度行われており、写真もあがっている。そして5日(土)の13時30分にもあるというのだ。気づいたのはその日の朝だったが、これは見に行かねばと大慌てで国会前に出かけた。

到着したのは13時ごろ。30分早いとは言え、何人かはいるだろうと思いきや、そんな気配はまったくない。ぶらぶらと付近を散歩しながら待つのだが、13時20分を過ぎても、やっと一人二人何かプラカード的なものを持つ人がいる程度。カメラを抱えたメディア関係らしい人が7〜8人いてそっちのほうが多いくらいだった。

それから、あっという間だった。いつの間にか人数が増え、13時30分には20名強は集まっていたと思う。急速に何かが起こる気配になってきたぞ。

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ただ、何と言うかこれは決して”デモ”ではない。誰も叫ばない。まとまりもない。参加者それぞれが、立っていたり座っていたり、とにかくプラカードを掲げてその場にたたずんでいる。メディア側も最初はどうしたものかと見ていたが、少しずつ話を聞きはじめた。だがどうにもムードが不思議だ。社会的アピールをする人びとと言うより、世間話をするように自分の悩みを語り合っている。記者たちも真剣に聞いているものの、どこか友達の悩みを聞いてあげているようにも見える。ギスギスした感じがなく、穏やかな空気が漂う。ただひとりだけ、白いプラカードをまっすぐ掲げて国会議事堂を向いて立つ女性がいたのが気になった。リーダーなのかとも思ったが、参加者を仕切る様子はない。

そうこうするうち人数はさらに増え、30〜40名くらいにふくらんでいた。メディア側もその半分くらいに増えており、さすがにデモっぽくなってきた。だがそれでも、誰も何も言わない。この場にはルールがないように思えた。

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すると突然、参加者が一箇所に集まり出した。誰かが何か呼びかけている。ところがそれに対し別の参加者が何か言っているようだ。少し騒然とした雰囲気になった。

リーダーではなく”言い出しっぺ”

どうやら、誰かがまとまった行動を呼びかけようとしたところに、先ほどのぽつんと立ってプラカードを掲げていた女性が、意見を言っているようだった。自分が”言い出しっぺ”なのだが、自分としては何かまとまった行動をするつもりはなかった、でもみんなが集まって話すのは大賛成だ。そんなことを言っている。

そうか、彼女が”言い出しっぺ”つまり、この行動を呼びかけたのか。話を聞いてみた。朱音(あかね)さんという名でtwitterで発言している。

朱音さん曰く、自分も保育園に落ちた。それは20年前のことだが、その時の無念さをいま訴えたいと考えたと言う。

確かに、20年前であっても「保育園落ちたの私」であることに変わりない。

だから彼女としては、今回落ちた当事者はもちろん、共感する人は誰でも参加してくれればとの思いだったと言う。実際、私が話を聞いた中にも、自分に子どもはいないが、やむにやまれぬ思いに駆られて参加した、という人もいた。

朱音さんはさらに言う。自分としてはこの場を仕切りたくはない。今日の集まりは、”デモ”にしたくなかったと言うのだ。次に誰かが呼びかける時は、その人がちゃんと仕切って、デモにしてもらっていいと思う。でも自分としてやりたかったのは、ただ「保育園落ちたの私だ」のプラカードを掲げて立つことだけだった。

わかるだろうか。国会で保育園問題の当事者の存在が問われたのなら、存在することを示したかった、と言っているのだ。国会で”いるのか?”と問われたのだから、国会前で”ここにいる”と答えたかった。シンプルな話だ。

それからこうも言う。この問題で政権を批判したいわけではない。どこかの党を批判するとか、どこの党を応援するとかではない。だって国会議員全員の問題のはずだから。

ただ存在だけを示す。だから仕切らない。デモにしない。政権批判もしない。そこに絞った彼女の姿勢を、”正しい”と私は受けとめた。そしてそんな彼女の意志を参加者も自然に理解したからこそ、この場の不思議な空気ができたのだと思う。あちこちでメディア関係者が取材している様子が、どこか井戸端会議のような気さくな空気を漂わせていたのも、朱音さんのポリシーの反映ではないか。

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最後に、国会議事堂をバックに参加者の写真を、メディア関係者が撮影する場面があった。その光景は、言ってみれば記念写真撮影なのだと私は感じた。ここで行われたのは、保育問題を考える市民と、それを取材するメディア関係者によるタウンミーティングのようなものなのだ。そこには穏やかだが濃密な”意思疎通”が発生し、参加者たちの気持ちをくみ取った記者たちが、今後さらに保育の問題の議論を進めていってくれるのだと思う。

朱音さんはこの中にはあえて入らず、その様子を脇で見ていた。「いやー、こんなになるなんて」自分の行動がこれほど多くの参加者とメディアを巻き込んだ、その感慨に浸っていた。

複数の人の意志が自然に連なって起こった現象

ところで、この活動は非常に短い時間で告知され人びとが集まったものだ。それもまた不思議で、現代的な現象だと思う。

「#保育園落ちたの私だ」のハッシュタグができたのが3月2日。それが盛り上がる中、朱音さんのこのツイートが発端だったという。

※ご本人に許諾をいただいて掲載しているキャプチャー画像です
※ご本人に許諾をいただいて掲載しているキャプチャー画像です

このツイートは3月4日の11:58。そのあとは、周りの方たちと相談しながら徐々に広がっている。展開の早さに、組織的な仕掛けだったのではと疑う人もいるようだが、朱音さんとお仲間が純粋にわいわいと盛り上がってあっという間に決まっていったのだ。

プラカードも、別の方がカンタンにプリントできるようにデザインしたものを用意して、使ってくださいと呼びかけていた。朱音さんも知らない方だそうだ。

この流れのユニークな点はそこだ。最初の匿名ブログと、ハッシュタグを作った人と、朱音さんと、プラカードのデザインをした人と、それぞれ別の人であり、それぞれ勝手に行ったことなのだ。示し合わせたわけでもないし、そもそも互いに知らない同士のようだ。極めてソーシャルメディア的な現象であり、だからこそすべてがスピーディに運んだのではないかと思う。

保育園問題についていま、大きな流れができている。朱音さんたちの国会前スタンディングも、すでにあちこちのマスメディアで取りあげられているし、ハッシュタグもまだまだ盛り上がっている。この流れには続きがあるのだ。前回の記事で、国会での議論を私は”ゴールが決まった”と書いたが、試合はまだまだ続いている。新たなパスがあちこちでいまもつながれているし、また次のゴールを誰かが決めるのかもしれない。それは、あなただっていいのだ。

「保育園と保育士を増やそう」立場ある人が明言すれば

さてこの保育園問題のゲームでは、大事に守られるべきルールがあると思う。それは、すでに朱音さんが規定してくれた。「特定の政党の批判にしたり、政争の道具にされないように気をつけること」だ。さらに、安保法制だの反原発だのと並べて語ってはならない、というルールも私としては付け加えたい。そうなった途端に、話が複雑になり、この問題にとって不利になる。また嫌悪感も漂い、人びとの心が離れてしまう。そうなっては元も子もない。

それから、もうひとつ私として重要だと考えている点がある。社会的立場がある人びとから「保育園を増やすべき、保育士の待遇を改善すべき」とはっきり言ってもらうことだ。例えば先日の国会での野次から、自民党の議員をこの問題の敵だととらえる人もいるが、単純に色分けして排除しないほうがいいと思う。むしろ彼らには味方になってもらえるよう、うまく促すべきなのだ。攻撃を目的にしてしまうと事態が進まなくなりかねない。

さらに言いたい。社会的立場がある人は、ほんとうはわかっているはずだ。少子化問題は、大きな経済問題であり、即刻解決すべき政治課題なのだと。だから保育園も保育士も増やすべきだ。立場ある人たちが、わかっていないはずがない。

私は保育園開設への反対運動を、首都圏のいくつかの現場で取材している。その中の2つの現場では、反対運動の中心に、かなり社会的立場が高い人物がいることがわかっている。私の想像では、地元の人びとから担ぎ上げられて義務感でやっているのだと思う。彼らもわかっているはずだ。ほんとうはその町にも保育園を建てるべきだと。

願わくは、頼ってくる町の人びとに柔らかく保育園の必要性を説き、賛成の空気を作ってもらいたいものだ。昔からなじみの町内の人には言いにくいかもしれないが、いまのこの波の中なら、言いやすいのではないか。この問題がこれだけ注目されている中、反対運動を続けることはその町の人びとにとって良くない影響をもたらしかねない。町内で賛成のムードを作ることが結果的に、町の人びとのためにもなるはずだ。

そして各現場でそういう声を出しやすくするためにも、日本でいちばん社会的立場が高い、安倍首相が明言することが必要だと思う。首相が掲げる”一億総活躍社会”実現のためにも自ら言ってほしい。「保育園は足りてません。みなさんで開設を支援してあげてください。保育士が足りません。その給与レベルを上げる施策を必ず実現します」そう言ってくれれば、大きく変わる。名もない市民たちの活動が、そんな風に社会を変える可能性が今、現実になろうとしているのだと私は思う。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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