『自衛隊×臨床心理士』この特殊な女性が辿り着いた起業と人生の真実

起業するなら、どんな苦難が待とうとも、失敗しようとも、それを成長の一助にします(ペイレスイメージズ/アフロ)

初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載

このところ、第二次、第三次の起業ブームが起きています。個人がサラリーパーソンから独立し、士業やコンサルタント、また個人事業主として食っていくとき、どのような困難が待ち受けているのか。私は一人の独立した人間として、他の先人たちに興味を持ちました。彼らはどのように独立して、食えるにいたったのか。それはきっと起業予備軍にも役立つに違いありません。さきほど、「第三次の起業ブーム」と入力しようとしたら、「大惨事」と変換されました。まさに大惨事にならない起業の秘訣とは。臨床心理士の玉川真里さんにお話を聞きました。

――玉川さんの、起業に対する提言とは、なんでしょうか。

初めに結論を申し上げたいと思います。「起業するなら、どんな苦難が待とうとも、失敗しようとも、それを成長の一助にせよ。その覚悟ができないのなら、起業は、するな。」ということです。起業は1つの大きな変化です。変化には苦難も失敗もつきものであり、多くのエネルギーを必要とします。しかし、それ以上に大きなチャンスも待ち受けていることは確かです。起業するなら、それらの苦難や失敗を想定して、それを乗り越え成長する心意気が必要であると考えます。

――起業に至るまでは、どうでしたか。

私は臨床心理士です。しかも、人生のほとんどを自衛隊という特殊な環境下で過ごした臨床心理士です。そんな私が、自衛隊を辞め、独立起業したのには理由があります。1つには、将来的には独立し、広く社会貢献がしたいと願っていたことです。もう1つは、たまたま自分の信念に反する組織の不祥事に遭遇したことです。

起業には、意欲ときっかけが必要であると考えています。きっかけのことを私は「風」と呼んでいます。いい風が吹いた時に行動すると物事が上手く進みやすいのは、想像に易いでしょう。私の場合は、いつか独立したいと思って勉強をし、心の準備をしていた時に、辞めるいいタイミングが来たのです。

――起業を決心する「風」とは?

私が、独立起業したのは、約2年前です。このまま、組織にいたら、潰れてしまい、いい仕事ができないと考えたからです。高校を卒業してすぐに陸上自衛隊に入隊し、自衛官として勤務する中で、自らがうつ状態になり死にたい気持ちにとりつかれたことから、心理ケアの専門家を目指すに至りました。自衛官としての勤務を非常勤に変えて、大学、大学院へと進み、臨床心理士資格を取得しました。当時初の現場へ臨床心理士配置が決定した陸上自衛隊へ、自衛官から専門の技官への転身をして、常勤の臨床心理士として自衛隊の臨床心理士制度の基礎を作るという使命を持って勤務していました。高卒から約23年、使命感を持って勤務した自衛隊を辞めるには、苦渋の決断があったんですが、より広く社会貢献ができるのではないかと考えを変換することによって新たな目標をもつことができたのです。

私を退職にまで突き動かした「風」は、組織の闇にありました。

私の信念は、「命を守る」ということです。生育歴の中で何度も自殺を試みた私でしたが、人は簡単に死ねるものではありません。死ねない事実です。生かされている現実を受け止めた時に、自分の使命は「命を守ること」なのだと考えたのでした。だからこそ、自衛隊の勤務にこだわり、国民の命を救う、自衛官の命を守りたいと思っていました。

私がそこまで思い入れを持っていた「命」を粗末にする事案が、私にとっての「風」になったのでした。どんな事案だったかというと、続けて2件のDV事案が起こり、1名の自衛官が拘留される出来事が起こりました。その自衛官の妻は一般の女性でしたが、2件目のDV事案の時は、常勤・非常勤の区別はあったものの、両方が自衛官であったということです。その時の指揮官(上司)が、DV被害により自殺しそうな女性隊員に対して、「2人目の逮捕者が出るのは、自分の保身のために避けたい。だから、このことは口外しないで欲しい」と臨床心理士の私のみならず、被害者本人にも伝えたのです。夫と夫の家族に対する恐怖のあまり警察署へかけこんだ被害者に向けて暴言を浴びせ、自殺の危機に追いやったのです。加えて、関わった臨床心理士である私に対しても誹謗中傷を周囲に続けたこともあり、組織の中で、混乱が生じたため、私はこのままでは、真っ当な仕事が出来ないと思い、退職をし、独立起業する道を選んだのです。

――やはり、理想と現実のギャップはありましたか?

私が自衛隊で臨床心理士として勤務していた相談室は、毎日トイレに行く時間もないくらいの忙しさでした。そのため、私は心の中で「私は必要とされている」という錯覚をしていたのです。しかし、意気揚々と起業をし、相談室をオープンしたところ、相談者は、まるでいませんでした。今考えると当たり前です。自衛隊では名の売れた臨床心理士であっても、社会からみると、全くの無名の人であり、相談室をオープンしても、どうやって私に行き着くかの広報戦略もなく営業もしていなかったからです。

自衛官の相談が多いのではないかと予測していたのですが、予想は全く外れ、相談に来られるのは、知り合いからの口コミのみで、数ヶ月に1人くらいでした。相談室を運営するには、人件費や管理費が膨大に必要であり、恥ずかしながら相談室を始めて1年も経たない間に、経営が立ち行かなくなったために、相談室は、閉鎖することになりました。その後は、部屋を貸してくださるお店の1室を借りたり、ご自宅への訪問という形で相談業務をしながら、細々と続けていきました。

――初の仕事は、どうやってきたのでしょうか。

私が起業をした時、事業の柱を3つ考えていました。1つは相談事業、2つ目は研修事業、3つ目は子育て支援と学習支援です。相談事業の方は、先に述べたように、経営戦略の無さによって、散々たる結果となりました。そんな中、初めての仕事の依頼は、先輩臨床心理士からの紹介でした。私が起業を継続し、モチベーションを保てたのは、これら知り合いからの紹介のおかげです。

初めての仕事は、東日本大震災後から県民健康調査と心理支援を行っている福島県立医大からの要請でした。広島から、非常勤で福島に行って本当に役にたつのだろうか?と心配をしたんですが、自らも被災している専門家や大量の仕事を抱えている専門家たちが疲弊している状況を聞くと、私が行く価値があるのかもしれないと考えました。

しかも、福島は、私にとっても、思い入れのある場所でした。東日本大震災の時、本来なら、私も自衛隊の臨床心理士として災害派遣されるはずでしたが、夫婦ともに自衛隊員だった我が家では、震災直後に主人が先に災害派遣に行っており、幼児を抱える私は無念にも残留してできる業務をするしかなかったのです。私たちが担当している地域、それが福島でした。そのため、この仕事の依頼があった時に、私は「念願の福島支援」と思い快諾したのです。

知り合いからの仕事の紹介は、これに留まらず、海上保安大学校、海上保安庁、広島県庁など多岐に渡りました。実際のところ、営業の上手くできない私にとって、自分で仕事をとってくるというのは、無理であったのではないかと今では思います。

――どう事業を拡大させ、持続させたのでしょうか。

スタートの時点から問題山積の起業でしたが、これまで3度、辞めてしまおうかと考えることがありました。1つ目は、起業してすぐです。理事長を引き受けてくださっていた医師が、辞任を表明された時です。2つ目は、相談室の経営が困難となり閉鎖する時、3回目は今現在です。

それは、自分の特性にも要因があります。臨床心理士という仕事をしている私ですが、人と深く付き合い、協力を得ることが極めて苦手であるということに、この起業を通じて気づいたのです。自分で仕事をこなしていくことは、全く問題がありません。しかし協力者を募り、分担をしながら進めていくことに関しては大変不器用であったのです。

起業して丸2年が経過する現在でも、人にお願いすることが苦手であるがために、事業を拡大することも継続していくことも困難だと考え始めたのです。経営をしていく上で、お客様になってくださる方は、もちろん大切ですが、協力して力を貸してくださる方や応援してくださる方が増える仕組みを作って行かないと、そのうち先細りになっていくと今になって気づいたのでした。

――お金がなければ社会貢献もできないとお気づきになったと......。

はい、私の中では、信念と使命感があり、社会に求められることができると考えていたんですが、そこに欠落していたのは、経済観念でした。社会貢献をして、社会での必要性を認められれば、きっと協賛してくれる人が出てきて、助けられた人が、今度は助ける人になるという、理想的な社会ができるのではないかと思っていました。

いま考えると余りにも幼稚で、理想だけに立っていて実効性や計画の無さに恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。実際に、社会のためになること、自分のスキルが人の役にたつことはたくさんあると思いますが、お金がなければ、社会貢献もできないことを、この2年間で痛切に感じました。お金がなければ、社会貢献もできないことに今更ながらに気づいたのです。

――起業したことを後悔していますか?

私は、起業をしてうまくいかない現実が続いても、独立起業したことを後悔したことはありません。国家公務員に戻りたいとは思っていません。企業とサラリーマンには、得られるものが違います。求めるものも違うと思うからです。公務員時代は、確かに安定して収入は得られるし、福祉制度もしっかりしていたので、変化を求めず、安定するにはいいところだと思います。

反面、正義や革新はタブーなところです。正しいと思っていても、面倒だと思う人が多ければやりません。このままでは崩壊してしまうと考えても上司がそれで行くといえば、それに従わなければなりません。理不尽さを感じても合わせていかなければならないのです。

今ここの私は、安定よりも、自分に正直に生きたいです。正義と使命感を大切に、自分らしく、自分の出来ることを実行していきたいと考えています。そして、この2年間は、今までに感じたことがないくらい、充実感を得ています。今までにない開放感の中で、試され、成長過程にいるという実感があるのです。

――何のために生きるのか?何のために仕事をするのか?ぜひお聞かせください。

今回のテーマは、起業ですが、私にとって仕事とは、生きることと同じことであると思っています。どんな仕事を、どの形態でするのかは、どう生きていくのかと同じ意味合いがあるのだと考えています。私の主人は生きていくために仕事をしているだけで、どんな仕事でも与えられた仕事を誠実にこなせば良いだけだといいますが、私は異なった価値観を持っています。

生きていく時間の中で仕事という大きく占めた時間がある。だからこそ、仕事をするというのは、どう生きていくかと同じことであり、生きていく中で自分に何が出来て、どう社会の役に立てるのかという使命感を持っていなければ、人に振り回され、仕事に振り回されるのではないかと考えています。

今、これからの仕事について悩んでいる人がいたら、ぜひ考えて欲しいです。何のために生きていくのか?何のために仕事をするのかについて。生きる目的や使命感を得た人は、どんな苦難にも強く、そこから学べ、成長する力を得ていくと思うからです。起業するなら、どんな苦難が待とうとも、失敗しようとも、それを成長の一助にします。

<プロフィール>

玉川真里(たまがわ・まり)

元自衛隊の臨床心理士

NPO法人ハートシーズ理事長

1973年岡山県生まれ。アルコール依存症の父と、自殺未遂をする母のもと育つ。自分の身を守る強さを求め、1991年に陸上自衛隊に入隊。所属駐屯地では、女性初の大砲部隊野外通信手として活躍した後、2008年、陸上自衛隊において現場初の臨床心理士として、最も自殺率の高い職業といわれる自衛隊の自殺予防対策を任される。自らのうつ病体験・精神科閉鎖病棟への入院経験から医師・管理職・家族が同じ目標で本人に関われる復職支援検討会を提唱しコーディネーターとして入ることにより部内外の精神科医からも、この人に任せたらほとんどの患者が復職を成功させると言われるほどの信頼を得る。より多くの人の心を救済したいとの思いから自衛隊を辞め、資産をすべて投入してNPO法人設立。「災害・事件・事故に対する心の危機管理分野」では日本で数少ない有識者の1人として活躍し、自衛隊・海上保安大学校・消防学校・福島県立医科大学などで延べ100件以上の実績をもつ。

クライアントからの信頼もあつく、年間延べ2000件を超える相談を受けており、累計では3万人以上の心を解放してきた。

複雑な生育歴やDV、自殺未遂、離婚、結婚詐欺被害などの実体験をもとにし、当事者の辛さをわかりやすく説明し、どのようにすればお互いが苦しくなく関われるか具体的な方法を提示している。

2015年5月 「ダウンタウンなう」出演

2015年11月 TBSラジオ「ナイツのちゃきちゃき大放送」出演

2015年11月 著書『もう「あの人」のことで悩むのはやめる』出版

発行部数16000冊で好評発売中

2015年12月 新刊jpへの書籍記事及びインタビュー記事掲載

2015年12月 東洋経済オンラインへコラム掲載

2015年12月から日経ビジネスオンラインでコラムを連載中

その他、FM広島、FM廿日市、ラジオ「ゆめのたね」などの出演多数

リンク

http://heartseeds.net

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