一倉定とは何だったのか ~チョークを投げつけ社長を怒鳴り続けた伝説の経営コンサルタント~

(写真:アフロ)

落雷としての情熱講義

2010年。東京神田の日本経営合理化協会一階で打ち合わせをしていた。そのとき何を話し、何が決まったのかはもはや覚えていない。ただ、打ち合わせ終了後に、壁際に並べられていた教材について印象的だった。それはA4サイズ、厚み5センチほどの教材で、同協会のトップコンサルタントだったひとの教材だという。和服を着た白髪の男性が厳しい目で見つめている姿が強烈だった。

それから1年後、私は仕事の関係で某有名マーケティング・コンサルタントのDVDを視聴していた。そのとき、その某氏は、「一倉先生」なる人物を激賞していた。私は、その苗字に慣れていなかったため、「いちうら先生?」と誤解したほどだった。某氏は、「一倉先生は、いつもクライアントを殴っていたそうです」と語り、会場では爆笑が聞こえた。経営計画書を見た一倉先生が、そのクライアントに目を瞑るよう指示し、そして殴りつけた。殴られたクライアントは「一倉先生……」と信者になってしまったという。まあ、その真偽はわからないものの、その一倉先生なる御大の強烈なキャラクターと、良くも悪くもかつての<偉業>について鮮明な印象が残った。

ところで、一倉先生とは? ただ、残念ながら私のなかでまだ調査にはいたらなかった。

その後、たまたま、ファーストリテイリングの柳井正会長が著書『柳井正の希望を持とう』でビジネスマンに推薦したい本として『一倉定の経営心得』があった。そして、経営コンサルタントの小宮一慶さんも一倉定先生を尊敬している、というコメントがあった。

そして……。いや、おそらくこれまでも一倉定なる人物を紹介しているひとは無数にいたのだと思う。ただ、私はそれに気づかなかった。点をいくつか拾うことで、私の頭のなかで線につながった。どうやら高名なコンサルタントや経営者が、共通して勧めている人物がいる、と。

インターネットや書籍を調べていて驚いた。氏と私は、2010年に私が神田で<出会っていた>のだ。あの、和服を着た白髪の男性が一倉定氏だった。そして私はすぐさま鑑賞した氏の講義風景にさらに衝撃を受けることとなる。

「だからあんたはダメなんだ!」

「社長、それはあんたの責任だ!」

溢れ出るパワー。圧倒する口調。断定、そして怒り。氏は壇上でマイクという武器を使いながら、会場にあふれる1000人もの客を相手に、ひとり闘いを挑んでいるかのように見えた。しかも、憤りや怒りを、講義という一人舞台で爆発させて、さらに語りによって憤りや怒りをおのれのなかでさらに増長させながら終わりなき営みを続けていた。

一人の白髪でやせた紳士から、怒号が飛び、黒板が次々と一倉理論で塗りつぶされ、その講義の緊張に耐えられない者には容赦なくチョークが飛んで行く。ここには、一般的なお客(受講者)とサービス業者(講師)なる関係性はもはや成立していなかった。そこには、制圧されるものと、制圧するものの関係しかなく――いや、それはもちろん望んで制圧されているわけだが――、間然できぬ空気だけがあるのだ。

一倉定とは誰だったのか

一倉定(いちくらさだむ)氏は、1918年4月群馬県前橋市に生まれ、1999年3月に鬼籍のひととなった。前橋中学校卒業後に、中島飛行機株式会社の生産技術係長、富士機械製造の資材課長や、日本能率協会のプロジェクトマネージャーをなど経て、経営コンサルタントとして独立した。

<5000社を超える企業を指導し、多くの倒産寸前の企業を立て直したとされる。経営コンサルタントの第一人者とされ、苛烈なまでに経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持つ。"ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするな"が基本方針。空理空論で経営する社長や、利益だけを追求する社長に対しては、烈火の如く怒り叱り飛ばすとされ、「こんなに叱られるのは生まれて初めてだ」「講義と聞いて来たが、これは講義ではない、落雷だ」との所感を述べる経営者もいる。後継者に不安を抱く創業者からも人気で、いわばダメ社長の再生人として不動の地位を誇る。>(ウィキペディア)と紹介されているし、前述の日本経営合理化協会も、おなじような紹介文を載せている。

<事業経営の成否は、社長次第で決まるという信念から、社長だけを対象に情熱的に指導した異色の経営コンサルタント。空理空論を嫌い、徹底して現場実践主義とお客様第一主義を標榜。社長を小学生のように叱りつけ、時には、手にしたチョークを投げつける反面、社長と悩みを共にし、親身になって対応策を練る。まさに「社長の教祖」的存在であった。経営指導歴35年、あらゆる業種・業態に精通、文字通りわが国における経営コンサルタントの第一人者として、大中小5000余社を指導。>(日本経営合理化協会HPより)

では、その「落雷だ」とか「空理空論を嫌」うとかいった氏の主張はどのようなものだったのだろうか。そもそも一倉定氏は<赤字会社以外は相談に乗らない>と極端なスタンスをとっており、<私は、どんな会社でも資金が4ヵ月以上続きさえすれば、再建させる自信がある>ようで、<私は、今まで、再建に失敗したことはない。ただし、途中であきらめたことはある。(中略)私のいうとおりやった会社は、すべてよみがえっている。あきらめた、というのは、社長としての姿勢がなってない社長、そして、そうした欠点をガンとして直そうとしない社長の場合、こんな時には何をやっても会社はよくならない・・・・(月刊中小企業1977年2月号)>と断言する姿勢だった。

一倉定の名言

氏の名前を知らずとも、こう紹介しておこう。私たちが現在、日本における経営コンサルタントという職業を形作った人物だ、と。鬼のような指導で知られ、赤字会社の再建に命を燃やし続けた。

さて、これから氏の名言をとりあげるものの、現代においてはややずれているものもある。たとえば、組織マネジメントを否定しつつ語った箇所は、このような感じになる。マネジメントが役に立たない理由を氏は、こう語る。

<その理由は"アメリカの直輸入品"だからである。アメリカの労働者にとって、企業とは"働いて収入を得る場所"であって、それ以外の何物でもない。だから収入さえよければそれでよい。そのためには、わが国ではとても我慢のできないような悪い労働条件のもとでも我慢する。

会社の最終の責任を負い、最高の指導者である社長自らの姿勢を示すことこそ社員を動機づける最大のものであることに、全く気付いていないからである。(「人間社長学」)>

とまあ、これはデータで語られたものではない。日本がいいところもあれば、悪いところもあるのが実際のところだろう。しかし、氏がこのような言葉をひいたのも、結局は次のコメントに導きたいためだったはずだ。

<日本のように、会社と一体感をもつ社員には、いかにトップの姿勢と企業の未来を語ることが肝要であるかは経験したものでなくては分からないのである。(同上)>

氏は、経営トップが社員にビジョンを語る必要性を何度も説いている。このたび氏の全発言を読み返していて、トップに対するその厳しさに笑ってしまうほどだ。

<いい会社とか悪い会社とかはない。あるのは、いい社長と悪い社長である。(中略)「お客様の要求を満たす」ことこそ、事業経営の根底をなす会社のあり方であり、最高責任者である社長の基本姿勢でなければならない。(「一倉定の社長学 第9巻 新・社長の姿勢」)>

この調子でずっと続くのだ。

<ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのである。(中略)すぐれた決定は、多数の人々の意見から出るのではなくて、すぐれた経営者の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのであり、決定の大原則である。経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がどうなっていようと、その責任をのがれることはできないのだ。全責任を負う者が決定するのが当然である。(「一倉定の社長学 第1巻 経営戦略」)>

<電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。(中略)「社長の責任において決定する」という意味は「結果に対する責任は社長が負う」という意味である。

それだけではない。「社長が知らないうちに起ったこと」でもすべて社長の責任なのだ。会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責任はすべて社長がとらなければならないのだ。「一倉定の社長学 第6巻 内部体勢の確立」)>

一倉定思想の原点

では、なぜ氏は、こういった思想に辿り着いたのだろうか。それは、氏の調達部門や生産部門の経験にあったのだった。

氏はかつてトーハツ(東京発電機)に勤めていた。そこからのエピソードを抽出してみよう。

<資材管理責任者として、蜂の巣をつついたような混乱状態にあった外注・購買業務を完全に軌道にのせた。従来の追番管理方式に私のくふうを加えて、素朴なまでの簡素化を行ない、完璧に近い進度管理が、ごく少人数でできるようになり、在庫は大幅な減少をみて、倉庫はガラガラになりながら、欠品はほとんどなくなってしまったのである。この方式は、いままで幾つもの会社に導入されて、目を見はるような効果をあげている。「一倉追番管理方式」としてうぬぼれている独特のものである。

下請企業で、生産が上がり、外注・購買が円滑に行われれば文句はないはずである。(「社長学」)>

しかし、どうなったか。<会社はつぶれてしまったのである。それらの合理化には、会社の倒産を防ぐ力は全然なかったのである。この体験から私の胸の中には、経営学に対する疑問が、ハッキリした形をとって広がってきたのである。(同上)>

つまり、こういうことだろう、と私は思う。氏は、資材管理者として奮闘してきた(また、このエピソードには書かれていないが、プロフィールにあるとおり生産技術も担当してきた)。ただ、その凄い成果も、会社を変えるにはいたらなかった。通常、各部門のがんばりや成果が会社再建につながるとされるものの、現実的にはもっと上位概念で決まるというリアルを氏はつぶさに見た。なにせ、氏は<私がつとめた四社が全部つぶれてしまっている(「経営の思いがけないコツ」)>のだから、その印象は強烈だったに違いない。

氏は、そのあと<生産技術というものは、黒字会社の生産性向上に大きな威力を発揮することは、自らの体験で知っていたのだが、その生産技術も、赤字会社の再建には何の役にも立たないことを、その再建過程で知ったからである。(同上)>と語る。

それにしても、氏の社長以外の業務について、ミもフタもない書きっぷりは清々しいというか笑ってしまうほどだ。

<工程管理でできることは、ただ一つしかない。それは、「仕事の進みすぎや遅れを少なくすること」だけであり、それ以外は何もできないのだ。(「社長学」)><能力病が会社をつぶす>といった調子だ。ただそれは繰り返すと、氏の強烈な経験からきたのは事実だろう。

ところで、私は調達・購買関係のコンサルタントをやっている。その私に「調達・購買が変わったって、会社は再建できない。それは会社の構造を変えるものではない」といわれたらどう答えるだろうか。個人的には、「そうかもしれませんし、そうではない場合もあるでしょう」というしかない。

もちろん誰だって自ら関わっている仕事を進んで否定しないものだし、一般化しにくい問題でもある。ただ、自分がやっている仕事はもしかすると意味がないのではないか、と問う冷静さは常にあってよい。その意味でも、氏のミもフタもない意見は、常に私のなかにあらねばならないだろう。

おそらく、氏は反逆のひとだったのだと思う。

製造業の現場にずっといた事実は、私に信頼感をあたえる。これは私の趣味にほかならないからさして根拠はない。ただ、現場の混乱と混沌と不合理のなかで、実際に油と汗にまみれてきた。金融や会計等分野の出身コンサルタントとは必然的に毛色が異なる。

その混乱と混沌と不合理にあて、実際に会社を良くするためにはどうすればいいのか。建前や綺麗事ぬきの真実はどこにあるのか。

そういった意味で、氏は反逆者にならざるをえなかったはずだ。完璧な現場主義は、教科書のみを使おうとすると、その教科書の限界にぶち当たる。そして、教科書を信じていればいるほど、その夢から醒めたときの落胆は大きくなる。その後、異なる現実に気づく。

それは、教えから、違う教えに移行しただけかもしれないものの――、事実、氏は自分の知識を一倉"教"と表現していたではないか――、一人にとっては大きなパラダイムシフトであるには違いない。

トップの動きがすべてを決める

氏は講義にやってきた受講生にたいしてチョークを投げたり、ひっぱたくほどの<熱血>講師だった。そして、社長業専門コンサルタントとして、つねに社長に地べたを這いずりまわることを勧めた。

<いい会社とか悪い会社とかはない。 あるのは、いい社長と悪い社長である。(一倉定の社長学 第9巻 「新・社長の姿勢」)>と述べ、社長へ重課主義ともいうべき、徹底した働きを求めた。

また、社長というのは、新規事業について部下のアイディアを論評する立場ではない。

<社員にまかせても良いような 新事業は、はじめから 「わが社の将来の収益」など 期待できない>し、<新事業というものは、第一に、社長自ら身を挺してやるものだ。 世の中の社長の中には、新事業に自らはたずさわろうとせず、他人まかせにする人がかなりいる。 難しい新事業は他人に任せ、自らは永年手慣れた事業の方をみている。やさしい方を自分がやり、難しい方を他人にまかせるとは、いったい、どういう了見なのだろうか。成功など夢の夢である(一倉定の社長学 第4巻 「新事業・新商品開発」)>と厳しい。

外部環境のせいにするな、すべては経営者の責任だ、が口癖で、<値段を値切られるのは、 値切られるほうが悪い。(中略)お客様に少しでも恨み心がでたら、もう、そのお得意先に誠意をつくすことはできないのだ。(「経営の思いがけないコツ」)>とまで断言する。

なぜ、氏はここまで徹底したトップの姿勢を進言したのだろうか。今回、氏の自伝的記事を書くにあたって、氏が発表している講義録や書籍にほぼ目(耳)を通した。すると、氏がこのような思想にいたったのは、調達部門での挫折と、そして勤務企業の倒産にあった。調達部門での挫折は前回もふれた。つまり、部門が改善できたとしても、全体の斜陽には、なすすべもなかったというのだ。外注管理と倉庫管理がうまくいっても、結局は商品が売れずにダメになった。

氏は、部門最適と、部門のプロフェッショナリズムが、必ずしも全体最適につながらない"真実"を経験から多く記述している。

<設計技術者は、マーケット・プライスも知らずに、性能やデザインに強い関心を示し、高原価になることなど考えようとはしない。 IEマンは作業改善の効果を過大評価して自己満足に陥ちいり、検査マンはコストはかまわぬ常識外れの厳重な外観検査に熱中して、責任を果たしていると思いこんでいる。 経理マンは、経営に役立つ前向きの会計データをつくることには興味を示さず、伝票式会計から、会計機の使用が合理化だときめこんでいる。(雑誌「産業訓練」1966年11月号)>し、

<事業の繁栄よりも自己の領域をひろげることに浮き身をやつし、デミング賞をもらって倒産し、合理化モデル工場が不渡手形を出すという事態をひきおこすのである。(雑誌「産業訓練」1966年5月号)>と皮肉も忘れない。

かつて自身が属した調達部門への苦言も多々ある。

<コスト・ダウンの場合には、先きに述べたとおり常に"これだけ下げる"という計画をたて、実現に努力し、達成したらさらに"これだけ"というステップを踏むことが大切で、"できるだけ下げる"というのでは、いくら下がっても下がらなくても、「これでできるだけ下げたのだ」という結果になってしまう。 "できるだけ"主義でなく"これだけ"主義でいくのが本当であって、"これだけ"のくり返しが"できるだけ"になるのである。(「あなたの会社は原価計算で損をする」)>

氏は、そもそもトーハツ(東京発電機)の下請企業に勤めていた。そこで、生産部門がどんなにがんばっても、結局は商品の魅力がなかった、と氏は語る。垢抜けないデザインで、ヤマハ、ホンダなどにシェアを奪われ、売上が短期間で半減した。給料も減り、なすすべもなく、おののくことしかできなかった。そして、次に働いたところも、経営陣は理屈はよく知っているのだが、資金繰りに窮してまたしても潰れた。

前述のとおり、なんと、氏は勤めていた4社がすべて倒産してしまう(!)という稀有な経験をしている。理屈と現実のギャップを骨身にしみて理解したのは間違いない。

そして、その経験ののちに、コンサルティング会社に入社する。が、その幹部連中は、会社の倒産などに関心がなく、常にこまやかな生産性向上に時間を費やすだけだった。私は、生産性向上活動を否定するものではなく、むしろ必要な行動だとは思う。ただ、一倉氏のような修羅場をくぐりつづけてきた猛者からすると、不毛な行動に映ったのだろう。「そんなことをしても、結局、何にもならない」と。

そして氏が得た結論が、お客様第一優先主義だった。

<私は、夢中になって「事業経営とは何か」に焦点を合わせて勉強した。最も参考になったのは、現実の会社と、経営者の経営哲学や行動であった。 それらの勉強から、やっと分かったことは、「事業とは市場活動である」ということだった。「経営の思いがけないコツ」)>

快進撃と鬼

氏はそこから当時としては斬新な著作を生み出していく。「マネジメントへの挑戦」は氏の思想を集結した書籍だった。もちろん、書かれていることは現代的にはさほど驚きはないが、どこを切っても血が溢れそうな熱意が感じられるのだ。「序にかえて」からその傾向が感じられるだろう。

<これは挑戦の書であり、反逆の書である。ドロドロによごれた現実のなかで、汗と油とドロにまみれながら、真実を求めて苦しみもがいてきた一個の人間の、"きれい事のマネジメント論"への抗議なのである。 何も知らない一個の人間が、けんめいにマネジメントを学び、これを実務のうえに具現しようとした。しかし、マネジメント論に忠実であろうとすればするほど、現実との遊離が大きくなっていくのである。(「マネジメントへの挑戦」)>

氏はドラッカーとランチェスターを学び、そして日本流に修正をくわえて世に問うた。その修正の方法とは、ドラッカーやランチェスターを正としながらも、しかし理屈だけでは上手くいかぬ現実を、社長業一点にしぼり力技で突破しようとしたのだ。

氏はきっと理屈を愛しながら、圧倒的な現実の苦悩にもがいていたのだと思う。こういうと生前の氏から怒られるかもしれないが、その溝を埋めるために、やむなく自身に鬼の仮面をかぶせて指導「せざるをえなかった」のではないか。そして、それを繰り返しているうちに、その鬼は、自身にまとわりつき、そして一体化してしまった。精神が実存を創るのではなく、実存(鬼のフリ)が精神(氏の思想)までを変容させてしまったのではないか、と。

鬼の面は、氏に自信と確信を与えたに違いない。そして、ひとは断言するひとについてゆく。私は氏の経営指導のあり方に賛同し尊敬するものだ。ただし、この鬼のモビルスーツには、ある種の危うさがつきまとう。その確信は、ひとを引き返せぬ立場にすら追い込む。

鬼と失墜

氏は経営コンサルタントとして絶頂のときに体を患っている。表現を借りるならば「私の体はガタガタに崩れて病気の問屋のようになってしまった」ようで、糖尿病寸前、十二指腸かいよう、大腸カタル、肝臓不調、コレステロール高、中性脂肪過多に陥った。

そこから氏は独自の確信をもって、食事療法に傾倒していく。病気とは体調不良の重くなったものと捉え、自然治癒力向上に勤しんだ。

氏は食事療法についての書籍を上梓している。これまた失礼を承知で申し上げれば、私は同一人物が書いたものとは思えなかったほどだ。どう考えても経歴が同じなのに、同姓同名の、かつ同じ経歴のひとがいたのではないかと真剣に疑ってしまったほどだ。

「正食と人体」には、次のような記述がある。

<自然治癒力にすべてを任せる--つまり神のご意志に従えばよい(中略)自分の好みの塩味で食べたいだけ食べる(中略)塩分をとり過ぎることは不可能である(中略)”塩とって目覚め爽やか今朝の空”という気分を味わうことになる。寝起きが悪いのは塩分不足の証拠である。決して体質ではない。(中略)だいたい朝の通勤に一時間や二時間立ちっ放しで、押し合いへし合いをして疲れてしまうなんてのがどうかしているのだ。塩分十分ならば、こんなことは絶対にありえないことである。過労死なんてのは典型的な塩分不足で、塩分十分ならば、過労死したくとも、その望みは絶対にかなえることはできない。>

どうだろうか。私は食事療法の専門家ではないし、さまざまな健康法があるので、否定しない。ただ、そのような門外漢、半可通の私からしても、素直に受け入れられない。氏は覚悟をもって発言しただろうが、「過労死なんてのは典型的な塩分不足で、塩分十分ならば、過労死したくとも、その望みは絶対にかなえることはできない」と最後の一文を私なら語る気にはなれない。

私は関係者の証言を聞いたが、どうも晩年には、醤油を一気飲みなさる様子も見られたという。

氏は鬼の面から自信と確信を受け取ったのではないか、と私は述べた。氏の初期作品を読むと、当時の管理会計の世界では間違いなく革新的なひとだったし、そのマネジメント論も独創的だった。とくに管理会計では、全部原価計算の危うさを明確に説き、直接原価計算による緻密なコストマネジメントを伝播させた。

その論理と理論のひとだった氏が、社長業コンサルタントとしてやや精神面に走り、そしてのちにはややオカルティックな食に傾倒していく--。これが私には興味深く、そしてさまざまな感情を沸き上がらせるのである。

氏の言説はいまだに意味がある。現代の私たちも学ぶべきところばかりだ。しかし、氏から学べるのは、絶頂期の発言のみならず、氏の人生そのものではないかと私は思う。