アップル市場に真の勝者は生まれるのか?

いよいよ本日、iPhone6sが発売となった。行き交うニュースからは、かつてソフトバンクが独占的にiPhoneの総販売代理店であった時代はとうに忘却の彼方へと過ぎ去り、ドコモauを交えた3キャリアと、そしてアップル自身が発売するsimフリー版iPhoneが4つ巴となって販売競争をするという、各社の思惑が入り組んだ不可思議な状況が見え隠れする。果たしてこれからの時代、アップル製品のさらなる普及が進むとして、果たしてアップル自身を除く関係企業の中からビジネスでの勝者は生まれ得るのか? といった漠然とした疑問は業界関係者のみならずユーザー巻き込んでゆっくりと広がっている。

東レがアップルの総輸元だった事実

アップル製品の国内販売権を巡って日本企業が争奪戦を繰り広げたのは、今に始まった事ではない。1980年に、かつては重鎮繊維メーカーの”東レ”がアップル製品の総輸入元をやっていたことがある。

振り返ればヒット商品であっても、未知な新製品の初ローンチ時に胴元がとるリスクは小さくない。iPhoneの例で言えば、フィーチャーフォンにおいて全方位サービスを提供していたドコモ、auに対抗して、ソフトバンクが自らの店頭で当時は決して一般での認知が高いとは言えなかったiPhoneの修理受付から交換までを執り行っていたことは記憶に古くない。そのトレーニングコストからiPhoneのブランディングコストにいたるまで体制をつくるためにソフトバンクが負担した初期コストは決して小さくなかったにちがいない。

輸入元のリスクとコスト

総輸入元の情報を記した日本語のラベルを付加した海外製品が店頭に並んでいるケースが食料品店などでもよくある。この総輸入元が負うことになるその製品の品質保証と責任範囲は製造物責任法において定められているが、それ以上に日本は「看板」が見られる国である。海外の知名度のない製品に関するリスクを日本企業が代わりに大きくとることで「安心してください」と担ぎあげるのである。iPhone以前にも数多くのアップル製品が、幾度も日本企業に「かつぎあげ」られて認知を獲得してきた。意外に知られざるその一つの例としては、三井系の合繊メーカーである重鎮企業「東レ」が1980年に、当時は無名のベンチャー企業だったApple製品にのれん貸しを行っていたという事実がある。

繊維メーカーが輸入元となった経緯

どんな時代にも「景気の波」があり、そのぶん企業にも「転換期」が訪れる。

構造不況の真っただ中にあった東レは「脱繊維」を掲げ、ビデオテープ、フロッピーディスクなど新素材と呼ばれる分野への参入を模索している最中にアップルIIと出会う。そして1980年6月、電撃的に東レが総代理店契約締結を発表した。アップルが創業して3年が経過した頃のことである。このとき、明文化されることは決してなかったが当時の東レの関係者での暗黙の了解があった。それは、この事業の目的が「アップル製品の製造権の獲得」にあったことだ。

急成長する西海岸のベンチャーと、彼らにのれん貸しをすることで製造権を手に入れようとした旧財閥の重鎮企業。この二者は、蜜月の際の双方の思惑とは裏腹に、時間を経過するにつれ急旋回をし、紆余曲折の結果として、誰も望まざる「アップルジャパンKK」が設立されることになるのだ。(つづく)

1980年7月2日の両社の歴史的提携発表用に東レが用意した「純白」のジャケット。
1980年7月2日の両社の歴史的提携発表用に東レが用意した「純白」のジャケット。
写真2 翌日の日経新聞の記事。アップルの認知度が低いため、その扱いは極めて小さい
写真2 翌日の日経新聞の記事。アップルの認知度が低いため、その扱いは極めて小さい
東レが開設した「東レアップルアカデミー」という名のスクールのロゴ。
東レが開設した「東レアップルアカデミー」という名のスクールのロゴ。