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独身なのにママ役続きでCM6本。「味ぽん」ほか笑顔溢れる野村麻純が笑えなかった20代に乗り越えたこと

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/S.K.

ムロツヨシと夫婦役のミツカン「味ぽん」から最近よく流れる「アメリカン・エキスプレス」まで、CM契約が6本となった女優・野村麻純。本人は独身の31歳ながら、CMでは子どもがいるママ役がほとんど。そして、溢れる笑顔が印象的だ。デビューから11年、20代後半には行き詰まりも感じたが、30代になって見えてきたものがあるという。

「地元の友だちに似てる」とよく言われます

――ミツカン「味ぽん」のCMは2019年からのシリーズで、結構長くなりました。

野村 そんなにやっていたんですね。CMはだいたいオーディションがあって、「味ぽん」のときは唐揚げを食べて「あっ、おいしい!」と思っていたら、受かった感じでした。

――しゃぶしゃぶ篇でも目を細めておいしそうな表情を見せています。

野村 普通に食べていたら、そうなりました。毎回撮影が決まると「またおいしいものが食べられる!」と思って、喜んで行きます。私はお肉も野菜も好きなので、何カットでも食べられて(笑)。

――ムロツヨシさん、子役の宝辺花帆美さんとの撮影現場も、回を重ねただけに和やかですか?

野村 和気あいあいとおしゃべりしています。おいしそうなものがたくさん並んでいると、みんな自然と笑顔になりますね。

――他のCMでも、子どもがいるママの役が多いですね。

野村 そうなんです。驚くことに。私自身は結婚してないし、子どももいないんですけど、気がついたら妻やお母さんの役がほとんどでした。

――自分でもそういう役がハマると?

野村 全然思いません。ただ、仕事の現場で「地元の友だちに似ている」とか「高校の同級生で似ている子がいた」とか言われることが、すっごく多くて! 私はどこにでもいる感じなんだなと(笑)。でも、それが親近感に繋がって、子どもがいる役やパートナーの役が多いのかなと、最近ちょっと自己分析しました。

現場で子どもと遊んでいると愛しさが湧きます

――中国電力のドラマ仕立てのWeb動画でも、小さな娘を着替えさせたり、ママ感がナチュラルに出ています。

野村 子育てをしたことはありませんが、現場で子どもを抱っこしたり、一緒に遊ぶのは大好きです。あの撮影のときも、カメラが回ってないところでもずっとお話したり、DVDを観たりしていました。

――子役の佐藤恋和さんもママ大好きぶりを出していましたが、野村さんも娘への愛が滲み出る感じでした。

野村 いやもう、本当にかわいいと思って、お菓子をこっそり「食べてね」と渡したりしていたので。やっぱり愛しい気持ちは湧いてきますね。

――母性本能が強いんですかね。母娘感を出すために、特に何かしたこともなく?

野村 普通に話していたら、いつの間にか「ママ」と呼んでくれるようになって、嬉しかったです。

――子役との接し方はいつもそんな感じですか?

野村 ドラマや映画だと撮影期間が長いので、仲良くなりすぎると子どもが甘えてしまって、撮影が進まないことがあるんです。だから、距離感に気をつけていますけど、広告の撮影は短いので。もうベロンベロンに甘やかして(笑)、子どもが楽しく撮影できるようにしています。

――「ドクター・ショール」の男の子とも、アイコンタクトを取っていたとか。

野村 現場には本当のお母さんもいらっしゃいますけど、その次に寄り添いたいと思っています。アイコンタクトもしますし、コロナになる前はスキンシップもたくさん取っていました。

妊婦役が続いて行き詰まりを感じて

――野村さん自身も子どもに懐かれるタイプではあるんですか?

野村 懐かれます。本気になって遊んじゃいますから。子どもの頃から年下の子と遊ぶのが好きで、自分のほうが勢い余って鼻血を出したりしていました(笑)。

――「アメリカン・エキスプレス」のCMのような幼い子でも、そこは変わらず?

野村 最初はグズってましたけど、抱っこしたりしていたら、嫌がられてはいなかったですね。

――ドラマでも若い頃から、『49』などで子どもを産む役を演じていました。

野村 デビュー2作目の『11人もいる!』から、ヤンキーでできちゃった結婚をする役でした。そこから妊婦さんの役と、女子には嫌われるけど男子にはどこか刺さる役が多かったです。

――そういう役が得意になったわけですか?

野村 20代の頃は妊婦役が続いて、ずっとお腹が大きい状態か、明るく騒いでいる役のどちらかばかりだったんです。でも、全然得意ではありませんでした。「もっと明るくして」とか「大げさにわかりやすく」と言われるのが苦しくて、むしろ自分の中で行き詰まっていて。このままだと役の幅が広がらない。もっと抑えた芝居や複雑な心を表現したい。そういう気持ちが膨れ上がって、芝居について真剣に考える機会にもなったんです。ワークショップに参加したり、事務所で台本の読み合わせをしていました。

――出演作の直接の準備と並行して。

野村 20代後半は自分の底上げの時期と決めていたんです。避けたいことにも向き合って、突き詰めていったら、明るい役や妊婦を演じる喜びも感じるようになりました。30代に入ると自分の中で役の肉付けも変わって、いろいろなことが純粋に楽しくなっています。

ガハガハ笑うとお母さんらしくないなと

――CMではどれも、野村さんの笑顔が印象に残ります。それは求められたものですか? 自然に出たもの?

野村 自然には出ません。でも、笑顔って意識しすぎると引きつったりするので、難しくて。広告では自分らしさが出るのはいいと思うんです。でも、普段の私はガハガハ笑うので、お母さんの笑い方ではないなと。抑揚に気をつけて、ちょっと抑えたりもしています。

――カメラの前で笑うことを避けていた時期もあったそうですが、それがさっき出た20代の頃ですか?

野村 はい。笑う役に自分が追い付けなかったし、人に言われたことを全部気にしていたんです。正解がわからず、どうしたらいいのか……というところで、笑えなくなっていました。今は対応できるようになってきましたけど。

――山口紗弥加さんと共演の日産「DAYZ」CMでは、2人ではしゃいで笑っていました。

野村 仲の良い友だちのイメージで、私は紗弥加さんを盛り上げようと、いかに2人で楽しく過ごせるかを考えていました。

――実際に会話しながら撮っていて?

野村 ずっとおしゃべりしていました。撮影前に紗弥加さんが、手作りのとうもろこしの炊き込みごはんを持ってきてくださって。それがおいしくて、心をガッチリ掴まれたんです。「ついていきます!」って感じでした(笑)。

――最初の竹林のシーンから弾んでいる感じですね。

野村 でも、あそこは短い距離を何往復もしているうちに、話すことがなくなってしまいました。同じことしか言えなくなって、もっと先輩から引き出さないといけないのに、私はボキャブラリーもネタもまだまだだなと。完成したCMでは、紗弥加さんが満面の笑みでいてくださったので、良かったです。

コンプレックスだった声が「応援に向く」と

――去年放送されたキリンの「あつまれ!応援スタジアム編」のCMでは、サッカー日本代表への応援を呼び掛けるナレーションを担当しました。

野村 声が高いのはコンプレックスだったんです。以前、ボイストレーニングの先生に「あなたの声は人を不快にさせる。お腹から出して、もっとシャキッと話しなさい」と言われて。だから、20代はどんな役でも声を低くしていました。明るい役でもそうだったから、「もっと明るく」と言われていたんです。そこも自分の中でジレンマがあって、うまくいかなくて。

――20代後半は悩みが多かったんですね。

野村 年齢を重ねて、無理に声を低くするほうが不自然だと、やっと気づきました。これが自分の声だし、ありのままでいいかなと思えるようになって、昔ほど嫌悪感を抱かなくなりました。

――キリンのCMの「今こそ応援しよう」といったナレーションは、どんなトーンで言ったんですか?

野村 録る前に、どうして私を選んでくださったのか聞いたら、「応援に向いている声だから」と言ってくださって。それが嬉しくて、本当に応援する気持ちをこめて言っただけでした。

妻で母でも自立した女性をイメージしてます

――他に今までのCM撮影で印象深いことはありますか?

野村 どの広告でも、妻であり母ではあっても、自立した女性像をイメージしました。たぶん作り手側の皆さんも意識しているし、演じる私もそこはブレずに参加することは一貫していたかもしれません。積極的で快活だったりということですけど、CMの短い時間の中で、それが伝わればいいなと。

――「アメリカン・エキスプレス」では、夫に「まだ時間あるから、お義父さんと温泉入ってきたら」という台詞もありました。

野村 あれはなかなか私だと気づかないですよね(笑)。あのCMは父と息子の話で、私は寄り添う役割だと思っていました。

――今はもう、自分の出ているCMが不意にテレビから流れても、そんなに反応しませんか?

野村 驚きはしません。「今これが流れているんだ」という感じです。最初の頃は「わっ、本当に流れてる!」って、マネージャーさんに連絡してましたけど。ただ、出演しているCMが6本と聞いて「そんなに?」と驚きました。オーディションと名のつくものはすべて受けて、コツコツやってきたことがひとつずつ実を結んでいる感じで嬉しいです。

卒業前の決心を裏切れなくて続けてきました

――改めて野村さんのバックグラウンドについてうかがうと、短大を卒業する前に思い立って、事務所のオーディションを受けたんですよね?

野村 そうです。私はひとりっ子で、ずーっとテレビを観てドラマに育てられてきたようなものなので、女優に憧れはすごくありました。短大では童話や絵本の創作を専攻して、自分で何かを作る仕事に就きたいと思っていて。

――ベンチャーの広告代理店への就職が内定していたとか。

野村 そこでコピーライターになれたらいいなと。でも、人生は1回だし、自分自身で表現をしてみようと、事務所のオーディションを半年かけて受けました。会社に内定をお断りする電話は震えながらしましたけど、そのときの自分の決心を裏切れない想いはずっとあって。だから「女優に向いてない」とか「もう辞めたほうがいい」と思うことはあっても、そこで負けるわけにはいかなくて、ここまで来た感じがします。

――「ドラマに育てられてきた」というと、どんな作品に影響を受けたんですか?

野村 『聖者の行進』、『オヤジぃ。』、『末っ子長男姉三人』とか観ていました。竹内結子さんの『ランチの女王』は大好きです。主題歌の『Joy To The World』はいまだにテンションを上げたいときに聴いていて。エンディングで竹内さんが学校の教室で給食を食べている映像も、ずっと頭に残っています。

「代わりはいくらでもいる」と言われて大泣きして

――事務所のオーディションを受ける前は、演技をしたことはあったんですか?

野村 小学校の合唱部で、ミュージカルみたいなことをしたくらいでした。

――それでもオーディションの演技テストでは、三姉妹の話を「1人3役できます」と言ったとの逸話を聞きました。

野村 3役やりました。だって、私は女優になると決断した身だから、絶対に落ちるわけにはいかなかったんです。気合いも入っていたし、根拠のない自信もあって、「やるしかない!」という。でも、仕事を始めてから、自分のお芝居のヘタさ加減にすぐつまずきました。

――これまでの出演作で、自分にとって大きかったものというと?

野村 ある作品で監督に「そんな芝居をするなら、お前の代わりはいくらでもいる」と言われて、帰りの車でギャン泣きしました。それから萎縮してしまって、毎回怖くて仕方なくて。明るい元気な役だったのに、声が上ずってしまった記憶があります。

――それがバネになったりもしました?

野村 心の中では燃えますよね。そういう芝居はしないようにと思いながら、やってきたところはあります。私は怒られたことを忘れられない性格で、何年前のことも全部覚えています。「私はダメだ」と思っていたのが、8年とかすごく長い時間をかけて、ようやく乗り越えたと感じられました。

――連ドラのスピンオフの配信ドラマ『25歳イマドキ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』では主演を務めました。

野村 あれは2日で撮って、台本も撮影2日前に届いたんです。1日で台詞もモノローグも全部覚えないといけなくて、必死だった思い出しかありません。地上波では言わないような言葉がたくさんあって、メイクや衣装も普段の私と違う雰囲気で、チャレンジさせてもらえたのは楽しかったです。

韓国ドラマのお芝居を手掛かりにします

――YouTubeラジオでは『二十五、二十一』の話をしていましたが、普段は韓国ドラマをよく観るんですか?

野村 海外ドラマが好きです。日本のドラマも観ますけど、どうしても仕事感覚で勉強にしてしまう面が多くて。小・中学生の頃に純粋な気持ちで楽しんでいたのとは、違ってしまうんです。海外ドラマだと、あの頃のような感覚で観られます。

――とはいえ、海外ドラマを観て、女優として刺激を受けることもありませんか?

野村 ありますね。「どういうアプローチをしたら、こんな感情になるんだろう」とかすごく考えますし、いいなと思ったシーンはメモして何回も観ます。

――韓国の女優さんは感情表現が豊かだと、よく言われます。

野村 それは感じます。心情をていねいに描いた作品が多いこともありますけど、「そんなに目が血走る?」というくらい顔を紅潮させたり、泣き方もいっぱいあったり。自分が芝居するときも、手掛かりにしています。

――趣味は美術館巡りとか読書とか、文化的なようで。

野村 あとは散歩とか、1人で楽しめる趣味が多いですね。読書だと日本の本も読みますけど、韓国文学は本当に質が高くて。

――ブログではナイジェリアの作家の短編集にも触れていました。

野村 いろいろな世界を知りたくて、違う国の人でもものの感じ方は似てると思うこともあります。いつも本屋さんに行ってパラパラめくって、「ちょっと読んでみようかな」となる感じです。ドラマもそうですけど、あらすじを知って読むのは好きでなくて、自分の直感を信じます。

頼ってもらえる役者になりたいです

――今はどんな女優像を目指しているんですか?

野村 何を目指していいかわからなくなった時期がありましたけど、作品ごとに自分の役割を見つけるようにしたら、すごく楽になりました。アメックス(アメリカン・エキスプレス)のCMのように画面に映っているのかわからないシチュエーションでも、寄り添う役割を自分で見つけたり。現場で自分の役割をまっとうできれば、何があってもブレないと、30代になってやっとわかったんです。

――わりと最近ですね。

野村 ここ数年で明確になりました。たぶん誰かにそう言われても、聞き流していたと思うんです。自分で見つけられたからこそ、どんな役でも面白がれる自信があって。いろいろな経験をしてきたので、何かあったら頼ってもらえる役者になりたいです。

――頼られる役者。いい言葉ですね。

野村 20代はアップアップでしたけど、自分に余裕がないと人に頼ってもらえませんよね。とことん準備して、できることは全部やって現場に行って、余裕を持てるようにしたいと思っています。

――CM出演が増えたことは、自信になっているのでは?

野村 昔はオーディションは落ちるものだと思っていて、受かる人はいるのかなと。心が荒んで、本当は決まっているのに形だけオーディションをしているんだと、思っていた時期もありました(笑)。でも、自分がCMに続けて受かって、ちゃんと見てくれている人がいるのを実感できました。

――笑顔とか自分の強みも見えてきて?

野村 それを良いと言ってくださる方が多いので、「見つけてくださってありがとう」という感じです。

撮影/S.K.

Profile

野村麻純(のむら・ますみ)

1990年10月10日生まれ、鹿児島県出身。

2011年にドラマ『華和家の四姉妹』でデビュー。主な出演作はドラマ『11人もいる!』、『リッチマン、プアウーマン』、『49』、『とと姉ちゃん』、『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』、映画『空白』、『POP!』など。ミツカン「味ぽん」、「ドクター・ショール」、日産「DAYZ」、アメリカン・エキスプレス「やっと会えた篇」CM、中国電力「家族をつなぐ、光でありたい。」Web動画などに出演。

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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