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ウクライナ情勢が影響し、この世界の現実と重なる作品がアカデミー賞の結果も左右するか

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『ベルファスト』(C )2021 Focus Features, LLC.

アカデミー賞は、もちろん優れた作品、映画人に賞を送ることが前提だが、「時代の空気」が反映されるものでもある。そもそも作品や演技の優劣など個人の主観に頼っているわけで、しかも投票するのが同業の人たちであることから、毎回、その時点の「ムード」「流れ」が賞の行方を大きく左右することになる。

賞を決めるアカデミー会員は、おそらく現在、作品賞ノミネートの作品の中で観逃しているものをチェックしているはずである。メインの作品賞への投票資格は全会員が持っており、最終の投票締切は授賞式(現地時間3/27)の5日前なので、まだ悩む時間は十分にある。

今年は作品賞に『ドライブ・マイ・カー』がノミネートされ、日本でも受賞の行方に注目が集まっている。同作には確かに「勢い」「流れ」がある。賞レースが始まる頃、『ドライブ・マイ・カー』が作品賞ノミネートなどと予想する人はほとんどいなかった。それが各批評家賞などを受賞して、この位置にたどりついたわけである。ただ2年前の『パラサイト 半地下の家族』に比べると、そこまでの勢いとは言い難い。

では今年の作品賞は、どんな状況なのか。例年以上に本命の一作がなかなか定まらない様相を呈しているが、ここへきて、その行方はさらに混沌としてきた感もある。

一応、少し前までのトップランナーを挙げるなら『パワー・オブ・ザ・ドッグ』だった。ノミネート数でも今年最多の「12」を記録。2番手の『DUNE/デューン 砂の惑星』の「10」を引き離している印象。しかし重要な前哨戦の全米映画俳優組合賞(SAG)の最高賞であるキャスト賞を『コーダ あいのうた』が受賞。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』はこのキャスト賞にノミネートの時点で外れていたとはいえ、アカデミーと最も会員の数がかぶるSAGで『コーダ』が受賞したインパクトは大きかった。

この結果は投票者の心理を刺激することだろう。ただ、『コーダ』は、2014年のフランス映画『エール!』のリメイクという点が、アカデミー賞作品賞にふさわしいかどうか。その点がややハンデになっている。

そして今、世界的なトピックは、新型コロナウイルスから、ロシアのウクライナ侵攻に移っている。現在の状況がこのまま続けば、あるいは何らかの解決が見られたとしても、明らかにアカデミー賞授賞式のスピーチなどに大きく反映されるのは間違いない。

そしてこの世界情勢は、多少なりともアカデミー賞への投票への心理にも影響を与えるだろう。

そう考えると、ノミネート10本の中から浮上してくるのが『ベルファスト』だ。世界の危機に対する政治家の判断を、シニカルに描いた『ドント・ルック・アップ』もあるが、もともとコメディなので作品賞受賞には不利な作品。

『ベルファスト』は、アカデミー賞へ向けての重要な前哨戦である、トロント国際映画祭の観客賞を受賞。早くから作品賞の本命のひとつとされてきた。現在に至るまで、予想では『パワー・オブ・ザ・ドッグ』に次いで、2〜4番手あたりをつねにキープしている。

そこへきて、ロシアのウクライナ侵攻である。

『ベルファスト』は、1969年の北アイルランド、ベルファストで暮らす、ひとつの家族を中心にしたドラマ。キーポイントとなるのは、プロテスタント系の武装集団が、街のカトリック系住民へ攻撃を仕掛けてくる「分断」だ。ケネス・ブラナー監督の自伝的要素も入れ込まれながら、9歳の少年バディの目線で、この混沌とした日常が描かれていく。

劇中では、ベルファストの街で、武器を手にした住民たちの激しい闘いも展開される。そしてバディの家族が、生まれ故郷であるベルファストを出て行かなくてはならない状況も生まれる。ニュースなどでウクライナから逃れる人々の映像を見せつけられている今この瞬間、『ベルファスト』で街が紛争の場と化す光景、人々の分断、幼い少年と家族の運命、そして生まれ育った場所への思いは、否が応でも現実と重なってしまう。

アカデミー賞作品賞が「時代」を反映するということなら、ジェンダーや多様性へのアピール(『パワー・オブ・ザ・ドッグ』)、さまざまな分断に対する普遍的メッセージ(『ウエスト・サイド・ストーリー』)、コロナ禍で失われた人と人のつながり、別れ、そこからの回復への希望(『ドライブ・マイ・カー』)……と、ある程度、強引にテーマを重ねられる映画を、今年の作品賞ノミネートから見出すことができる。

そうした中で、目の前の戦争の状況を前にして、『ベルファスト』に心を動かされる人は多いに違いない。もともと劇中には「映画」に絡んだエピソードも多く盛り込まれ、映画人に愛される要素は濃厚で、そこもアカデミー賞では有利。今年の作品賞に輝くのは、はたして今の時代に色濃く通じる一本になるのか……。

第94回アカデミー賞授賞式は、3月27日(日本時間28日)に開催される。

『ベルファスト』

3月25日(金)、TOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイント他にて全国公開

配給:パルコ ユニバーサル映画

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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