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少年兵の実態。これはフィクションか、ほぼ現実か? 監督のコントロールも超えた世界で…

斉藤博昭映画ジャーナリスト
「猿」と呼ばれる少年兵たち。コロンビアの内戦は彼らにどんな未来を導くのか…

2021年もミャンマー、アフガニスタンのニュースが頻繁に流れているように、世界のどこかの国での内戦は日常風景になってしまった。その内戦という意味で、長年、混乱が続いているのが、南米コロンビアだ。

映画『MONOS 猿と呼ばれし者たち』は、50年以上も内戦が続いたコロンビアの状況をベースにした衝撃作。米映画サイトのロッテントマトでも、批評家92%、観客85%(10/25現在)という高ポイントを記録し、ギレルモ・デル・トロ監督らが大絶賛している。なぜ衝撃かというと、メインキャラクターの8人の兵士たちが、少年・少女だからだ。

山岳地帯でゲリラ組織の若者たちが、人質を監視する役目を担っている……。

内戦のコロンビアでは、反政府武装組織が誕生。最大規模の「FARC」は、1万7000人もの戦闘員を擁した時期があったという。2016年、コロンビア政府とFARCが和平を最終合意したことで、サントス前大統領はノーベル平和賞を受賞した。しかし国内の混乱は、そう簡単には収まらない。この『MONOS』には、FARCの元戦闘員も出演していたりして、極限下でティーンエイジャーの兵士たちがどんな関係を持ち、どんな決断を迫られるのかが、生々しく描かれていく。

内戦が続く国では、こんな事態になるのかと呆然…

監督を務めたのは、ブラジル出身で、エクアドル人の父と、コロンビア人の母を持つ、アレハンドロ・ランデス。「究極の主観性をもって描いた」と彼は語る。この場合の主観性とは、自身の目でキャッチした世界。つまり、この『MONOS』はコロンビアの現実を伝えているということ。そう考えながら観ると、背筋も凍る瞬間が何度も訪れる。

「コロンビアの内戦、その影の部分を何十年も見てきているので、それが本作を撮るモチベーションになったのは事実です。ただ、この内戦では、ゲリラ側にイスラエル軍やベトコン、シリア軍、IRAからの援助があり、一方で政府にはアメリカのバックアップがあったりと、決してコロンビアだけの問題ではありません。

 第一次世界大戦の時代から十代の少年たちが戦地に駆り出されてきました。たとえば国の軍隊で戦うのが18歳以上だとすると、そこに対抗する民兵組織やゲリラ組織は、もっと若い年代をリクルートします。それは、コロンビアのような国では間違いなく、現実。そして組織が人質を取る場合、その人質を管理するのが少年兵の役割になります。『MONOS』では、そういう状況を描こうとしました」

MONOSにとって銃は日用品。戦闘の訓練も繰り返される
MONOSにとって銃は日用品。戦闘の訓練も繰り返される

8人の少年兵=MONOS(猿たち)は、アメリカ人博士の人質の監視を任される。

「コロンビアだけでなく、内戦が起こっている場所、アフガニスタンやシリア、イラクでも、アメリカ人のエンジニアや兵士、ヨーロッパの人々が人質に取られやすい現実があるでしょう。そして、この映画のMONOSたちのように軍服を着ていない少年兵が人質に対峙すると、どちらが加害者でどちらが被害者かわからない混沌とした状態になります。サッカーの試合ように、勝敗が決まる戦争映画の方がわかりやすいかもしれません。でも善悪やモラルの境界がグレーとなる世界こそ、私が目指したものです」

ジェンダーの境も消える、心ざわめく効果

その「混沌」という意味で、観ているわれわれを混乱させる要素もある。8人のMONOSの中のランボーというキャラクターは男性という設定だが、演じているのは女性。恋愛感情が漂う描写もあるので、ジェンダー、およびセクシュアリティが曖昧となる印象を与える。このあたりは、じつに現代の映画らしい。監督の意図なのだろうか。

「従来型のオーディションや、ストリートでのスカウト、俳優養成所やワークショップで探したりと、何百人もの子供たちを見てきた結果、ジェンダーは意識しなくなっていきました。その子の精神性、魂に惹きつけられたわけです。ランボー役のソフィア・ブエナベントゥーラの場合は、ある学校のバスケットボールの試合のビデオで発見しました。彼女はなぜか『マット』と、男の子の名前で呼ばれていたんです。

 たとえば1990年代あたりの映画だと、終盤あたりで『じつは女の子でした』『男の子でした』など、性別をはっきりさせるパターンがありましたが、この映画はそうしません。その意味で“ポストジェンダー”と言っていいでしょう。性別やセクシュアリティが役を決定づける要素ではない。それらは、ひとつの要素だという感覚で撮りました」

右から2人目が、ランボー役のソフィア・ブエナベントゥーラ
右から2人目が、ランボー役のソフィア・ブエナベントゥーラ

こうした小さなパートでも観る者の心をざわめかせ、十代の兵士たちが向かっていくその先、つまり映画のクライマックスには、想像を絶する映像も用意されている。

これだけ強烈な印象を残す作品、そのプロセスによって、「映画作りは、新たな自分を見つけ出す作業」というアレハンドロ・ランデス監督は、『MONOS』で何を得たのか。

「この映画を通して私が新たに得たものは、コントロールできない領域に耐えうる力です。キャストにはハリウッド出身者もいれば、それまでカメラを見たことがなかった人もいました。ロケ地は原生林海抜4000m以上の山中で、動物も使いました。そうした状況で、スタイリッシュなビジュアルを狙って撮っています。

 監督というものは、自分の主張を何かに投影し、そこから秩序を作ってコントロールする立場ですが、このような過酷な条件でそれは不可能だったのです。今回の映画には、自然のカオス、撮影のカオスが溢れこんできた感じです。そしてコントロールできないことに耐えられるほど、オリジナルな作品として結実する。それを映画監督として学びました」

映画監督が自身のコントロールを超えた時、何か奇跡が起こるのだと『MONOS 猿と呼ばれし者たち』が証明しているのだろう。

ジャングルの撮影現場でのアレハンドロ・ランデス監督
ジャングルの撮影現場でのアレハンドロ・ランデス監督

『MONOS 猿と呼ばれし者たち』

10月30日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

(c) Stela Cine, Campo, Lemming Film, Pandora, SnowGlobe, Film i Väst, Pando & Mutante Cine

配給:ザジフィルムズ

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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