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絵巻物のごとき奇跡の映像美。世界に絶賛された中国の若き才能に聞く。「映画が生きている、という感覚」

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『春江水暖〜しゅんこうすいだん』が2/11に公開される、グー・シャオガン監督

 山水画のような美しい風景が、ゆったりと横移動するカメラで捉えられ、スクリーンを見つめるわれわれは、いつしか信じがたい感覚に襲われ、酔いしれていくーー。

 これこそ映画の魔法ではないだろうか。

 しかも映画館のスクリーンでこそ、この魔法に効き目があることを実感する。その作品とは、『春江水暖〜しゅんこうすいだん』だ。

 中国の杭州市、富陽で、四人の兄弟を中心にした家族のドラマは、町の再開発を背景に、一人娘の結婚、老いた母の介護など四兄弟が直面する問題を、大河の富春江が見守るかのように紡がれていく。四兄弟を中心に、登場する人物の誰かに、われわれ日本人も思わず「自分」を投影してしまうことだろう。そんな普遍的な魅力もたたえた一作。

 物語も構成も、そして映像も、人生の苦楽を乗り越えた巨匠が撮ったかのような重厚さに満ちた『春江水暖』を、これが長編デビュー作となる、現在32歳グー・シャオガン監督が送り出したということに、驚きを禁じ得ない。

穏やかな口調でサラリと語る「神の視点」

 2019年のカンヌ国際映画祭で批評家週間のクロージング作品に選ばれ、同年の東京フィルメックスでは審査委員特別賞を受賞。やや大げさだが、いきなり「名監督」に近い地位に上り詰めたといえるシャオガン監督。しかしオンラインのインタビューに顔をみせた彼は、近寄りがたい天才監督というより、(失礼ながら)どこにでもいそうな真面目で、ちょっぴりシャイな青年という印象だった。

「タイトルの由来は、中国の有名な詩の一節です。『春江水暖鴨先知』(宋代の詩人・蘇東坡が富春江をうたったもの)で、その意味は『春はもうすぐ訪れる』ということ。この映画も、春がやってくるところで終わります。全体として一年の時間が流れ、夏は長男、秋は次男、冬は三男、そして間もなく春が来る季節は四男……という視点にしました。映画全体で四季をめぐるわけですが、中国での『天地(天地開闢)』という思想も意識しました。神や自然、宇宙からの視点がある、ということです」

中国山水画の傑作「富春山居図」からインスピレーションを受けたという、静謐な美しさをたたえた四季の風景は息をのむようである。
中国山水画の傑作「富春山居図」からインスピレーションを受けたという、静謐な美しさをたたえた四季の風景は息をのむようである。

 この言葉どおり、映画全体の美しき構成力、人々を温かく、かつ冷静にみつめる視点が、そのまま『春江水暖』の特色になっている。確固たるイメージを「かたち」にする監督の才能、恐るべしだ。とはいえ、春夏秋冬すべてのシーンを撮るためには、最低でも1年間が必要。クルーには、それぞれの季節に現場に戻ってきてもらい、結局、撮影は2年間にわたるという、なかなかハードなプロセスだったようだ。

「僕に関しては、この映画に関わった2年間、『自分の生活』と呼べる時間は、ほぼ皆無でした(笑)。各シーズンで10日から2週間くらい撮影を行い、その後、クルーたちはそれぞれ自分の仕事に戻っていくのですが、僕は次のシーズンの撮影の準備や、脚本の修正にみっちり時間をとられていたのです。2年間でいちばん苦労したのは、天気予報との闘いでしたね。雪のシーンの撮影予定日に、本当に雪が降ってくれるのか? 夏の炎天下や、秋の紅葉でもその心配は同じです。映画を撮り終え、天気のストレスから解放されたことが、いちばん幸せでした。そしてもうひとつ、最も大切だったのは、キャストとして出演してくれた親戚の人々や友人たちのご機嫌をとり続けること。誰かが途中で『止めた』と言ったら、すべてやり直しですから(笑)」

演技経験ゼロの親戚や知人にメインキャストを任せる英断

 そうなのだ。この『春江水暖』では、レストランを営む長男夫婦に、シャオガン監督の叔父夫婦(同じくレストラン経営)が扮するなど、彼の親族や知人たちがキャストとして参加している。つまり、演技はシロウトの面々なのである。

「真実の風景、真実の時間を映したいという意図がありました。ドキュメンタリーではない劇映画も、後世に伝えるための『資料』『記録』としての役割をもってほしいと考えたからです。僕は、映画というメディアの可能性を拡張したいんですよ。ただ『春江水暖』では、演技経験のある3人(祖母役、長男の娘、その恋人の先生)も使っています。『春江水暖』は3部作を構想していまして、次の作品では同じキャストにお願いしつつ、プロの俳優もうまくとけ込ませていきたいですね」

長男の娘は教師の男性と結婚しようとするが、両親は難色を示す。一人っ子政策など中国社会が生み出した状況もストーリーに巧みに取り入れられている。
長男の娘は教師の男性と結婚しようとするが、両親は難色を示す。一人っ子政策など中国社会が生み出した状況もストーリーに巧みに取り入れられている。

 映画の中では奇跡のようなシーンがいくつもある。そのひとつが、長男の娘の恋人が、川で泳いだ後、岸に上がり、恋人同士で船に乗るまでをカメラがゆったりと横に移動しながら撮り続ける、10分にもおよぶ長回しだ。このシーンと出合うだけでも、『春江水暖』を観る価値があると断言したいほど、めまいがするほどに美しい。

「撮影は2年間なので夏も2回あり、あの泳ぐシーンは、ひと夏にそれぞれ7、8回撮ったでしょうか。事前にリハーサルを2、3回行いましたが、川を泳ぎ続けるため、俳優の体力を考えて1日1回しか撮影できません。しかも光を重視したので、朝の7時くらいに撮影するのです。1年目でなかなかいいものが撮れたのですが、結局、2年目のテイクを使いました。

 真実の風景、真実の時間を前提にしていましたから、僕らクルーが“予定しなかった”瞬間こそ重要だったんです。偶然の産物は、先ほど言った『天地』の思想に従えば、神が配置してくれるものです。結局、本編で使ったシーンには、大型犬が2匹、乱入してきます。散歩する犬は別に仕込んでおいたけれど、こうしたアクシデント的な変化が、映画に生命力を与えるんですよ」

コロナ後の世界を、次回作でどう見つめるか

 現場での突発的な出来事を軽やかに取り入れる姿勢は、「若さゆえの柔軟性」と「ベテランのような達観」、その両方がもたらした気もする。

 長編初監督作を完成させ、グー・シャオガン監督は、こんな感慨に包まれたという。

映画そのものが生きている感覚を味わい、その生きている映画のために、僕が働かされている。それはそれは、幸福な時間でした」

 現在、世界中が新型コロナウイルスの影響でさまざまな変化を余儀なくされているが、中国のグー・シャオガン監督にとっても、何か創作の方向性に変化がもたらされているのか。

「新型コロナウイルスが直接的に僕の作品に影響を与えるのか。現段階で何とも言えませんが、順調にいけば、この『春江水暖』の第2作を2022年に杭州で撮影を始める予定で、そうなるとコロナを経験した社会が舞台になります。街の風景や、人々の行動に何かしらの変化が起こり、それが自然と映し出されるのではないでしょうか。その時代の真実を映し出すことが、次作でも僕の目的ですから」

 新型コロナウイルスの感染拡大を、過剰なまでの対策で抑え込もうとしている中国。2022年、いったいどんな状況になっているのか、未知な部分も大きいわけだが、グー・シャオガン監督の言葉を信じれば、『春江水暖』の第2作も、真実の風景と時間を収めることになるだろう。

『春江水暖~しゅんこうすいだん』

2月11日(木・祝)Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開

(c) 2019 Factory Gate Films All Rights Reserved

配給:ムヴィオラ 

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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