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ヴェネチア受賞の『スパイの妻』、日本アカデミー賞では選考対象外。他の傑作にも「残念」の声は多く…

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ヴェネチアでの栄誉を喜んだ黒沢清監督だが、日本アカデミー賞では選考対象外に。(写真:ロイター/アフロ)

昨年(2019年度)は、政治の暗部にも切り込んだ『新聞記者』が頂点となる最優秀作品賞に輝き、その流れに変化も感じさせた日本アカデミー賞だが、今年(2020年度)の優秀賞(米アカデミー賞における「ノミネート」)が発表された1/27以来、「あの傑作がなぜ入らないのか?」という声があちこちで聞かれる。

そもそも日本アカデミー賞は、ある程度の興行成績を記録しないと優秀賞(ノミネート)に入ることは不可能に近い。選考基準のひとつに

東京地区の同一劇場で1日3回以上、かつ2週間以上継続し上映された作品

(日本アカデミー賞公式ホームページより)

というものがある。自主上映作品はもちろん、短期間で上映が終わった作品、当然ながら、Netflixなどの配信作品は対象にならない。日本映画製作者連盟の発表によると、2020年、日本映画の劇場公開は506本(2019年から183本減)。日本アカデミー賞の選考基準となる作品は、154本であった。

これは、選考する側の日本アカデミー賞協会会員のための基準であり、主要な映画館で無料で映画を観ることができる会員にとって、選考のために、ある程度、観るチャンスを余裕をもって与える必要があるから。ゆえに「観るチャンスが多い=ヒットしていつでも観られる作品」が、会員にとって多く観られ、選考でも上位に入りやすくなる。ある意味で、多くの観客に支持されている点が、賞の行方も左右するわけで、考え方によっては「健全」かもしれない。昨年の『新聞記者』も、それなりのヒットは記録していた。

米アカデミー賞も、ロサンゼルス郡内の映画館で1日3回以上、連続して7日以上にわたって有料上映された作品が選考対象である。似たようなものだが、日本の方が「2週間」と、やや条件が厳しい。数年前から『ROMA/ローマ』『マリッジ・ストーリー』のように賞を狙えるNetflix作品が、配信前に小規模にだが、劇場で公開されるようになった。

ただ、米アカデミー賞や、日本の他の映画賞が公開規模の極端に少ない作品にも賞を与えていることと比較すると、日本アカデミー賞は基本的にメジャー志向の強い結果になっている。

そして今年の場合、上記とは別の選考基準もポイントとなった。

昨年のヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞した、黒沢清監督の『スパイの妻』が、どの部門にも入っていない。つまり、「選考対象外」だったのである。世界三大映画祭での栄誉を受け、2020年の日本映画の代表作と思われた作品が、日本アカデミー賞に入らなかったのは、『スパイの妻』が、NHKの8Kドラマとして編集されたバージョンがすでに放映されていたから。

日本アカデミー賞協会会員で『おろち』『王様ゲーム』、ドラマ「ほんとにあった怖い話」などで知られる鶴田法男監督も、このようにツイートしていた。

日本アカデミー賞には次のような基準もある。

同日含め先に配信、TV放送されたもの及びそれの再編集劇場版は新作映画とみなしません。但し、放送後に新たに撮影された部分が大半の場合のみ新作とします

(日本アカデミー賞公式ホームページより)

『スパイの妻』の映画版は「再編集」ということになる。同じように2020年、カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクションとなった、深田晃司監督の『本気のしるし 劇場版』も対象外。こちらも名古屋テレビで放映されたドラマの再編集版である。おまけに4時間もの長尺なので、単館の場合、「同一劇場で1日3回上映」という基準をクリアするのも難しい。『本気のしるし』はその完成度を絶賛する人も多いので、『スパイの妻』と同様に残念な声が上がっている。

さらに2019年、ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で観客賞を受賞するなど各国の映画祭で高い評価を受けてきた、HIKARI監督の『37セカンズ』も選考基準から外れた。この作品は2020年の2/7に日本で劇場公開されているが、前年の12/5にNHK BSプレミアムでテレビドラマ版が放映されたからだと思われる。また、行定勲監督の『劇場』は、新型コロナウイルスの影響から、異例の劇場公開と配信の同時スタートという決断に踏み切ったが、これも日本アカデミー賞のルールに照らし合わせると対象外となってしまう。

『37セカンズ』のHIKARI監督。2020年、すぐれた新人監督に授与される新藤兼人賞を受賞している。
『37セカンズ』のHIKARI監督。2020年、すぐれた新人監督に授与される新藤兼人賞を受賞している。写真:REX/アフロ

たしかにこうした賞に、一定の基準は重要

「劇場版」と言われれば、あくまでもテレビドラマを目的として作られたという前提があるので、この基準も仕方ないのかもしれない

しかしいくらドラマ版が存在し、あるいは同時配信になったとはいえ、その年を代表すると思われる傑作がこれほど何本も基準から外れるのは残念というしかない。

『スパイの妻』の蒼井優高橋一生、『37セカンズ』の渡辺真起子らは、演技部門で優秀賞に入ってもおかしくない名演技をみせていた。『本気のしるし』や『劇場』も同様。

実際に現時点までの、2020年度の日本映画の各賞でも……

毎日映画コンクールでは『37セカンズ』の佳山明が新人賞、日刊スポーツ映画大賞では『スパイの妻』が監督賞、『37セカンズ』の渡辺真起子が助演女優賞という結果になっている(ノミネートや優秀賞ではなく「最優秀」)。

ちなみに以下は日本アカデミー賞でも選考基準内の作品だが、『喜劇 愛妻物語』の水川あさみは毎日映画コンクール、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、TAMA映画賞で主演女優賞を受賞(つまり総ナメ状態)。『アンダードッグ』の森山未來は毎日映画コンクールで主演男優賞を受賞しているものの、日本アカデミー賞では優秀賞5人の枠にすら入らなかった。

もちろん映画賞なんて、すべてが投票する人の「感覚」で決まるもの。演出や演技を、フィギュアスケートや体操のように技術ポイントにして競うものではない。日本アカデミー賞も、会員の投票をそのまま結果としているわけで、その傾向を素直に受け止めればいいだけの話ではある。

ただやはり、日本を代表する映画賞として大きく報道され、後々の記録に残るものではあるので、『スパイの妻』『37セカンズ』『本気のしるし』『劇場』などが、その名前も記されなかったのは、ちょっと違和感も抱いてしまう。

米アカデミー賞は今年(2020年度)に限って、新型コロナウイルスで映画館が閉鎖された影響をかんがみて、配信を余儀なくされた作品も選考対象にするという柔軟な対応をみせた。『ワンダーウーマン 1984』のように劇場公開と配信が同時となった作品(日本で言えば『劇場』と同じパターン)も選考対象となる。日本の場合、映画館の営業休止は限定的だったので、単純に比較するものではないが、今後は配信と劇場公開のバランスも大きく変わっていきそうな映画界なので、日本アカデミー賞の選考基準も、時代に合わせて改変されることだろう。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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